疲れ果てた社会

 テクノロジーの進化についていけば、人間は楽しく生きることを忘れ、仕事の枠組みの中で能力を最大限に発揮する社会の機能になってしまい、過剰な疲労でいっぱいになってしまう。
 テクノロジーの進化に後れを取れば、進化した社会に後れを取り、進化した社会と同じようなアウトプットをテクノロジーなしに出さねばならなくなり、疲れ果ててしまう。
テクノロジーの進化についていっても、ついていかなくても、いずれにしても疲れ果てる。どちらにしても社会は能力社会になってゆく。
 能力社会での疲労は孤独だ。孤独は、人と人を離れ離れにし、孤立させる。孤立した人たちはコミュニケートできずに、インターネット上のバーチャルな社会に存在を求める。その結果、孤立した人たちは疲れ果てる。
SNS の「いいね」で安心をし、閲覧数に一喜一憂し、疲れ果てる。インターネット上で見せる自分と実際の自分との乖離で自己嫌悪に陥り、疲れ果てる。
 カネに魅せられた人たちが、1分1秒を惜しんでインターネット上で売り買いをし、疲れ果てる。
 テクノロジーの進化がビュロクラシーに合うわけもなく、官僚組織は時代に取り残され、テクノロジーを取り入れられずに衰退してゆく。テクノロジーの進化に合わない会社組織も衰退してゆく。テクノロジーの恩恵にあずかることができない官僚組織や会社組織のなかで、人は絶望し、疲れ果てる。
 テクノロジーの進化に触れて、人は疲れ果てる。そして、社会もまた、疲れ果てる。

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