実のない社会

 テクノロジーに導かれた社会では、誠実さが通じない。AI には、まごころがわからない。誠実さもまごころもない社会には、実がない。
 生きるのは良いこと、死ぬのは悪いことというあまりにも安易な価値観がまん延し、その結果、死を迎えた人が死なず、寝たきり老人が増える。
 そんな価値観で生きる人たちにバイオテクノロジーの進化は理由もなく受け入れられて、細胞や遺伝子を操作することまでが素晴らしい進歩とみなされる。細胞や遺伝子を弄ぶことがどんなに危険か。気づいたとしても何もできない。つくづく、無力であることを感じる。
 最近では、脳のエンハンスメントと言って、ドーピングまがいのこと(というか、ドーピングそのもの)を堂々とする人たちが現れた。エンハンスしないほうが無責任だという論理さえ生まれてしまった。外科の手術の前にエンハンスしたほうが(つまりドーピング剤を使ったほうが)手術がうまくいく。ミスが減り、より多くの患者を救えるというわけだ。
 問題なのは、エンハンスメントなどということを公然と口にする人たちが多くなったことだ。テクノロジーの発達によってメンタリティが変わってきたというしかない。スポーツのドーピングにしても、衣服にしても、器具にしても、「どこまでが良くて、どこからが悪い」という線がなかなか引けない。
 エンハンスメントがより進んで、人を作り変えるようになってもいいのだろうか? 先端医療によって生まれた人造人間のような存在を、私たちは仲間として受け入れてしまっていいのだろうか? 素晴らしい業績を上げれば、スポーツが上手ければ、強ければ、それでいいのだろうか?
 より長く生きたい、より健康に生きたいという願望に支えられ、バイオテクノロジーの進化もあって、命に関する先端医療は加速度的に進歩している。そして気がつけば、多くの研究者や医療従事者が「人の命を作り変える」という神の領域に立ち入っている。
 倫理的に許されるかどうか真剣に考えることなく、人々の願望だけを優先し、命の意味も考えず、臓器を作り、入れ替える人たちを見ると、怒りすらこみあげて来る。
 ゲノム編集のように人が持っている性質を変えたり、遺伝子組換えのように人が持っていない性質を加えたりすることが、自分たちに許されると考えていること自体が不思議だ。
 地球上の生き物を人間の都合のいいように変えてしまったり、人間に都合のいい生き物を作ったりすれば、いったいどうなるのか。考えただけでも恐ろしい。
 でも、もう、バイオテクノロジーの進化は誰にも止められない。バイオテクノロジーがこれ以上ダークなものになっていかないように、世界中に通用するような倫理の確立が望まれるが、その兆しはまったくと言っていいほどない。

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