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文学部の終わり(by アザラシさん)

 今の日本の大学生は勉強しません。本当に、びっくりするくらいしません。大人も似たようなもんですが。
 学部のレベルでは、文学を研究する、と言っても、研究なんてとても言えたものじゃありません。例えば、授業でこの文学を研究しましょう、となって教授から「研究」を求められても、大学生はポンコツなので、ただの「読書」をして、「感想」を書いています。論文なんて、書ける人ほとんどいません。
 就職活動の面接で、難しいことを難しいまま言ってもネガティブチェックに引っかかって落ちるだけです。難しいことを簡潔に話せないと落ちますし、それができたら優秀だなと思われて採用される可能性が高くなることもあります。
 なので、本当の意味で文学を研究している人は、難しい言葉を難しい言葉のまま使っていると思います。でもそれは、私の関心事である、就職活動とか、ビジネスでは排除しないといけないものなので。
 人生に深みをもたせたり、人を豊かにするのは文学の「研究」が大切なのは分かります。
 でもビジネスが、会社が、資本主義が、経済が、周りの人間が、難しい言葉を嫌うんです。
 私は文学好きですし、信念とか哲学とかを考えるのは大好きです。でもそういうのって世の中では少数派っぽいですし、何と言うかそういう空気を感じて、この感情は周囲に対して全面的に出せません。

久米三十六姓

琉球国王察度(在位1350年 – 1395年)の時代の1392年、洪武帝の命により多くの学者や航海士などの職能集団が来琉したと言われる。閩と呼ばれた現在の福建省からの渡来人であったため閩人三十六姓とも呼ばれた。
洪武帝からの下賜と言われるが大量集団移住と言う性格のものではなく、その多くは琉球において次第に形成されていった華人社会が基礎となった見られている。明からの人材提供と言う側面はあった。朝貢事務や船舶の運航に携わるよう琉球への帰化が命じられた事例が確認されている。人材育成の面でも明は支援しており、1392年以降、琉球留学生三五郎亹らを国子監で受け入れた。なお留学生の受け入れは、途中中断をしながらも1868年まで続けられた。
三十六姓は琉球に入籍した以上、福建に籍を置くのは違法だとの皇帝の判決が下された。彼らは那覇の久米村に定住したことから久米三十六姓と呼ばれるようになる。三十六姓といっても三十六人いたわけではなく、当時の中国では「三十六」はとても多い事の意味で、その中国から大勢の人が来たためそう呼ばれた。
また久米三十六姓の末裔、及び久米村に住んでいた人々は久米村人(くにんだんちゅ)と呼ばれた。久米三十六姓の末裔たちは、琉球が廃藩置県で沖縄県になるまで約五百年の間、主として中国-琉球間の外交、貿易に従事し、久米士族としては異例の三司官に就任した蔡温や謝名利山をはじめ、多くの政治家、学者等を輩出した。

仲野徹

試験のために学ぶのではなくて、学んだことを確かめるために試験がある。言い換えると、試験をする側からも受ける側からも、勉強したことがどれくらい身についているかを確認する、というのが、ふつうの試験のもっとも重要な側面である。こんな当たり前のことが忘れられているように思う。資格試験あるいは入学試験といったものはすこし性質が違うのだが、そのインパクトの大きさから、試験といえばこれらの試験のことがまず頭にうかんでしまうせいかもしれない。不健全なことである。
阪大医学部に来るような、小学校4年生くらいから大学にはいることだけを目標に勉強をしてきた子たちは、本末転倒してしまい、試験のために勉強するようになってしまっている。そのよう馬鹿げた習い性は改めるべきである、と、いくらいってもなかなか治らない。