長谷川雅彦

現代社会では本来の意味が失われていますが、「意識」は仏教用語に由来します。
八識(眼識、耳識、鼻識、舌識、身識、意識、末那識、阿頼耶識)の第六識です。
はじめの五つは、視覚、聴覚、嗅覚、味覚、触覚・温痛覚等の身体的認識能力を表します。
第六識の意識は、知・情・意といった自己の内面の認識能力です。
末那識、阿頼耶識になると哲学的すぎて難しいですね・・・

現在では「意識」という言葉は以下の2通りの意味で用いられるのがほとんどです。
ひとつは、客観的に他者が見て判断できる「意識」です。
  ”意識がある”とか”意識がない”とか言うときの意識です。
  医学的で意識障害という時にはこの意味です。
もうひとつは、主観的体験としての「意識」です。他者が見ただけではわからず、語られる内容から判断するものです。
  ”意識する”とか”意識しない”とか言うときの意識です。
  精神医学では、対象意識、自我意識;意識、前意識、無意識という用い方をします。

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