廣末保

Nihontekinarumonowomegutte日本の文学や芸術が情緒の再評価というかたちでしかふりかえられないといった傾向があるのには驚かされる。
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近代のなかで「日本的」とみなされてきたものを、そのまま日本的なものとしてうけとり、そのうえでとやかく論ずることのむなしさを痛感する。


2 thoughts on “廣末保

  1. shinichi Post author

    日本的なるものをめぐって

    全集 現代文学の発見 第11巻

    by 谷崎潤一郎, 大岡昇平, 埴谷雄高, 佐々木基一, 平野謙, 花田清輝

    解説・そのさまざまな試みについて by 廣末保

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  2. shinichi Post author

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    こうした心情的主義的な出会い、あるいは回帰は、挫折した人間が、所をかえてすみやかな自己完結をとげようとするときに、しばしばみられるものであるが、それは、一方で、近代的な方法や近代的な諸概念によっては解くことのできない「日本的な」あるものを、心情的・情緒的にとらえてすませるという態度とも、うまく重なることができる。その結果、前近代の遺産を「日本的なるもの」として再評価するにしても、たとえば、大衆の発想、近代主義でも情緒主義でもとらえきれないような発想にまでわけいり、そこからあらためて「日本的なるもの」を模索し、その模索を通して、近代のなかで近代を超える可能性にいどむというふうにはならない。心情主義的に自己完結しうる「日本的なるもの」が、日本の近代を、あるいは近代主義的な普遍主義を超えるべきどのような可能性をもちうるであろうか。

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