尹雄大

ある意味で、滑らかに話せる人というのは、独自の言葉でしゃべる試みとは無縁だから可能だとも言える。
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みんなと同じという独自性のなさは、自分という存在の凡庸さを思わせる。けれども、そのように自らを卑小だと思ってしまうことそのものが、社会が期待するような傷つき方や憤懣を育む文法のなせる技だとしたらどうだろう。
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この島に住んでいると感じるのは、絶え間なく「普通」についての教育を受け続けていることだ。脱稿やメディアに限らず、僕らが普通だと信じてやまない価値を参照し、その通りに行動することによって「普通」は無自覚に学習され続けている。その教育の結果、もたらされるのは「同化」だ。
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教えられた通りの考えを身につけ、それによって善し悪しでジャッジする。それを普通の感性と言うのであれば、いずれは新しい出来事が起きても、従来の考えの内に収めることに満足を覚えるだろう。だが、それとは別の道がある。教えられたことをもとにして独自に学び、自らを育てていく。そこで初めて自立に向けた歩みが始まる。

9 thoughts on “尹雄大

  1. shinichi Post author

    つながり過ぎないでいい——非定型発達の生存戦略

    by 尹雄大

    コミュニケーションや感情表現が上手できないと悩んだ著者はやがて、当たり障りなく人とやり取りする技術を身につけていく。

    だが、難なく意思疎通ができることは、本当に良いこと、正しいことなのか。
    なめらかにしゃべれてしまうことの方が、奇妙なのではないか。

    「言語とは何なのか」
    「自分を言葉で表現するとは、どういうことなのか」

    自分だけのものであるはずの感情を、多くの人に共通する「言葉で表す」ことなど、どうしてできるのだろうか。
    そして、人に「伝える」とはどういうことなのか。

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    1章 それぞれのタイムラインを生きるしかない——定型発達という呪縛

    2 非定型に発達しているだけ

    いろんな背景を持つ人の話を聞く体験を経て知ったのは、「人とうまくしゃべれてしまっていることがそもそも奇妙なのではないか」という疑いを多くの人は持っていないということだった。「話せるはずなのに、そうはできていないのはなぜなのか?」という問いの立て方をしている。しかも「しゃべれてしまっている」が「相手のことがわかるはずなのに」という期待と対になっている。これは本当に不思議に感じる。僕にとっては「しゃべれてしまっている」という状態こそがいまなお謎だからだ。

    一般的には「人というのは、なんとなく話せるようになるし、なんとなく話す中でなんとなく相手のことがわかるものだ」という理解がされている。それも一応わかる。だから「なんとなくできるようになる」といった成長曲線を描くパターンを「定型発達」と呼ぶのもうなずける。

    ただし、その肝心の「なんとなく」がわからないし、僕みたいに「この歳になればこれができる」といったマイルストーンを達成できない人がいるのも確かだ。「一般的に人間とはそういうものだ」の視点から見ると、定型発達できない側を「定型発達障害」と呼んで差し支えないと考えるかもしれない。でも、それは〈非「定型発達」〉な状態なのだと声を大にして言いたい。

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    3 定型発達人の常識と非常識

    「できない」という必然性がある

    定型発達者の文化では「できる」がひどく尊重されているけれど、そこで見逃されているのが、「できない」という必然性だ。できないにはできないなりの理由が、ストーリーがある。その必然性は定型発達できてしまう文化圏の人からは訳がわからないものに見える。

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    4 現実はいつもまだら模様

    統合された人間観をもとに生きている

    この現実と呼ばれる世界を生きる中で、僕らは知らず知らずのうちにこういうモデルを想定しているはずだ。

      自己という主体があり、それは分割されていない個人である。
      個人が生きて活動することで世界が認識される。また世界に働きかけることで物事が実現する。

    「うまく」を前提にした生き方の基礎には、「人というのは統合されているはずだ」という人間観がある。だけど、まだらの世界は、そうではない。自分がまとまったひとつの主体とは到底思えない出来事がたくさんあった。

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    できない状態をきちんと体験する

    感情教育の目的はバラバラを統合するという、世間で出回っている人間観を獲得するためのタイムラインに乗るところになかった。統合をまぬかれ、まとまらないままでいるために僕は自らに教育を施していったのだと思う。

    僕たちは絶え間なく「普通」についての教育を受けている。学校やメディアに限らず、普通だと信じてやまない価値に伺いを立て、その通りに行動することによって「普通」は自律的に学習され続けている。世間がまだらに見える視点からすれば。その教育システムは「同化」でしかない。そう直感している。日常の中で、僕がひとつの主体に回収され、統合されるのは堪え難い苦痛であり、何より狂気なくしてありないと思っている。

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    2章 胚胎期間という冗長な生き延び方

    3 感情で話すことの困難さ

    同時代の感受性から遅れてみる

    人がコミュニケーションという他者との関わりの中で望むものは、共感すらできないところにある自身の中にいる「知らない自分」との出会いだ。そこに自身の可能性を感じる。それは本人が口にする言葉の群れには姿を容易に見せない。自覚しないところに潜んでいる。言葉を介した対話だけに注目していては、そこまで深く潜ることはできない。共感は共感できなさに手を伸ばすためにある。共感それ自体に意味があるわけではない。

    本当に話さなくてはならない、聞かれなくてはならない話は、安易な共感を拒むだろう。どこかで僕らは微笑みやうなずきに出会うたびに、「何もわかられていない」という思いをたくましくしているのではないか。共感や意味の理解のその先に向けた言葉というものがあるはずだ。

    (・・・)

    共感し、気持ちに寄り添う。傾聴し、感情と向き合う。この時代が要求する感性や同世代の価値観をあまり共有しないほうがいい。あえて遅れようと作為的にするわけではないが、共有を図ろうと迫ってくる早さを遅くするくらいの距離を保つ方が自分を保てるのではないか。長らくぼーっと過ごしてきた僕はそう思う。

    **

    4章 自律と自立を手にするための学習

    2 鏡越しの姿は本当に自分なのか

    弱さを排除し、強さを獲得する。そうした道のりを進んでいくのが人格形成であり。「自己同一性」(アイデンティティ)を得る過程でもあると考えられている。そういう人間像をこしらえている意味が時折わからなくなる。実体にそぐわない使い勝手の悪い発想だと思えて仕方ないからだ。

    僕らはなぜか自分の身体がひとつの存在で、それを通して物事を理解し、感情に働きかける、といった一連の関わり方を疑わなかったりする。

    (・・・)

    アイデンティティという「自意識が作り上げた像」をどうして信頼するようになったのだろう。自意識が発達し過ぎて、自分の内面に対してすら直観が働かなくなったせいなのか。「自分の思う自分が自分なのだ」と確認するような仕草は、たとえて言えば鏡に映った姿を自分だとするようなものだ。

    **

    罪悪感なしに否定する

    一般的には鏡に映った自分が自分だと確かめる行為が当たり前だし、その感性を標準として生きている。だから鏡像をもとにした他者評価を踏まえない言動は「利己的」と呼ばれ、「主観でしかものを言わない」と非難され、協調性を求められる。

    (・・・)

    僕らは自分の直観と体感覚と体験を顧みず、他者の考えを無闇に信頼し、自分を否定する行為を重ねた分だけ明晰さが向上すると勘違いしがちだ。いわば自分を拒み、他者に従うやり方に長けている。それを止めるには、とりあえず自分を認め、他人を受け入れない態度が欠かせないだろう。

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    拒絶に善し悪しはない

    他人を拒むことに気まずさを覚えるとしたら、その気まずい感情と感覚をよく観ないといけない。そもそも拒むこと、NOと宣告することがよくないという先入観をどこで身につけたのだろう。拒否は単なる拒否であって善いも悪いもないはずだ。だけど、そこに善し悪しをつけているとしたら、何が原因だろう。

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    5章 絶望を冗長化させる

    1 誰にとっての客観的事実なのか

    なぜ「ほとんど同じ」ばかりに注目するのか

    ある意味で、滑らかに話せる人というのは、独自の言葉でしゃべる試みとは無縁だから可能だとも言える。没個性を恐れないタフさを備えているかもしれない。それに同時代の文法をやすやすと口にするという呪いにかかっていることすらいとわない。あるいは気づけない鈍さがあるからこそ言葉が社会と現実をなだらかにつないでいるのかもしれない。

    みんなと同じという独自性のなさは、自分という存在の凡庸さを思わせる。けれども、そのように自らを卑小だと思ってしまうことそのものが、社会が期待するような傷つき方や憤懣を育む文法のなせる技だとしたらどうだろう。当たり負けしない地力はこういうときにこそ必要なのだ。

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    内語という最も身近で謎の言葉

    こもって意味にならない音。心の中に確かにモヤモヤとしたものがあると感じてはいても、はっきりと名指すことのできない、いわば感覚以前の何か。それが曖昧模糊としたものを「内語」と呼んでもいいのかもしれない。

    (・・・)

    僕はこのもつれた音を内語として見出した。そしれ、これこそが第一言語ではないかと思う。日本社会に生きていると第一言語が日本語になるし、それを誰も疑わない。しかも第二言語を用いて話す機会も少ない上に、なまじ日本語が互いにしゃべれるものだから言葉は通じるはずだし、「わかってくれるはず」という期待を相手に持ってしまいがちだ。

    **

    日本語に馴れてしまわない

    その幻想を背景にして、共感をやたらと重んじる文化が育成されたのだと思う。あるいは「普通は————」といった話法をすらすらと用いたり、他人と自分とは異なる存在ではないく、みんな同じなのだともたれかかることを良しとする常識を疑わないようになる。

    だが、内語が第一言語になると、それを日本語という第二言語に翻訳する工程が生じる。必然的に個人と言語の間に緊張が走る。それまで日本語を自然にしゃべれていると感じていたのは、日本語への馴れ馴れしさがそう思わせていただけで、日本語の側からすれば違うのかもしれないとわかってくるだろう。つまり日本語が他者として姿をはっきりと示してくる。

    内語と日本語の距離が明らかになると、これまでの僕は内語を翻訳せずにそのまま出そうとしていたのだと気づく。そうではなく、まず日本語に内語の意図をわかってもらう必要がある。

    **

    理解を阻む絶対的な孤独

    悲しみという他者

    幼い頃から感情と自分のあいだに距離があった。だからなのか。四十一歳から始めた感情教育を経て知ったのは、感情の向こう側を見るのは容易だということだった。自分を襲う悲しみについても「悲しい」という状態に埋没しないで、感情の出所を見つめることができた。

    (・・・)

    直観的にわかっていたのは、たとえば「僕の悲しみ」というとき、そこに「の」という所有格があることだった。

    (・・・)

    内語に接近する上では、こうした感覚と感情と言葉の隔たりをわきまえているかどうかは、かなり重要なはずだ。感覚と感情と言葉の根元にある他者としての内語は、どれだけ密になろうとしてもすれ違うしかない存在だ。内語は僕らの内にいる絶対的な孤独の化身だ。

    絶対的孤独であるのだから、そもそもが他人と共有できない言語だ。内語の外にある日本語は他人と分かち合えるだろう。けれども、特に胚胎期間を必要とする人たちの一人ひとりの抱える膨大な内語は、誰にも理解できないかもしれない孤独な言語なのだ。

    **

    3 教育を取り返す

    教えられた言葉ではなく、身の内から湧いてくる自身の言葉や思いは何か。世間に目は向けても、そこに注意することを怠ってきた。educate(教育する)には「自分を育て上げる」という意味がある。自律的に学ばないと、もう立ちゆかない世界が始まっている。それを胸に刻みつけたい。

    **

    無自覚に学ばれた「普通」で明晰さを失う

    この島に住んでいると感じるのは、絶え間なく「普通」についての教育を受け続けていることだ。脱稿やメディアに限らず、僕らが普通だと信じてやまない価値を参照し、その通りに行動することによって「普通」は無自覚に学習され続けている。その教育の結果、もたらされるのは「同化」だ。

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    「自分は何者か」という問いに潜む陰影に気づく

    教えられた通りの考えを身につけ、それによって善し悪しでジャッジする。それを普通の感性と言うのであれば、いずれは新しい出来事が起きても、従来の考えの内に収めることに満足を覚えるだろう。だが、それとは別の道がある。教えられたことをもとにして独自に学び、自らを育てていく。そこで初めて自立に向けた歩みが始まる。

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  2. shinichi Post author

    尹雄大(ユン・ウンデ)公式サイト

    インタビューセッション全国で募集中

    https://nonsavoir.com/archives/3585

    インタビューセッションとは?

    「自分が何者であるか?」を純粋に探求する時間です。
    私たちは「自分には価値がない」だとか「能力がない」とか、自身の価値を低く見積もることを当たり前にしています。
    セッションは、そのような長年かけて養ってきた自己像の向こう側にある、本来備えているはずの明晰さを求める場であり時間です。

     

    安心で安全な時間を提供

    セッションを受けられる方は、家族やパートナーとの関係、「やりたいことが見つからない」といった問題や悩み事を話されます。問題や悩み事を解決する方法を一方的に伝えたり、「それはよくないから、こうした方がいい」といった、私の個人的な価値観で良し悪しのジャッジしません。

     

    問題解決もジャッジもせず、ただ聞く

    問題解決をしようとすると、今の自分を否定するか。理想の自分になろうとする努力が必要です。今の自分以上の何者にもなれないのに、違う人物になろうとする試みは、解決とほど遠い回り道です。
    うまくいかないことは、うまくいかないだけの理由があります。そうせざるをえない自分の内にある言い分に耳を傾ける必要があります。内側の自分と話すことで光明が見えてくるかもしれません。

    セッションの流れ

    対面・オンライン・散策から選んでいただきます。うまく言おうとせずとも結構ですので、思うままにお話ください。
    なおセッションの内容は録音いたしますのでご承知ください。文書化を必要とされない場合、希望者には録音データをお送りします。他の目的で使用することはありません。

    散策セッション

    向き合って話しをすることに緊張を覚える方もいらっしゃるので、合間に散策をしながらのセッションも行います。時間の配分は対面60分、散策30分をめどにします。
    京都ですと哲学の道あたり、東京では代々木公園や六義園、谷中霊園、根津あたり、その他にも申し込みされた方のお気に入りのところで行いたいと思います。料金は対面と変わりません。

    日時と場所について

    ご希望の時間をお知らせください。調整の上、ご返信します。なお場所は主に吉祥寺もしくは恵比寿近辺のマンションのレンタルスペースを利用しています。
    ★閉塞した空間を避けたい場合はご相談ください。

     

    【東京での開催予定:2022年6月】
    6月8〜15日

    希望される方は日時を指定の上、ご連絡ください。
    場所は吉祥寺もしくは恵比寿近辺です。
    現在、京都に住んでおります。関西方面にお住まいでご希望の方は常時受け付けております。

     

    ★申込方法
    nonsavoir@gmail.com宛に氏名、希望日時、連絡先を明記の上、お送りください。
    不明なことがありましたら、その旨も表記ください。

    ※基本的には東京近郊で行っていますが、地方にお住いの方も打診いただければ伺うようにしています。

    【料金】対面・散策
    90分:2万円
    文書化は別途1万円いただきます。

    オンラインでのセッション
    90分:1万5000円
    文書化は別途1万円いただきます。
    なお当日連絡なくキャンセルされた場合は全額お支払いいただきます。

     

    守秘義務について
    セッション中に伺った話や個人情報は公開しません。
    安心して話せる環境づくりに努めます。

    ★こんな方におすすめです。
    ・自分の話したいことややりたいことの核が見えない。
    ・自身が体験したことの整理がつかない。
    ・深く潜るような話をしたいけれど、なかなか話す機会もなく、身近な人に聞いてもらえない。

    ★インタビューセッションに興味はあるけれど、何をやっているかわかりません。教えてください。
     話したいことに沿った最小限の質問を行います。良し悪しのジャッジはしません。問答の中で本人が自分で何かを見出すためのガイドを行います。人によっては「マインドデトックス」のようなものとして感じられるかもしれません。

    ★どういった人がこれまで受けていますか?

    女性が9割を占めています。みなさん最初は「何を話していいかわかりません」と言われます。けれども実際は、滑らかでなくても非常に豊かな言葉を持っていることが多いです。その人独自の体験とそこから得た文法を持っているからこそ起きる現象ではないかと思います。彼女たちの言う「何を話していいかわからない」とは、既存の枠組みに当てはまらない話を豊かに持っている証だと私は感じています。

    ★体験者の感想(対面)
    「講座やカウンセリングだと、たまに『ここは俺の場だ』といった圧をかけてきて、その場の作法に則らないといけなかったり、こちらにぐいぐい入ってくる感じがしたりするので苦手なこともありました。インタビューセッションでは、そういう圧がなく、おびやかされる感じがなくてよかったです。言わせたいことを言わされた感じがなく、自分で考えて出てきたことに自分が納得できたと思います」

     

    「インタビューされているというよりは、興奮して自分語りに陥っているだけの私でしたが、ひと息おいた合間合間に溢れ出した感情の“核心”とは何か?を導き出すような質問が入り、ぐるぐるの回廊にあった思考と感情がその都度、新たな活路を示され流れ出すようでした」

    「セッション後、ゆっくりと裡側で変化が起こり、かたく握りしめていたものを手放せることに驚きと言葉に表せない不思議な感覚に包まれています。やりとりを通して正誤も善い悪いもなく起きたことを起きたまま観るという『何か』を顕していただけたと感じています」

    「自分の思いや考えが全然ないことがコンプレックスだったのですが、なかった訳ではなく、ただ無視していただけだったことに気が付きました。常にある自分の思いを『これではない』と見えなくしていたんだと思います。
    インタビューセッション中は、自分の中に浮かんでくるすべてが信じられました。言葉を迷わず口に出せました。恐れや『こうありたい』というような自分の理想が入り込む余地がなかったです」

    ★散策インタビューセッション体験者の感想
    「これまで口に出してこなかった自分の奥深くのことを、じっとしながら話すこと、聴いてもらうことはとても緊張するので〈散策セッション〉を選びました。
    話を聴いて、質問や合いの手を出してくれる人が隣にいることにも安心できました。これまで、真剣な話をするときは、顔を見合わせることが大切だと思いこんでいたけれど、そんなことはないんだなと思えました。
    言葉が出てくるまで待ってくれたり、問いかけを変えてくれたりしたので、文脈としては繋がらないかもしれないけど、なんとか言葉にすることができました。今回の体験で、自分の核心が明らかになったわけではないですが、怯えずにそれを探求しつづけていける、お守りのような時間になりました」

    Reply
  3. shinichi Post author

    2024年3月29日(金)

    普通とは何か?

    今週の書物/
    『つながり過ぎないでいい』
    尹雄大著、亜紀書房、2022年刊

    マスコミなどが「今はこういう時代だ」と言ったとき、私は少なからず反感を感じる。「現代はVUCAの時代だ」などという文章を目にすると、「今さら、何を言ってるんだ」と思ってしまう。VUCAという言葉は、Volatility(変動性)、Uncertainty(不確実性)、Complexity(複雑性)、Ambiguity(曖昧性)という4つの言葉の頭文字をとった造語で、もともとは冷戦時代のアメリカの軍事用語。それがいつのまにかビジネスでも使われるようになり、コロナ禍以降には日本でも使われるようになった。

    「VUCAの時代」と言われても、ゆったりと落ち着いた暮らしをしていれば、なんのことやらわからないだろうし、「変革の時代」と言われても、変革とは関係なく生きていれば、なんの変りもない。「こころの時代」だからといって心が豊かになるわけではないし、「明るい時代」でも失意は襲ってくる。

    日本の社会は、不思議なくらい「同化」で成り立っている。みんなが「こう」だったら、私も「こう」でなければならない。みんなが「ああ」だったら、私も「ああ」でなければならない。そんな同調圧力が社会に充満している。

    外国から日本に帰って来て一番つらいのは、日本の普通であり、日本の常識だ。同じでなくても、いいではないか。そう思っていても、違う考えを持っていると「けしからん」とか「看過できない」といった言葉を感じる。なんともつらい。

    こういう社会を生きづらいと思う人もいる。適応障害を発症する人も少なくはない。それでも多くの日本人たちは、日本の社会を快適と感じているようだ。外からの目で日本人を見ると、子供のころからの教育で同じような考え方をし、同じように生きているように見える。

    でも、果たしてそれは現実だろうか。同じことを考えているというのは、本当だろうか。日本の普通や日本の常識なんて、ただの幻想なのではないのか。「けしからん」とか「看過できない」と言われても、私はちっとも気にならない。でも「気にならない私」が、言った人をさらにいらつかせる。そんな時私は、心から「帰ってこなければよかった」と思う。

    で今週は、「伝える」ことを突き詰めた著者による一冊を読む。『つながり過ぎないでいい』(尹雄大著、亜紀書房、2022年刊)だ。「人とうまくしゃべれてしまっていることがそもそも奇妙なのではないか」という疑いを持ち、「話せるはずなのに、そうはできていないのはなぜなのか?」と問う尹は、どこまでも自分に正直だ。

    「なんとなく話せるようになり、なんとなく相手のことがわかるようになる」のを、尹は「定型発達」と呼ぶ。それに対し、「なんとなく」がわからなく、「この歳になればこれができる」といったマイルストーンを達成できない人を「非定型発達」と呼ぶ(尹は自分のことを「非定型発達者」だと思っている)。

    この本のなかには、「定型発達者」の文化のなかで生きなければならない「非定型発達者」の難しさが、列挙されている。尹は言う。

    僕たちは絶え間なく「普通」についての教育を受けている。学校やメディアに限らず、普通だと信じてやまない価値に伺いを立て、その通りに行動することによって「普通」は自律的に学習され続けている。世間がまだらに見える視点からすれば。その教育システムは「同化」でしかない。そう直感している。日常の中で、僕がひとつの主体に回収され、統合されるのは堪え難い苦痛であり、何より狂気なくしてありないと思っている。

    そういう感性を持って、尹はありとあらゆるものに疑問を感じ続ける。自分の身体はひとつの存在なのか。アイデンティティを信頼していいのか。自分の思う自分が自分なのか。鏡に映った姿は本当に自分なのか。

    その上で、尹は多くのことを否定してゆく。「共感し、気持ちに寄り添う」とか「傾聴し、感情と向き合う」といった「時代が要求する感性」や「同世代の価値観」を否定する。他人を拒むことに気まずさを覚えない。ノーということがよくないという先入観を捨てる。

    考えながら話せば、滑らかに話すことなどありえない。滑らかに話せるのは、独自の言葉でしゃべらないからだ。そんな考えから、滑らかに話せる人のことを、没個性を恐れないタフさを備えた人という。

    言ったことは通じると思うことや、わかってもらえるると思うことを、尹は幻想だという。その幻想を背景にして、共感をやたらと重んじる文化が育成され、みんな同じなのだともたれかかることを良しとする常識が生まれるという。

    絶え間なく「普通」についての教育を受け続け、普通だと信じてやまない価値を信じ、その通りに行動することによって「普通」は無自覚に学習され続け、その教育の結果、「同化」がもたらされる。それが尹の観察だ。

    では、どうしたらいいのか。尹の考えはこうだ。

    教えられた通りの考えを身につけ、それによって善し悪しでジャッジする。それを普通の感性と言うのであれば、いずれは新しい出来事が起きても、従来の考えの内に収めることに満足を覚えるだろう。だが、それとは別の道がある。教えられたことをもとにして独自に学び、自らを育てていく。そこで初めて自立に向けた歩みが始まる。

    尹が書いたのは、あくまでも尹自身のことだ。「定型発達者」の文化のなかで「非定型発達者」の尹がどう生きてゆくかという、切実なことが書かれている。でも、この本は、同質のなかであぐらをかいている日本社会への警鐘ではないか。

    日本人男性だけで構成された取締役会を不思議と思わない日本の会社。何の法的根拠も持たずに弱い者たちだけを痛めつける日本の行政。そういうものを壊すには、まず日本の普通や日本の常識を見直すことが必要なのではないか。そう思わせる本だった。この本がくれた多くの気づきを、これからの暮らしの中で生かしていこうと思う。

    最後に、この本の帯に書かれていた文章を付け加えておく。

    自身の生き難さを生きることは
    他の人にはできない。
    それを生き切ることが、
    自分への尊重に
    つながるのではないか―――

    Reply
    1. Bittersweet

      Bear the unbearable
      Author wrote and it resonates
      “The act of typing words with your hands without knowing each other’s voices is unbearable.”

      Life’ Experience
      Happiness has all kinds of sweet flavory
      Everyone wishes for more and desires to last
      Bitterness in mouth,
      Spit out instantly so fast, human’ nature.
      But love swallows the bitterness
      Bear the unbearable

      To learn
      To like the bitterness of dark chocolate by thinking its benefits for a better health far exceed milky one’s
      Each bite you tastes bitterness you can
      Identity the similarity of its coco family.

      Reply
  4. Pingback: めぐりあう書物たちもどき | kushima.org

  5. shinichi Post author

    はじめまして 尹雄大より

    2023年9月1日掲載

    https://daiwa-log.com/magazine/yun_irina/life01/

    初めまして。

     こんなふうに書き出しておきながら妙な感じがします。イリナさんとは、まだ実際にお会いしたことがないのは確かではあっても、拙著に推薦文を頂戴したり、SNSで何度かやり取りもさせていただいているからでしょう。初めましてではあるものの、そうでもないような。遠さと近さが同居しています。ともあれ、これからしばらくの間よろしくお願いします。

     さて、この企画は、イリナさんと往復書簡をしてみたいとある日急に思い立ったことが始まりでした。私からの最初の便りですから、ことの発端についてまずは書こうと思います。

     きっかけは、イリナさんの書かれた『優しい地獄』を読んだことにありました。この本に描かれたルーマニアと日本の情景の描きぶりに、「こんな日本語を読んだのは初めてだ」という驚きが読んでいるあいだずっと続いていたのです。もちろん、それは「外国人でありながら日本語が達者だ」というような次元のことではありません。もっと根源的なことです。

     イリナさんの視界があり、捉えている世界があって、その見えている世界の縁にはさまざまに入り混じった感情が滲み出ている。そこに私は魅了されたのだと思います。

     たとえば、今を盛りの花の色についてではなく、いたずらに色褪せていく様子を仔細に描こうしていると感じます。悲傷な出来事を描くにあたっても、ただ繊細であるのではなく、四肢にまで行き渡る力の張り、みなぎりがあると私には思えるのです。その熱量の反面、それ自体を孤独に観ている女性が佇んでいるのをはっきりと認めます。

     キノコや果実酒、古い修道院、草花の匂い、身体につながれたチューブの数々、声を出せないほどの痛み、野良犬、団地の前に開いた大きな穴と動物の死骸。カビの匂い。廊下で踊る少女。それぞれが順序だって書かれているはずなのに、思い出そうとすると脈絡を失う夢の情景のように感じます。それでいて暮らしの隅々に行き渡る記憶がみっしりと詰まって、ルーマニアの現実を堅く構成している。それは私の知らない出来事だらけでした。

     イリナさんの故国は、私にはまるきりの異国です。冷戦時代の最中に成長し、東欧についての国情を社会主義という体制越しにしか捉えていなかった世代です。ですから、ルーマニアと聞くとやはりチャウシェスクという人物で代表させるほかない。そんな表層的な見方に終始していました。

     そうした印象の外に日常があり、それを支える自然があるのは当たり前の話ではあります。制度やイデオロギーがどれほど強く人々を拘束しようとも、そこからはみ出るのが山河というもので、ルーマニアで生きている人にとっては、当然ながら手で触れられる土があり、頬を撫でる風があり、雨にぬかるみ足を取られる日もあれば、同じ土が乾いた日には砂埃として舞う。日々異なった姿を見せる。それが現実でもあるわけです。

     イリナさんの祖父が畑で汗を流し、鍬を担いで帰ってくる。ワインを作り、菊を育てる。そういったことをまるで想像していなかったとページをめくるごとに思いました。

     そうして、ここまで書いておいてチェルノブイルの雲や汚された森を思うと、人為の制度やテクノロジーが自然を覆った現実も厳然とあったと思い至ります。1986年4月、私は高校の国語の授業で、教科書そっちのけでチェルノブイルの原発事故の甚大さについて語った教師の不安げな表情を今でも思い出します。

     『優しい地獄』で描かれている世界は、日本からは遠く離れたルーマニアでの体験も多く書かれており、イリナさんの身体に生じた痛みを伴う体感もあるがゆえに、咀嚼するには難儀するはずです。

     ですが、普段の暮らしの中で、誰もがここでは当たり前のように口にする日本語が用いられているせいでしょうか。綴られている日本語が水のようにすっと身体に染み渡っていくのです。とても不思議でした。ただ、飲み慣れた軟水とは違う味わいではあるのです。見知ったはずの日本語が使い慣れた音をまるで奏でていない。美しい和音の不穏な響き。

     読み進めることは、飲むことをやめられないのにも似て、ごくごくと飲んでいきます。すると満ち足りるのではなく、自分の中に飢えがあったのだということに気付きます。イリナさんはこう書いています。

    「私がしゃべりたい言葉はこれだ。何か、何千年も探していたものを見つけた気がする。自分の身体に合う言葉を」

    「きっと新しい言葉を覚えたら身体が強くなる。日本語は、私の免疫を高めるための言語なのだ」

    「身体に合う言葉」「身体が強くなる」という表現に出会ったとき、この島では誰もが話せて当然と思われている日本語ではあるけれど、その同じ言葉を「違ったもの」として語ることへの、自身の飢餓感に気付いたのです。そのようなものとして日本語を話し、聞き、書きたい。

     あるいは「日曜日、村の古い修道院の礼拝に連れられて、礼拝の音や光を浴びた私の身体が懐かしい」という一節にばったりと出会ったときもそうです。

    「懐かしい」で済ますのではなく、「私の身体が懐かしい」というところに、日本語が日本語としてくっきりと立ち上がる姿を見るのです。日本語が日本語によって縁取られている気配を感じるのです。それは日本語が自分の外にあり、身につけるべきものであったという体験なしに生じない感性だと思うのです。

     勝手な想像ではあると思いながら、当て推量を下地にして私の日本語体験について述べます。ある時期を境に、私は「日本語をしゃべっている」という自覚が備わりました。

     私は在日韓国人の三世で、祖父母が半島から渡ってきました。両親とも韓国人ですが、韓国語は話せません。バイリンガルの家庭ではなかったので、体得すべき言語は日本語以外にありません。誰しも生まれたら、自然とその土地の言葉を身につけます。私もまたそうです。

     ですが、決して自然なものにしてはならないという掟が私の中に作られたのです。自然に身につけた日本語を我が身から引き離す感覚は、日本語を自覚的に喋らないと自分の身を守れない。それこそ身体が強くはなれないという切迫さと裏腹でした。そんな捻れた構えをある時期からとるようになったのです。そのときのことははっきりと覚えています。

     私が6歳のとき、十五夜に家族全員で月見をしました。ベランダの一角にススキを備え、三宝に団子を載せといったものです。我が家に限らず、1970年代の日本は、節分になると豆をまき、端午の節句には菖蒲湯、冬至には柚子湯に入りと律儀に年中行事を行うところも多かったと記憶しています。

     いつもは憮然とした表情を浮かべ、何かにつけて怒ることの多かった父がその夜は酒のせいか、珍しく陽気な様子でした。突然、母にこう言いました。「スッカラを持ってきて」。

     手ぶりから、それがスプーンを指していることはすぐにわかったのです。それを父は異語で呼んだ。反芻するように「スッカラ」とつぶやいてみました。それは呪文にも似て、口にした途端、これまで私の中に培われてきた暮らしの光景がガラッと組み変わるのを感じたのです。友だちや近所の人たち、いつも買い物に行く商店街。すべての景色がずれ、それまでの鮮明さが鈍くなるのを感じました。

     同時に盆や正月に親戚が集まって行う祭祀が急に生々しく迫ってきました。チェサと親族はそれを呼び、物心をついたときには、三拝し叩頭する男たちの列に私は加わっていました。

     チェサとは、先祖を供養するための儒教の儀式のことです。私は聞き慣れない言葉もそれまでは方言のように扱い、儀式の後に食べる料理ー真っ赤だったり胡麻油とニンニクの匂いが鼻をつくーをどれも当時の私には口に合わない食べ物としてしか見なしていなかったのです。それは出自を直視するのを避けていたせいかもしれません。ちなみに今は尹という姓ですが、当時は中村という日本名を名乗って暮らしており、だから周囲は私たちを日本人だと思っていたでしょう。しかし、私は日本語しか話せない異国人だということに、満月の夜に気づいたのです。

     日本語とは親密な間柄ではあるけれど、「身体が強くなる」ためにも日本語と私が癒着することを警戒しなくてはいけない。ここで生きていくには、迂闊にも日本語が私そのものであると勘違いしたら弱くなってしまう。それだけではなく、きっとしっぺ返しを喰らうに違いない。例としてふさわしいかわかりませんが、完全にドイツに同化したと思っていたユダヤ人が1933年を境に平手打ちを喰らったように。日本は平和な国なのになぜそんなことを想像する?と思うかもしれません。これについては機会を改めて書くかもしれません。 

     先ほどイリナさんの綴る日本語について「見知ったはずの日本語が使い慣れた音をまるで奏でていない」と述べました。同じものが違ったこととして用いられる。日本語に同化するのではなく、日本語を異化する。これはコミュニケーションの可能性につながるのではないかと思います。

     「生きづらい」がこの島で強い共感を得ています。確かに苦しい状況はあるでしょう。一方でそれは聞きなれた、見慣れた通りに日本語を自覚なしに用いている状態ではないかと思うのです。

     生きづらさという閉塞した時代という感覚を多くの人が共有している中、同じ言葉を別の形で用いるとき、互いが抱えている困難さを「生きづらい」という慣れた言葉に委ね、同化させるのではなく、解き明かす共通言語として働かせることができるのではないか。そんなことをイリナさんの書かれた本から感じています。

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