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中村修二は、日本出身でアメリカ国籍を取得した技術者、電子工学者。2014年度ノーベル物理学賞受賞者。
日亜化学工業在籍時に、実用に供するレベルの高輝度青色発光ダイオードの製造方法を発明・開発。
1994年頃から中村は学会などで多くの講演をこなした。この頃、発明に対して得た報奨金を聞いたアメリカの研究者仲間から、低すぎる対価に甘んじているとして、「スレイブ・ナカムラ」とあだ名された。
1998年11月に東京大学客員教授の誘いが来たが、中村は重要な技術情報が漏れることを恐れ、断った。
1999年12月に日亜化学を退社。2000年2月に、カリフォルニア大学サンタバーバラ校教授に就任する。
2000年12月にノースカロライナ州連邦地方裁判所において、日亜化学は営業秘密漏洩の疑いで中村を提訴。
2001年8月23日に、中村は日本で日亜化学工業を提訴、ツーフローMOCVDの特許権譲渡および特許の対価の増額を求めて争った。中村は、「サンタバーバラの自宅や大学の研究室を調べられ、心身ともに疲弊した。裁判を通して続けられる日亜化学の執拗な攻撃をやめさせるために、日本で裁判を起こした」と言った。
2002年10月、日亜化学が中村を訴えた米国での訴訟が棄却となる。
2004年1月、東京地裁は日亜化学工業に対して中村に200億円を支払うよう命じた。日亜化学工業側は控訴。
2005年1月、東京高等裁判所は約8億4000万円の支払いという和解勧告を出し、2005年1月に和解が成立した。
なお、日亜化学工業は同訴訟中に、量産化に不可欠な技術は、若手の研究員が発見した「アニール」技術であり、すでに存在していた平滑なGaNの膜を得るためのツーフローMOCVDは無価値だと述べており、訴訟終了後に特許権を中村に譲渡することなく放棄している。この高裁控訴審において高裁から示された和解勧告に対し、中村は弁護士とは異なる記者会見を設け「日本の司法は腐っている」と述べた。

3 thoughts on “ウィキペディア

  1. shinichi Post author

    (sk)

    会社のもの、個人のもの。ケース・バイ・ケースでいちいち裁判を起こさなければならないとすれば、そんな辛いことはない。

    弁護士だけが儲かる。

    「企業対個人、9対1で、企業の勝ち」が多い中、人々の反感を買いながらも、中村修二という人はよく頑張ったと思う。

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