九鬼周造

「いき」は武士道の理想主義と仏教の非現実性とに対して不離の内的関係に立っている。運命によって「諦め」を得た「媚態」が「意気地」の自由に生きるのが「いき」である。人間の運命に対して曇らざる眼をもち、魂の自由に向って悩ましい憧憬を懐く民族ならずしては媚態をして「いき」の様態を取らしむることはできない。

2 thoughts on “九鬼周造

  1. shinichi Post author

    「いき」の構造の理解をその客観的表現に基礎附けようとすることは大なる誤謬ごびゅうである。「いき」はその客観的表現にあっては必ずしも常に自己の有する一切のニュアンスを表わしているとは限らない。客観化は種々の制約の拘束の下もとに成立する。したがって、客観化された「いき」は意識現象としての「いき」の全体をその広さと深さにおいて具現していることは稀まれである。客観的表現は「いき」の象徴に過ぎない。それ故に「いき」の構造は、自然形式または芸術形式のみからは理解できるものではない。その反対に、これらの客観的形式は、個人的もしくは社会的意味体験としての「いき」の意味移入によって初めて生かされ、会得えとくされるものである。「いき」の構造を理解する可能性は、客観的表現に接触して quid を問う前に、意識現象のうちに没入して quis を問うことに存している。およそ芸術形式は人性的一般または異性的特殊の存在様態に基づいて理解されなければ真の会得ではない。体験としての存在様態が模様に客観化される例としては、ドイツ民族の有する一種の内的不安が不規則的な模様の形を取って、既に民族移住時代から見られ、更にゴシックおよびバロックの装飾にも顕著な形で現われている事実がある。建築においても体験と芸術形式との関係を否いなみ得ない。ポール・ヴァレリーの『ユーパリノスあるいは建築家』のうちで、メガラ生れの建築家ユーパリノスは次のようにいっている。「ヘルメスのために私が建てた小さい神殿、直ぐそこの、あの神殿が私にとって何であるかを知ってはいまい。路ゆく者は優美な御堂を見るだけだ――わずかのものだ、四つの柱、きわめて単純な様式――だが私は私の一生のうちの明るい一日の思出をそこに込めた。おお、甘い変身メタモルフォーズよ。誰も知る人はないが、このきゃしゃな神殿は、私が嬉しくも愛した一人のコリントの乙女おとめの数学的形像だ。この神殿は彼女独自の釣合を忠実に現わしているのだ」。音楽においても浪漫ロマン派または表現派の名称をもって総括し得る傾向はすべて体験の形式的客観化を目標としている。既にマショオは恋人ペロンヌに向って「私のものはすべて貴女あなたの感情でできた」と告げている。またショパンは「ヘ」短調司伴楽の第二楽章の美しいラルジェットがコンスタンチア・グラコウスカに対する自分の感情を旋律化したのであることを自ら語っている。体験の芸術的客観化は必ずしも意識的になされることを必要としない。芸術的衝動は無意識的に働く場合も多い。しかしかかる無意識的創造も体験の客観化にほかならない。すなわち個人的または社会的体験が、無意識的に、しかし自由に形成原理を選択して、自己表現を芸術として完了したのである。自然形式においても同様である。身振みぶりその他の自然形式はしばしば無意識のうちに創造される。いずれにしても、「いき」の客観的表現は意識現象としての「いき」に基礎附けて初めて真に理解されるものである。

     なお、客観的表現を出発点として「いき」の構造を闡明せんめいしようとする者のほとんど常に陥る欠点がある。すなわち、「いき」の抽象的、形相的理解に止とどまって、具体的、解釈的に「いき」の特異なる存在規定を把握するに至らないことである。例えば、「美感を与える対象」としての芸術品の考察に基づいて「粋の感」の説明が試みられる。その結果として、「不快の混入」というごとき極きわめて一般的、抽象的な性質より捉とらえられない。したがって「いき」は漠然ばくぜんたる raffin※(アキュートアクセント付きE小文字)のごとき意味となり、一方に「いき」と渋味との区別を立て得ないのみならず、他方に「いき」のうちの民族的色彩が全然把握されない。そうして仮りにもし「いき」がかくのごとき漠然たる意味よりもっていないものとすれば、西洋の芸術のうちにも多くの「いき」を見出すことができるはずである。すなわち「いき」とは「西洋においても日本においても」「現代人の好む」何ものかに過ぎないことになる。しかしながら、例えばコンスタンタン・ギイやドガアやファン・ドンゲンの絵が果して「いき」の有するニュアンスを具有しているであろうか。また、サンサンス、マスネエ、ドゥビュッシイ、リヒアルド・スュトラウスなどの作品中の或る旋律を捉えて厳密なる意味において「いき」と名附け得るであろうか。これらはおそらく肯定的に答えることはできないであろう。既にいったように、この種の現象と「いき」との共通点を形式化的抽象によって見出すことは必ずしも困難ではない。しかしながら、形相的方法を採とることはこの種の文化存在の把握に適した方法論的態度ではない。しかるに客観的表現を出発点として「いき」の闡明を計る者は多くみなかような形相的方法に陥るのである。要するに、「いき」の研究をその客観的表現としての自然形式または芸術形式の理解から始めることは徒労に近い。まず意識現象としての「いき」の意味を民族的具体において解釈的に把握し、しかる後その会得に基づいて自然形式および芸術形式に現われたる客観的表現を妥当に理解することができるのである。一言にしていえば、「いき」の研究は民族的存在の解釈学としてのみ成立し得るのである。
     民族的存在の解釈としての「いき」の研究は、「いき」の民族的特殊性を明らかにするに当って、たまたま西洋芸術の形式のうちにも「いき」が存在するというような発見によって惑わされてはならぬ。客観的表現が「いき」そのものの複雑なる色彩を必ずしも完全に表わし得ないとすれば、「いき」の芸術形式と同一のものをたとえ西洋の芸術中に見出す場合があったとしても、それを直ちに体験としての「いき」の客観的表現と看做みなし、西洋文化のうちに「いき」の存在を推定することはできない。またその芸術形式によって我々が事実上「いき」を感じ得る場合が仮りにあったとしても、それは既に民族的色彩を帯びた我々の民族的主観が予想されている。その形式そのものが果して「いき」の客観化であるか否いなかは全くの別問題である。問題は畢竟ひっきょう、意識現象としての「いき」が西洋文化のうちに存在するか否かに帰着する。しからば意識現象としての「いき」を西洋文化のうちに見出すことができるであろうか。西洋文化の構成契機を商量するときに、この問は否定的の答を期待するよりほかはない。また事実として、たとえばダンディズムと呼ばるる意味は、その具体的なる意識層の全範囲に亙わたって果して「いき」と同様の構造を示し、同様の薫かおりと同様の色合いろあいとをもっているであろうか。ボオドレエルの『悪の華』一巻はしばしば「いき」に近い感情を言表いいあらわしている。「空無の味」のうちに「わが心、諦めよ」とか、「恋ははや味わいをもたず」とか、または「讃ほむべき春は薫を失いぬ」などの句がある。これらは諦めの気分を十分に表わしている。また「秋の歌」のうちで「白く灼やくる夏を惜しみつつ、黄に柔やわらかき秋の光を味わわしめよ」といって人生の秋の黄色い淡い憂愁ゆうしゅうを描いている。「沈潜」のうちにも過去を擁する止揚の感情が表わされている。そうして、ボオドレエル自身の説明によれば、「ダンディズムは頽廃期たいはいきにおける英雄主義の最後の光であって……熱がなく、憂愁にみちて、傾く日のように壮美である」。また「※(アキュートアクセント付きE小文字)l※(アキュートアクセント付きE小文字)ganceの教説」として「一種の宗教」である。かようにダンディズムは「いき」に類似した構造をもっているには相違ない。しかしながら、「シーザーとカティリナとアルキビアデスとが顕著な典型を提供する」もので、ほとんど男性に限り適用される意味内容である。それに反して、「英雄主義」が、か弱い女性、しかも「苦界くがい」に身を沈めている女性によってまでも呼吸されているところに「いき」の特彩がある。またニイチェのいう「高貴」とか「距離の熱情」なども一種の「意気地」にほかならない。これらは騎士気質から出たものとして、武士道から出た「意気地」と差別しがたい類似をもっている。しかしながら、一切の肉を独断的に呪のろった基督キリスト教の影響の下もとに生立おいたった西洋文化にあっては、尋常の交渉以外の性的関係は、早くも唯物主義と手を携たずさえて地獄に落ちたのである。その結果として、理想主義を予想する「意気地」が、媚態をその全延長に亙わたって霊化して、特殊の存在様態を構成する場合はほとんど見ることができない。「女の許もとへ行くか。笞むちを忘るるな」とは老婆がツァラトゥストラに与えた勧告であった。なお一歩を譲って、例外的に特殊の個人の体験として西洋の文化にも「いき」が現われている場合があると仮定しても、それは公共圏に民族的意味の形で「いき」が現われていることとは全然意義を異にする。一定の意味として民族的価値をもつ場合には必ず言語の形で通路が開かれていなければならぬ。「いき」に該当する語が西洋にないという事実は、西洋文化にあっては「いき」という意識現象が一定の意味として民族的存在のうちに場所をもっていない証拠である。

     かように意味体験としての「いき」がわが国の民族的存在規定の特殊性の下もとに成立するにかかわらず、我々は抽象的、形相的の空虚の世界に堕してしまっている「いき」の幻影に出逢う場合があまりにも多い。そうして、喧やかましい饒舌じょうぜつや空むなしい多言は、幻影を実有のごとくに語るのである。しかし、我々はかかる「出来合できあい」の類概念によって取交される flatus vocis に迷わされてはならぬ。我々はかかる幻影に出逢った場合、「かつて我々の精神が見たもの」を具体的な如実の姿において想起しなければならぬ。そうして、この想起は、我々をして「いき」が我々のものであることを解釈的に再認識せしめる地平にほかならない。ただし、想起さるべきものはいわゆるプラトン的実在論の主張するがごとき類概念の抽象的一般性ではない。かえって唯名論の唱道する個別的特殊の一種なる民族的特殊性である。この点において、プラトンの認識論の倒逆的転換が敢えてなされなければならぬ。しからばこの意味の想起アナムネシスの可能性を何によって繋つなぐことができるか。我々の精神的文化を忘却のうちに葬り去らないことによるよりほかはない。我々の理想主義的非現実的文化に対して熱烈なるエロスをもち続けるよりほかはない。「いき」は武士道の理想主義と仏教の非現実性とに対して不離の内的関係に立っている。運命によって「諦め」を得た「媚態」が「意気地」の自由に生きるのが「いき」である。人間の運命に対して曇らざる眼をもち、魂の自由に向って悩ましい憧憬しょうけいを懐く民族ならずしては媚態をして「いき」の様態を取らしむることはできない。「いき」の核心的意味は、その構造がわが民族存在の自己開示として把握されたときに、十全なる会得と理解とを得たのである。

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