中川素子

Nakagawa大人になった今でも、頭の半分以上が空想でつまり、なかなか現実世界に適応できない私は、まさか夢の入口として本が描かれないなんてそんな筈はあるまいと思っていたが、これが本当にないのだ。たとえば、ルネ・マルグリットは人間の夢や無意識という次元の違う世界に入るのに、窓、扉、額縁、鏡、穴などを入口としている。周りの風景から区切られたり、切りとられたり、遮断されたりして特別に抽出された世界がそこに描かれている。本は表紙が閉じられ、周りの空間の中で特別な空間を占め、ページを開けるとそこに別の世界が繰り広げられる。夢の入口としてこれほどぴったりなものはないのだが・・・。
 
本は無意識や夢の領域に入るには、あまりに知がまさっているのであろうか。奥が陰になっていて、ちょっぴり不安な扉や引き出しに比べ、本はあまりに明解すぎるというのであろうか。本は人間にとって快楽にはなりえないのであろうか。

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