暴走を止められない社会

 テクノロジーの進化が進んだ結果、テクノロジーを利用している人たちが、自分たちが使っているテクノロジーを止められないという困った状況があちらこちらに生まれている。人間の浅薄さが生んだテクノロジーの悲劇である。
 経済原理を優先させた人たちがテクノロジーを持つと、地球環境をあっという間に破壊してしまう。どんなものも乱獲し、そしてとり尽くし、ただでさえ少なくなってきている魚の漁獲量はゼロになり、希少動物は絶滅する。石や木や水といった「とり尽くしてはいけないもの」までもとり尽くした時、人間は終わる。
 人間のすることだから、今までの「普通」であれば、とり尽くす前にやめる。石炭がなくなる前に石炭の採掘をやめ、石油がなくなる前に石油の採掘をやめる。ところが AI に代表されるテクノロジーは、とり尽くすのをやめない。ニューノーマルのなかで、限度を知ることなく、とって、とって、とり尽くす。テクノロジーはまた、さまざまなものをあっという間に劣化させる。土を劣化させ、水を劣化させ、空気を劣化させる。
人間が作り出したテクノロジーの悲劇は、休むことができないことと、何も元に戻すことができないことだ。休みなくとり尽くしたものも、休みなく劣化させたものも、何ひとつ、とり戻すことができない。
この国が悪いとかあの国が悪いとか言っているうちに、そしてまた、あの会社が悪いとかこの会社が悪いとか言っているうちに、テクノロジーの進化は加速度的に進んでしまい、もう誰にも「進化するようにプログラムされたテクノロジー」を止めることはできない。
 最後の希望は地球の力だ。地球のエコシステムのほうが、人間のテクノロジーよりも強いと思いたい。地球のエコシステムが牙を剥き、人間のテクノロジーを破壊するのを夢見る。ただ、そんなことが起きた時には、人間は終わっている。
人間が終わらないためにも、地球環境の破壊を防ぐためにも、まずテクノロジーを人間の手に取り戻さなければと思う。そして、テクノロジーを使って何をしようとしているのか、もう一度深く考えなければと思う。

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