吉見俊哉

2000年代に入ってくると、ITが広がりを見せました。そのとき、知識とは何なのかということが問われてきました。IT化で一定の知識に行き着くことが非常に容易となりました。結果として、ネット上の情報をコピーしていわゆるコピペをして小レポートをつくってしまうという例も何件かありました。
そうすると、ネット情報を見ることと図書館の本を読むことの何が違うのかということを突き詰め、教育のベースを考えなければならないと思いました。考えてみると、ネット情報と図書館の本という間には、知識という点で考えてみると2つの違いがあるのです。1つ目は、作者性の問題です。ネット情報は誰の知識かということよりもみんなの知識であるということ強調しています。しかし、そこで問題となってくるのが誰の知識なのかという作者性の問題です。もう1つは知識の構造性の問題です。知識の構造性とは、ひとつひとつの要素がどのような事柄を意味しているかということではなく、要素と要素がどのように構造化され繋がっているかということが重要でそれが知識なのです。また、知識というものは歴史性の問題があります。知識は長い時間を使って積み上がってきたものでそういった知識と対話するということがとても重要なのです。

2 thoughts on “吉見俊哉

  1. shinichi Post author

    ネットがあれば知識はいらない? 「学ぶこと」についてiTunes Uで学ぼう!

    by 笠井美史乃

    http://iwire.jp/news/2012/01/15/002/

    「ネットとリアルのあいだ-知のデジタル・シフトとインターネット社会の未来-」–学術俯瞰(東京大学)

    東京大学がiTunesUで配信している講義の中に、「学術俯瞰講義」というシリーズがある。これは、あるテーマに対して、数名~十数名の教授や研究者らが文系理系の枠を超え専門の立場から講義を行う形式になっているもので、効率的な受験勉強を身につけてきた学生たちに「知」の大きな体系や構造を知ってもらうことを目的としている。プールでトップを獲ったスイマーが大海を知ることで、競争心でなく探究心で泳ぎだす、そのきっかけ作りということだろう。

    今回紹介する「ネットとリアルのあいだ -知のデジタル・シフトとインターネット社会の未来-」は、2010年の夏学期に実施された講義。インターネット(およびそれが含む情報)に焦点を当て、それを支える技術と、それらがどう社会に浸透しているのか、またこの新しい知と経験の世界が人間の行動や法秩序にどのように変容させつつあるのか、などについて考えを進めていく構成になっている。

    初回の授業では、前半でこの講義のコーディネーターである吉見俊哉教授が、講義のテーマについての問題提起を行う。曰く、インターネットで誰でも手軽に知りたい事を調べられる世の中において、知識を生産する場である大学は今後どのような役割を果たして行くべきなのだろうか。書物とネットの情報は何が違うのか。ひいては、学ぶべき知識とは一体何なのか。

    教授は「大切なのは膨大な情報をどう構造化して行くか」であると述べる。情報が結びついてできた”関連性”こそが知識で、これらをどう結びつけ、構造化するかを学ぶことが学問の本質であり、それを行う能力を身につけてもらうのが大学がなすべきことである。大人になってから勉強を面白いと思うのは、社会生活の中でこの本質を知ったからだろう。その意味で、この学術俯瞰講義シリーズは本質を知った大人にこそ知の入り口として意義あるものだと言える。

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