久米三十六姓

琉球国王察度(在位1350年 – 1395年)の時代の1392年、洪武帝の命により多くの学者や航海士などの職能集団が来琉したと言われる。閩と呼ばれた現在の福建省からの渡来人であったため閩人三十六姓とも呼ばれた。
洪武帝からの下賜と言われるが大量集団移住と言う性格のものではなく、その多くは琉球において次第に形成されていった華人社会が基礎となった見られている。明からの人材提供と言う側面はあった。朝貢事務や船舶の運航に携わるよう琉球への帰化が命じられた事例が確認されている。人材育成の面でも明は支援しており、1392年以降、琉球留学生三五郎亹らを国子監で受け入れた。なお留学生の受け入れは、途中中断をしながらも1868年まで続けられた。
三十六姓は琉球に入籍した以上、福建に籍を置くのは違法だとの皇帝の判決が下された。彼らは那覇の久米村に定住したことから久米三十六姓と呼ばれるようになる。三十六姓といっても三十六人いたわけではなく、当時の中国では「三十六」はとても多い事の意味で、その中国から大勢の人が来たためそう呼ばれた。
また久米三十六姓の末裔、及び久米村に住んでいた人々は久米村人(くにんだんちゅ)と呼ばれた。久米三十六姓の末裔たちは、琉球が廃藩置県で沖縄県になるまで約五百年の間、主として中国-琉球間の外交、貿易に従事し、久米士族としては異例の三司官に就任した蔡温や謝名利山をはじめ、多くの政治家、学者等を輩出した。

2 thoughts on “久米三十六姓

  1. shinichi Post author

    沖縄も「対日カード」か 習近平氏の「琉球」発言が波紋 人民日報1面

    by 三塚聖平
    産経新聞
    https://www.sankei.com/article/20230617-AFTTU5B7U5NSRH5PE2EZ5KH32Q/

    沖縄県の玉城デニー知事が7月初旬に中国を訪れるのを前に、尖閣諸島(同県石垣市)に関連して「琉球」と中国の交流の深さに言及した習近平国家主席の今月初めの発言が、なお波紋を広げている。習氏の発言の意図を図りかねる中、沖縄では日本政府との関係への揺さぶりを警戒する声も。一方、習政権は台湾問題を巡る日本の関与にいらだちを募らせており、沖縄を新たな「対日カード」とするのではないかとの臆測もある。

    中国共産党機関紙、人民日報は6月4日付1面で、習氏が古書などの歴史資料を収蔵する中国国家版本館(北京市)を1日に視察した際の様子を伝え、その中で習氏が琉球と中国の交流に言及したと報じた。

    職員から「釣魚島(尖閣諸島の中国側名称)とその付属島嶼(とうしょ)が中国の版図に属すると記録」したという明代の古書の説明を受けた習氏は、福建省福州市での勤務時代を振り返り「福州には琉球館、琉球墓があり、琉球との交流の根源が深いと知った」と発言。明代に福建から琉球へ渡来した「閩(びん)人(久米)三十六姓」にも言及した。

    習氏は1990年代に福州市トップを務めた。琉球王国の滞在施設だった琉球館には、習氏に関する展示もあり、習氏は福州勤務時代に那覇市との「友好交流を重視していた」という。

    習氏の発言について、日本への新たな揺さぶりという見方が浮上している。人民日報は2013年5月に、沖縄の帰属について「歴史上の懸案で、未解決の問題」と疑問視する研究者の論文を掲載。同紙傘下の環球時報は、沖縄の独立勢力を「育成すべきだ」と主張した。当時は日本政府の尖閣国有化を受けて日中関係が悪化しており対日圧力の一環とみられていた。その再現という見方だ。

    香港出身の国際政治学者、林泉忠(りん・せんちゅう)氏は「中国は沖縄の地位問題には慎重な態度で対処するだろう」とみる。主権の問題に安易に手を出せば、台湾問題などに飛び火する可能性もあるためだ。ただ、習政権はここ数年、連携を強めるロシアを意識し、北方領土問題でロシア寄りの姿勢に調整する発言を見せている。林氏は「今後、東アジアの地域関係が大きく動いた際に中国が戦略をいかに調整し、『沖縄カード』を切るのかは注目に値する」と指摘する。

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