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は茶の湯の中で理論化されたが、「わび茶」という言葉が出来るのも江戸時代である。特に室町時代の高価な「唐物」を尊ぶ風潮に対して、村田珠光はより粗末なありふれた道具を用いる茶の湯を方向付け、武野紹鴎や千利休に代表される堺の町衆が深化させた。彼らが「侘び」について言及したものがないから、彼らが好んだものから当時醸成されつつあった侘びについて探るより他ない。茶室はどんどん侘びた風情を強め、張付けだった壁は民家に倣って土壁になり藁すさを見せ、6尺の床の間は5尺、4尺と小さくなり塗りだった床ガマチも節つきの素木になった。紹鴎は備前焼や信楽焼きを好んだし、利休は楽茶碗を創出させた。日常雑器の中に新たな美を見つけ茶の湯に取り込もうとする彼らの態度は、後に柳宗悦等によって始められた「民芸」の思想にも一脈通ずるところがある。
江戸時代に多くの茶書によって茶道の根本美意識と位置付けられるようになり、侘を「正直につつしみおごらぬ様」と規定する『紹鴎侘びの文』や、「清浄無垢の仏世界」とする『南方録』などの偽書も生み出された。
また大正・昭和になって茶道具が美術作品として評価されるに伴い、その造形美を表す言葉として普及した。柳宗悦や久松真一などが高麗茶碗などの美を誉める際に盛んに用いている。その結果として、日本を代表する美意識として確立した。
岡倉天心の著書 The Book of Tea(『茶の本』)の中では “imperfect” という表現が侘をよく表しており、同書を通じて世界へと広められた。
は室町時代には特に俳諧の世界で重要視されるようになり、能楽などにも取り入れられて理論化されてゆく。さらに松尾芭蕉以降の俳句では中心的な美意識となるが、芭蕉本人が寂について直接語ったり記した記録は非常に少ないとされる。
侘びとともに利休以後の茶道の真髄として語られる寂びだが、意外なことに利休時代の茶の文献には見当たらない。「侘び」の項に挙げた山上宗二記の侘びの十ヶ条にも寂びは見られず、同書の他の部分にも「寂び」「寂びた」の語は現れない。おそらく江戸時代以降、俳諧が盛んになり寂びの概念が広がるとともに、侘びと結びつけられて茶道においても用いられることになったものであろう。
俳諧での寂とは、特に、古いもの、老人などに共通する特徴のことで、寺田寅彦によれば、古いものの内側からにじみ出てくるような、外装などに関係しない美しさのことだという。具体的な例で挙げられるのは、コケの生えた石がある。誰も動かさない石は、日本の風土の中では表面にコケが生え、緑色になる。日本人はこれを、石の内部から出てくるものに見立てた。
このように古びた様子に美を見出す態度であるため、よく西洋の骨董と比べられる。寂はより自然そのものの作用に重点があり、西洋の骨董では歴史面に重点があると考えられている。

2 thoughts on “ウィキペディア

  1. shinichi Post author

    わび・さび

    http://ja.wikipedia.org/wiki/わび・さび

    (わび、侘びとも)とは、動詞「わぶ」の名詞形で、その意味は、形容詞「わびしい」から容易に理解されるように「立派な状態に対する劣った状態」となる。転じては「粗末な様子」、あるいは「簡素な様子」を意味している。もっと端的にいえば「貧しい様子」「貧乏」ということになろうか。本来は良い概念ではなかったが、禅宗の影響などもあってこれが積極的に評価され、美意識の中にとりこまれていった。

    侘に関する記述は古く万葉集の時代からあると言われているが、「侘」を美意識を表す概念として名詞形で用いる例は江戸時代の茶書『南方録』まで下り、これ以前では「麁相」(そそう)という表現が近いが、千利休などは「麁相」であることを嫌っていたから必ずしも同義とは言い難い。「上をそそうに、下を律儀に(表面は粗相であっても内面は丁寧に)」(山上宗二記)。強いて言えば「priceは高くないが、qualityは高い」という概念になろうか。茶の湯では「侘」の中に単に粗末であるというだけでなく質的に(美的に)優れたものであることを求めるようになったのである。この時代、「侘び」の語は「侘び数寄」という熟語として現れる。これは「侘び茶」の意ではない。侘び茶人、つまり「一物も持たざる者、胸の覚悟一つ、作分一つ、手柄一つ、この三ヶ条整うる者」(宗二記)のことを指していた。「貧乏茶人」のことである。後の千宗旦の頃になると「侘」の一字で無一物の茶人を言い表すようになる。ここで宗二記の「侘び」についての評価を引用しておこう。「宗易愚拙ニ密伝‥、コヒタ、タケタ、侘タ、愁タ、トウケタ、花ヤカニ、物知、作者、花車ニ、ツヨク、右十ヶ条ノ内、能意得タル仁ヲ上手ト云、但口五ヶ条ハ悪シ業初心ト如何」とあるから「侘タ」は、数ある茶の湯のキーワードの一つに過ぎなかったし、初心者が目指すべき境地ではなく一通り茶を習い身に着けて初めて目指しうる境地とされていた。この時期、侘びは茶の湯の代名詞としてまだ認知されていない。ただし宗二は「侘び数寄」を評価しているから、侘び茶人が茶に親しむ境地も評価され、やがて茶の湯の精神を支える支柱として「侘び」は静かに醸成されていったのである。

    侘は茶の湯の中で理論化されたが、「わび茶」という言葉が出来るのも江戸時代である。特に室町時代の高価な「唐物」を尊ぶ風潮に対して、村田珠光はより粗末なありふれた道具を用いる茶の湯を方向付け、武野紹鴎や千利休に代表される堺の町衆が深化させた。彼らが「侘び」について言及したものがないから、彼らが好んだものから当時醸成されつつあった侘びについて探るより他ない。茶室はどんどん侘びた風情を強め、張付けだった壁は民家に倣って土壁になり藁すさを見せ、6尺の床の間は5尺、4尺と小さくなり塗りだった床ガマチも節つきの素木になった。紹鴎は備前焼や信楽焼きを好んだし、利休は楽茶碗を創出させた。日常雑器の中に新たな美を見つけ茶の湯に取り込もうとする彼らの態度は、後に柳宗悦等によって始められた「民芸」の思想にも一脈通ずるところがある。

    江戸時代に多くの茶書によって茶道の根本美意識と位置付けられるようになり、侘を「正直につつしみおごらぬ様」と規定する『紹鴎侘びの文』や、「清浄無垢の仏世界」とする『南方録』などの偽書も生み出された。

    また大正・昭和になって茶道具が美術作品として評価されるに伴い、その造形美を表す言葉として普及した。柳宗悦や久松真一などが高麗茶碗などの美を誉める際に盛んに用いている。その結果として、日本を代表する美意識として確立した。

    岡倉天心の著書 The Book of Tea(『茶の本』)の中では“imperfect”という表現が侘をよく表しており、同書を通じて世界へと広められた。

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    (さび、寂びとも)は動詞「さぶ(錆ぶ・荒ぶ)」の名詞形で、本来は時間の経過によって劣化した様子を意味している。漢字の「寂」が当てられ、転じて「寂れる」というように人がいなくなって静かな状態も表すようになった。金属の表面に現れた「さび」には、漢字の「錆」が当てられている。英語ではpatina(緑青)の美が類似のものとして挙げられ、緑青などが醸し出す雰囲気についてもpatinaと表現される。

    本来は良い概念ではなかったが、『徒然草』などには古くなった冊子を味わい深いと見る記述があり、この頃には古びた様子に美を見出す意識が生まれていたことが確認される。室町時代には特に俳諧の世界で重要視されるようになり、能楽などにも取り入れられて理論化されてゆく。さらに松尾芭蕉以降の俳句では中心的な美意識となるが、芭蕉本人が寂について直接語ったり記した記録は非常に少ないとされる。

    侘びとともに利休以後の茶道の真髄として語られる寂びだが、意外なことに利休時代の茶の文献には見当たらない。「侘び」の項に挙げた山上宗二記の侘びの十ヶ条にも寂びは見られず、同書の他の部分にも「寂び」「寂びた」の語は現れない。おそらく江戸時代以降、俳諧が盛んになり寂びの概念が広がるとともに、侘びと結びつけられて茶道においても用いられることになったものであろう。

    俳諧での寂とは、特に、古いもの、老人などに共通する特徴のことで、寺田寅彦によれば、古いものの内側からにじみ出てくるような、外装などに関係しない美しさのことだという。具体的な例で挙げられるのは、コケの生えた石がある。誰も動かさない石は、日本の風土の中では表面にコケが生え、緑色になる。日本人はこれを、石の内部から出てくるものに見立てた。

    このように古びた様子に美を見出す態度であるため、骨董趣味と関連が深い。たとえば、イギリスなどの骨董(アンティーク)とは、異なる点もあるものの、共通する面もあるといえる。寂はより自然そのものの作用に重点がある一方で、西洋の骨董では歴史面に重点があると考えられる。

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  2. shinichi Post author

    (sk)

    岡倉天心の著書 The Book of Tea (『茶の本』) の中で、「無常」は「わび」を表す言葉として “imperfect” というクールな単語に訳された。

    岡倉天心をはじめ、明治時代の人たちはみんな、日本のことを世界に良く伝えたいという気持ちを強く持っていたため、ネガティブなことには目を瞑り、ポジティブなことばかりを膨らませて伝えた。

    そのおかげもあって、茶の湯は、家元制度をはじめとするアンクールなことの数々は伝えられず、まるで西洋哲学のようなことばかりが伝えられた。

    欧米の人たちが考えているわび・さびばかりがクールになり、日本のわび・さびからはとても遠いものとなってしまった。

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