中正樹

現在、「客観報道」(objective reporting) はジャーナリズムの 基本的な理念の一つとされている。この用語は、一般的には「ニュースの報道に ジャーナリストの主観、意見を入れないこと」と定義されている (原寿雄 1997 : 144)。 そして、より具体的には「主観報道に対するものであり、報道のあり方が歴史的、社会的に制約された報道主体 (記者) に固有な関心や意見、評価などから独立している」ことであると定義されている (門奈直樹 1993 : 267)。 これらは、「報道する主体」が客観的であることを求めているといえる。
しかしながら、「客観報道」をジャーナリズム研究の用語として捉えたとき、いま示したような定義のみでは不十分となる。なぜなら、ジャーナリズム研究及びジャーナリストの間では、「客観報道」はそれ以外の視点からも語られているからである。そうした視点は、大きく分けて以下の4つにまとめられる。
①  「客観報道」を「報道する主体」が客観的である報道として捉える視点。
②  「客観報道」を「報道する内容」が客観的である報道として捉える視点。
③  「客観報道」を「不偏不党」をはじめとする日本的なジャーナリズムの理念と同一視する視点。
④  「客観報道」を「不偏不党」をはじめとする欧米的なジャーナリズムの理念と同一視する視点。
このような視点の相達は、必然的に定義の相違を生む。 しかしながら、「客観報道」がジャーナリズム研究――多くの場合それはジャーナリズム「批判」研究である――によって取り上げられるとき、そうした定義の相違に対して注意が払われることは少ない。お互いの「客観報道」に対する解釈が似て非なるものであるにもかかわらず、「客観報道」を既存の用語として語ることによって、「客観報道」は結果としてジャーナリズム研究において曖昧な定義として存在するに至っている。

用語としての「客観報道」の成立 (PDF)

One thought on “中正樹

  1. shinichi Post author

    用語としての「客観報道」の成立

    by 中正樹

    http://e-lib.lib.musashi.ac.jp/2006/archive/data/s0005-08/for_print.pdf

    「客観報道」という用語は、ジャーナリズムの理念の一つとして重要視されている。同時に、この用語は、ジャーナリズム批判の文脈からも重要視されてきた。しかしながら、この用語の歴史は思いのほか浅い。その成立過程を追うと、もともとは戦後 GHQ によって発令されたプレス・コードを端緒として、それに日本独自のニュアンスを加えて成立した用語であるということができる。本稿では、「客観報道」が用語として成立するまでの過程を、戦前から戦後に至るまでのジャーナリズム言説の検討を通じて明らかにすることを試みた。

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