2 thoughts on “静嘉堂文庫美術館

  1. shinichi Post author

    国宝 曜変天目茶碗(稲葉天目)

    http://www.seikado.or.jp/040201.html

    建窯  宋時代(12~13世紀)

    「曜変」とは元来「窯変」「容変」を意味し、唐物茶碗「土之物」の筆頭に分類格付けされてきた。「星」または「輝く」という意味をもつ「曜」の字を当てて文献に記されるようになるのは、十五世紀前期の頃からである。静嘉堂所蔵の曜変天目は、もと将軍家所蔵であったものを淀藩主稲葉家が拝領し、代々秘蔵したことから「稲葉天目」と称される。産地は中国福建省建陽県に位置する建窯であり、窯址調査から、そのうちの蘆花坪窯である可能性が考えられているが、まだ曜変の明瞭な斑文を伴う陶片は出土していない。今日、世界中で現存する曜変天目茶碗は三点(京都・大徳寺龍光院、大阪・藤田美術館、静嘉堂)であり、斑文の美しさはそれぞれ別趣であるが、すべて寸法や器形が酷似している。いずれも焼成前に決定されているはずの素地土は最良のものが用いられ、高台の削り出しも精緻を極めていることから、曜変天目は、焼成中の偶然の所産であったばかりでなく、陶工が試行錯誤の果て、わずか完成をみた作品であった可能性もあるであろう。

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    大名物 唐物茄子茶入 付藻茄子(松永茄子)

    http://www.seikado.or.jp/040202.html

    南宋~元時代(12~13世紀)

    茶匠・村田珠光が九十九貫で入手し、『伊勢物語』所収の和歌「百とせに一とせ足らぬ九十九髪我を恋ふらし面影に見ゆ」から命名したという。大坂夏の陣で罹災したが、大坂城址から徳川家康の命をうけた藤重藤元・藤巖父子により探し出され、漆で繕われた。精緻な漆繕いの褒美として、家康から藤元に下賜された。X線調査で、釉と見られる景色など、表面を覆う部分は、ほぼすべて漆による修復と判明している。

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  2. shinichi Post author

    (sk)

    わび・さびと深い関わりを持つ茶の湯で使われた陶器の数々。

    素晴らしいと言うか、それとも見栄の結晶と言うか。

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