あっという間に消えてゆく社会

 テクノロジーの進化によって消えてゆくものがある。新聞が消え、テレビやラジオが消え、インターネット上のニュースもあっという間に消えてゆくのだろう。
 新聞を定期購読し新聞というメディアを信じている世代が、新聞など見向きもしない世代に置き換わった時、多くの新聞社は存在していない。
 インターネットでドラマやスポーツに慣れてしまった人には、止めたり戻ったりができないテレビを見ることは苦痛でしかない。
 インターネット上のメディアも、通信速度が速くなりデバイスが進化することで変容が加速していて、よりダイナミックでインタラクティブなメディアが出てくるのは時間の問題だ。
 社会が未成熟だった頃には、「知識人が多く集まったメディアが、無知蒙昧な大衆を教え導き、世論を形成する」というモデルが成り立っていた。社会の木鐸などと言われ、ジャーナリストたちにはそれなりの自負があった。
 インターネットのおかげで、社会の担い手たちにも、それぞれに、それなりの集合知が出来上がっていて、専門に関してはジャーナリストたちの集合知をはるかに上回っている。
 事実を伝えるのはネガティブな影響が多いからといって、事実ではなく真実を伝えようとか、正義を伝えようなどと思い上がってしまったジャーナリストたちを、社会はもう必要としていない。専門のことについては、ジャーナリストではなく専門家の言っていることを聞きたいと思うのはごく自然のことだろう。
 インターネット上には情報が溢れかえっている。ニュースひとつとっても、その量は人の手には負えない。次から次へと置き換わるニュースの信頼性をチェックすることは、もう誰にもできない。世界中のニュースをカバーしている人は、ひとりもいない。
 どんなことに興味を持ったとしても、次々に押し寄せて来る情報のせいで、興味は持続しない。せっかく地球温暖化に興味を持った若者がいても、次の瞬間にはセルティックの古橋亨梧選手のことに興味が移ってしまう。
 テクノロジーの進化もあって、製品のモデル番号は毎年のように変わり、古いモデル番号の製品は安くしても売れない。
 なにもかもがアッという間に変わる社会では、コンセンサスはとれない。みんなが饒舌なのに、議論が収束しない。何が重要で何が重要でないかというような基本的なことすら、コンセンサスはとれない。どんな社会が望まれるのか、社会はどのような方向に向かえばいいのか。誰にもわからない。
 地球温暖化とか、海洋汚染、水質汚染、大気汚染、森林破壊などといった人間にとって最重要の地球環境についてでさえ、コンセンサスは生まれない。地球温暖化の科学的なデータを前にしても、地球温暖化はでっち上げだという人は多い。汚染や環境破壊についても、事実が意見によってねじ曲げられる。
 テクノロジーが進化しビッグデータが大きな影響を与える社会では、人は真実を必要としていない。誰もが信じたいことを信じる。
信じさせたいデータをビッグデータのなかに充満させておけば、やがてそれが社会の民意になる。まっとうな意見とくだらない意見の違いがわからないテクノロジーが選び取るデータは、大勢を占めるくだらない意見ばかり。まっとうな意見の出る幕はない。
 コンセンサスのない社会で生きてゆくのは、そして、すべてのことがあっという間に消えてゆく社会に適応していくのは、そう容易いことではない。

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