不可能性(大澤真幸)

オタクたちは、ほとんど麻薬中毒者を連想させるようなやり方で、ゲームやアニメにはまる。彼らが求めているのは、ほとんど虚構の意味(物語)の理解を媒介としない、神経系を直接に刺激するような強烈さである。それは自傷行為へのアディクションに似ている。ここには、将来テクノロジーが発達すれば、自傷の代わりに、ニューロンに直接強い刺激を与えることに耽るアディクションが出てくるのかもしれない、と思わせるものがある。人間は、神経系を備えた生理的身体として、つまりは動物としてのみ生きている、というわけである。

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もし、すべての個人の間に直接的で深い関係がなければ、活動的な民主主義は不可能だと言うことになれば、グローバルな社会の上にそれを構築することは絶望的である。しかし、今、小規模で民主的な共同体が分立しつつ、他方で、それらのどの共同体にも、外へと繋がる、外の異なる共同体(のメンバー)と繋がる、関係のルートをいくつかもっているとしよう。そうすれば、共同体の全体を覆う、強力な権力などなくても、何億、何十億もの人間の集合を、個人が直接に実感できる程度の関係の隔たりの中に収めることができるのだ。この直接の関係の上にこそ、述べてきたような活動的な民主主義を築き上げることができるのだとすれば、市民参加型でありつつ、なお広域へと拡がり行く民主主義は十分に可能だ、ということになるのではあるまいか。

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  1. shinichi Post author

    不可能性の時代

    by 大澤真幸

    「現実から逃避」するのではなく、むしろ「現実へと逃避」する者たち―。彼らはいったい何を求めているのか。戦後の「理想の時代」から、七〇年代以降の「虚構の時代」を経て、九五年を境に迎えた特異な時代を、戦後精神史の中に位置づけ、現代社会における普遍的な連帯の可能性を理論的に探る。

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    序 「現実」への逃避

    戦後という時代区分

    現実は、常に、反現実を参照する。われわれにとって、現実は、意味づけられたコトやモノの秩序として立ち現れている。意味の秩序としての現実は、常に、その中心に現実ならざるものを、つまり反現実をもっている。すなわち、現実の中のさまざまな「意味」は、その反現実との関係で与えられる。「意味」の集合は、まさに同一の反現実と関係しているがゆえに、統一的な秩序を構成することができるのだ。

    反現実とは何か? 見田宗介によれば、「現実」という語は、三つの反対語をもつ。「(現実と)理想」「(現実と)夢」「(現実と)虚構」である。これら三つの反対語が、そのまま、三種類の反現実に対応している。反現実は、それゆえ、見田によれば、三つの中心的なモードをもつ。

    ところで、日本近代史の専門家キャロル・グラックによれば、第二次世界大戦が終結してから六〇年以上も経過しているのに、なお「戦後」という時代区分が活きているのは、日本だけである。たとえば、同じ敗戦国であっても、ドイツやイタリアでは、「(第二次世界大)戦後」という一つの時代が持続しているという感覚は、失われている。それに対して、日本ではいまだに、「戦後」という区分が有効である。たとえば、安倍晋三が、首相として「戦後レジームの解体」をスローガンに掲げたとき、その語が通じたのは、日本人の中にまだ「戦後を生きている」という感覚があるからだ。

    その戦後という一つの時代を、現実を意味づけている中心的な反現実のモードを規準にして眺めたとき、見田宗介によれば、その反現実のモードは、「理想→夢→虚構」と遷移してきた。すなわち、戦後は、さらに、「理想の時代」「夢の時代」「虚構の時代」の三つに内部区分できる、というのだ。見田がこのようなテーゼを打ち出したのは、戦後四五年目にあたる一九九〇年のことである。彼は、その四五年を三つに等分したとき、その一つひとつが、ちょうど、「理想の時代 一九四五―六〇年」「夢の時代 六〇―七五年」「虚構の時代 七五―九〇年」のそれぞれに対応している、と主張した(見田『社会学入門』)。

    その五年後、つまり戦後半世紀を経たとき、私は、見田のこのテーゼを継承する議論を提起した。それは、一九九五年、阪神・淡路大震災の年であり、そして地下鉄サリン事件の年でもある。

    まず留意すべきは、「夢」というモードは、「理想」と「虚構」の両方に引き裂かれるような両義性をもっている、ということである。たとえば、「夢」という語は、「あなたの将来の夢」と言うときには、理想に近い意味をもち、「夢か幻か」と並置されるときには、虚構に近い意味をもつ。それゆえ、単純化し、時代区分のエッセンスをより鮮明なものとして浮き彫りにしようとすれば、中間にある「夢の時代」は両側の理想の時代と虚構の時代へと解消することができ、大きくは、理想の時代から虚構の時代への転換があった、と見ることができる。私は、それまでの戦後史の五〇年のちょうど中間にあたる一九七〇年に、この二つの時代の転換点を求めることができる、と述べた。その上で、私は、さらにその二五年後に起きた、地下鉄サリン事件に、虚構の時代の極限=終焉を見たのであった。

    「現実」への逃避

    東浩紀は、「理想の時代から虚構の時代へ」という戦後史の転換に関する私の論を受けて、虚構の時代のあとに、「動物の時代」と彼が名付けた新しい段階がやってきている、と論じている。このとき注目されていること(のひとつ)は、やはり「現実」への逃避である。東によれば、オタクたちは、ほとんど麻薬中毒者を連想させるようなやり方で、ゲームやアニメにはまる。彼らが求めているのは、ほとんど虚構の意味(物語)の理解を媒介としない、神経系を直接に刺激するような強烈さである。それは自傷行為へのアディクションに似ている。ここには、将来テクノロジーが発達すれば、自傷の代わりに、ニューロンに直接強い刺激を与えることに耽るアディクションが出てくるのかもしれない、と思わせるものがある。人間は、神経系を備えた生理的身体として、つまりは動物としてのみ生きている、というわけである。

    「われわれ」の社会の「現実」

    同じことは、二〇〇五年一〇月から一一月にかけてフランスで起きた暴動、すなわち、パリ郊外で警察に負われていた北アフリカ系の若者三人が変電所に逃げ込み、その中の二人が感電死したことをきっかけに、フランス全土に広がった移民の若者たちによる暴動についても言える。この二〇〇五年のフランスの暴動に関しては、これを一九六八年の五月革命の暴力と比較してみるとよい、五月革命には、ユートピア的な展望があり、暴力には理由があっった。言ってみれば、それは「理想の時代」に内在する暴力だった。しかし、二〇〇五年のフランスの暴動には、そのような展望がない。車が燃やされる理由はない。その暴力は、むしろ、自己破滅的である。

    I 理想の時代

    柳田や折口が心配していた困難は、少なくとも敗戦の直後には現れなかった。本来、最も大きな混乱に見舞われているはずの敗戦の直後は、意外なほどに平穏だ。混乱は、もっぱら物質的な貧困に関わるものであった。

    柳田や折口が心配していた、精神的な大混乱が生ずることがなかったのはなぜか、が鍵である。混乱が生じなかったのは、共同体の「現在」に意味を与える、超越的な他者(第三者の審級)が、速やかな、ほとんど間髪を入れない交替があったからである。つまり、柳田や折口が憂慮したような「不在」は、生じなかったのである。どのような交替があったのか?

    「天皇によって義認された死者」が占拠していた座に、速やかに、「アメリカ」が就いたのである。日本人の精神を支える、形式的構造は、敗戦によって、壊れることがなかった。「内容」は変化したが、「形式」は保持されたのである。

    占領当局が原爆による破壊への言及を禁止した九月半ばまで、日刊新聞は毎日のように広島・長崎の恐怖に言及している。このことから判断して、原爆による被害に対しては、日本人は痛烈な自覚をもっていたはずだ。にもかかわらず、ジョン・ダワーが述べているように、この自覚はアメリカの憎悪には繋がらなかった。どうしてだろうか? 戦後の日本人にとって、そのアメリカこそが、みずからの存在が正統性を有することの根拠だったからである。そうだとすれば、アメリカからどんなにひどい仕打ちを受けたとしても、アメリカを否定しさることはできない。

    現在を肯定的に承認する超越的な他者の以上のような交替の政治的な内実は、次の二点であろう。第一に、天皇の処刑も退位もなく、天皇の戦争責任が問われずにすみ、天皇制の存在が、それこそ、(アメリカに)「許された」ということを、この交代劇は意味していた。(……)ある月刊誌は、『世紀の遺書』〔一九五三年に出版された戦犯の遺書〕を「偉大なる聖書」であるとまでいっている(『曙』一九五四年一月特別号)。よするに、BC級戦犯の戦争犯罪は赦免されたのである。ダワーは、「奇妙なことにこのような赦しは、天皇がアメリカから受けた扱いに、ごく自然に、ほとんど鏡に映したように、そっくりだった」と述べている。アメリカの天皇に対する赦しを、日本人は戦犯に対して反復したのである。言い換えれば、アメリカが天皇を赦していなければ、日本人は戦犯に対してあれほど「寛大」になれなかったかもしれない。

    第二に、アメリカの「意志」の内容を示すものとしての、「日本国憲法」が与えられたことを挙げることができるだろう。

    II 虚構の時代

    近代史の中で、東京の盛り場の中心は、浅草→銀座→新宿→渋谷と移動してきた。その内、戦後に対応する、新宿→渋谷の変遷が、ほぼ「理想の時代」から「虚構の時代」への転換に対応している。一九七〇年代中盤以降、主として、西武系資本による大規模な演出によって、渋谷は、おしゃれでファンシーな遊園地的空間となった。これこそ、虚構の時代の盛り場である。

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    家族の本来の自然な関係が弱体化し、解体へと向かっていることを、一目で印象づけるのは、この映画〔『家族ゲーム』〕で最も有名で、何度も繰り返される場面、家族の食事のシーンである。伝統的には、食事シーンは、当然、食卓を囲むように家族のメンバーを配置する。ところが、この映画では、全員が、横並びになって、同一の方を――観客の方を――向いているのである。互いの視線は交わることなく、並行している。
    このような家族は『非現実的』だとして、このシーンを批判した者もいた。しかし、見田が述べているように、この時代、ほとんどの家族が、実際に、この映画のように、互いの視線を交わらせることなく、並行させたまま食事をとっているのである。その並行した視線が収斂する地点には、虚構のボックス、すなわちテレビがある。

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    セーフティ・セックスは、セックスをセックスたらしめていた本性を抜き去ったセックス、セックスを「現実」たらしめていた何かを失ったセックスになるはずだ。それは、ほとんど虚構の中のセックスと変わらない。実際、究極のセーフティ・セックスは仮想現実の中でセックスを体験することだ。それは、たとえば「エロげー」「ギャルげー」あるいは「美少女ゲーム」などという名で呼ばれている、「危険抜きの恋愛」「恋愛抜きの恋愛」のゲームの形で、実際に、具体化されてもいる。

    III オタクという謎

    本来、異質な他者たちを含む普遍的な社会空間を見通しうる超越的な視点の座が希求されていたのである。そうした視点の座が、今日では、同質的な他者たちのみが参加する、排他性の強い――しばしばサイバースペース上で展開する――共同性へと投射されているのではないか。つまり、社会性に関しても、普遍性が特殊性へと反転して現象するところに、オタクの特徴があるのではないか。社会性が、その反対物として――非社会性として――現象するという逆説に、オタクのもうひとつの不思議がある。

    IV リスク社会再論

    「格差社会の到来」という不吉な時代診断に説得力をあたえているのは、格差という現状そのものではなく、来たるべき救済を読みとりうる視点の不在である。われわれの現在は、理想の時代から遠く隔たったところにある。

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    リスクは、選択・決定との相関でのみ現れる。リスクは、選択・決定に伴う不確実性(の認知)に関連しているのだ。リスクとは、何事かを選択したときに、それに伴って生じると認知された――不確実な――損害のことなのである。それゆえ、地震や旱魃のような天災、突然外から襲ってくる敵、(民衆にとっての)暴政などは、リスクではない。それらは、自らの選択の帰結とは認識されていないからである。

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    リスクをめぐる科学的な見解は、「通説」へと収束していかない――いく傾向すら見せないからである。たとえば、地球が本当に温暖化するのか、どの程度の期間に何度くらい温暖化するのか、われわれは通説を知らない。あるいは、人間の生殖系列の遺伝子への操作が、大きな便益をもたらすのか、それとも「人間の終焉」にまで至る破局に連なるのか、いかなる科学的な予想も確定的ではない。学者たちの時間をかけた討論は、通説への収束の兆しを見せるどころか、まったく逆である。時間をかけて討論をすればするほど、見解はむしろ発散していくのだ。

    知から実践的な選択への移行は、あからさまな飛躍によってしか成し遂げられないのだ。

    V 不可能性の時代

    虚構の時代の後に、現実を秩序づける準拠点となっているのは、この認識と実践から逃れゆく「不可能なもの」である。すなわち、現代の現実を秩序づけている反現実は、直接には見えていない「不可能性」である。「理想→虚構→不可能性」という順で、規準的な反現実の反現実性の度合は、さらに高まっているのである。われわれが今、その入口にいる時代は、「不可能の時代」と呼ぶのが適切だ。
    しかし、それにしても――と人は問うだろう――、その不可能なものXとは、なになのか?

    VI 政治的思想空間の現在

    理論的には、多文化主義の優位は動かしがたいように思える。「先進国」の多くの知識人は、そう認めるだろう。だが、ここで、一瞬立ち止まる必要がある。原理主義の「真理への執着」は、あの「現実」への衝動と、指向を共有していないだろうか。少なくとも、「現実」への逃避は、物語=虚構からの逃避、つまり多文化主義が「真理」の代わりに置いた多様な物語からの逃避である。それは、物語への――それぞれが抱懐する世界がただの虚構であることへの――根本的な欲求不満の表現だ。前衛的な哲学や思想においてすら、「現実」への衝動が支配的であったことを思うならば、多文化主義の優位は、一見そう思えるほどには自明ではない。

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    憎悪と完全に合致した愛こそが、つまり裏切りを孕んだ愛こそが、われわれが求めていた普遍的な連帯を導く可能性を有しているのではないか。ところで、これこそ真の無神論であろう。正義を基礎づける「超越的な第三者の審級=神」が与えられている中で、その神への愛を神への裏切り――神の存在の否定――と等値することが重要だからだ。

    結 拡がりゆく民主主義

    もし、すべての個人の間に直接的で深い関係がなければ、活動的な民主主義は不可能だと言うことになれば、グローバルな社会の上にそれを構築することは絶望的である。しかし、今、小規模で民主的な共同体が分立しつつ、他方で、それらのどの共同体にも、外へと繋がる、外の異なる共同体(のメンバー)と繋がる、関係のルートをいくつかもっているとしよう。そうすれば、共同体の全体を覆う、強力な権力などなくても、何億、何十億もの人間の集合を、個人が直接に実感できる程度の関係の隔たりの中に収めることができるのだ。この直接の関係の上にこそ、述べてきたような活動的な民主主義を築き上げることができるのだとすれば、市民参加型でありつつ、なお広域へと拡がり行く民主主義は十分に可能だ、ということになるのではあるまいか。

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