柳原咲輝


対戦相手の杉内寿子八段(96歳4カ月)から不戦敗の申し出があり、
女流名人戦予選Bで不戦勝となった柳原咲輝初段(12歳4カ月)

3 thoughts on “柳原咲輝

  1. shinichi Post author

    【女流名人予選B】83歳7カ月差の対戦は12歳柳原初段の不戦勝 96歳杉内八段が体調不良

    日刊スポーツ

    https://www.nikkansports.com/general/nikkan/news/202307130000236.html

    83歳7カ月と囲碁界最大年齢差の対戦は、日本棋院所属最年少、12歳4カ月の柳原咲輝初段の不戦勝となった。13日午前10時から東京・市ケ谷「日本棋院東京本院」で予定されていた第35期女流名人戦予選Bは、柳原の対戦相手で96歳4カ月と現役最年長の杉内寿子八段が体調不良のため不戦敗。対局開始約30分前に、家族から日本棋院に電話があったという。対局は幻となったが、大相撲と同じで記録上の勝敗はつく。

    対戦相手のいない盤の挟んで、柳原は「対局するのを楽しみにしていましたが残念です。機会があれば戦ってみたいです」と話した。

    昨年9月、女流特別採用推薦棋士として採用され、今年1月にデビューした。囲碁界では関西棋院所属の藤田怜央初段が10歳と最年少だが、柳原は日本棋院では最年少。今年2月の初戦は第30期阿含・桐山杯で武宮正樹九段、翌3月に2戦目となった碁聖戦予選Cでも楊嘉源九段に敗れたが、3戦目の5月に天元戦予選Cで松原大成六段を下し、うれしいプロ初勝利を挙げた。12歳6カ月での初勝利は、日本棋院所属棋士では歴代4位(1位は仲邑菫女流棋聖が19年7月に挙げた10歳4カ月)。これで7戦して4勝3敗となった。

    杉内は今年4月、十段戦予選Cで横田日菜乃初段(20)を下し、96歳1カ月の最年長勝利を挙げた。女流名人戦では1991年(平3)の第3期から4連覇するなどタイトル10期獲得の実力者でもある。妹の故本田幸子八段、楠光子八段(引退=83)とともに、3姉妹でタイトル戦で活躍した。夫の故杉内雅男九段も囲碁棋士だった。

    これまでの最大年齢差は16年3月に王座戦予選Cで対戦した、杉内雅男九段(当時95歳4カ月)対大西竜平初段(同15歳11カ月)の79歳4カ月だった。

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  2. shinichi Post author

    プロを目指し、今年4月から「院生」になる柳原咲輝さんに
    検討で対局のアドバイスをする洪清泉四段
    東京都杉並区の洪道場で2020年1月22日、竹内紀臣撮影

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  3. shinichi Post author

    洪清泉

    ウィキペディア

    https://ja.wikipedia.org/wiki/洪清泉

    洪 清泉(ほん せいせん、1981年12月30日 – )は、関西棋院所属の囲碁棋士、四段。韓国済州出身。本名は洪 マルグンセム(홍 맑은샘)。2019年9月より休場。

    「洪道場」を主宰し、多くのプロ棋士を送り出している。

    韓国のアマチュア全国大会で優勝18回、準優勝9回の実績を残すなど、2000年代初頭の韓国では強豪アマチュアとして有名であった[2]。一方で、数回の挑戦も実らず韓国でプロ入りすることはできなかった。

    2002年、世界アマチュア囲碁選手権で緑星囲碁学園を主宰する菊池康郎に会ったのが一つの転機となった。菊池との会話を通して「菊池先生のようになりたい」と考えるようになり、子ども教室を開きたいというかねてからの思いもあって日本に渡ることを決意した。2004年に韓国を離れて日本に移住し、2005年から洪道場を始める。

    2007年に第2回朝日アマ名人戦、2008年には第58回アマ本因坊戦で優勝。2009年には第5回産経プロアマトーナメント戦で決勝戦まで進出し、結城聡に敗れたものの準優勝を果たした。2009年10月26-27日、関西棋院の試験碁で2連勝、研修棋士として12月1日付での入段が決定された。プロ入りを機に、読みやすく親しみを持ってもらえるように「洪清泉」という呼称を用いる。

    2012年には第38期名人戦で最終予選に進出し、これにより正棋士へ昇格。

    所属は関西棋院であるが、洪道場は東京にあった。そのため、道場の主宰者として東京で活動する傍らで、水曜日や木曜日に関西棋院での手合いがあるときは火曜日の夜8時に道場を出て新幹線に乗って12時に大阪に到着し、日中に関西棋院で手合いをこなし、木曜日の夜中に東京に戻り金曜日からまた道場で活動するという生活を送った。2016年のインタビューでは、「死ぬまでに、道場出身の棋士100人を達成したい」と語っている。

    2019年9月1日より棋士対局を休場。日本の囲碁の人気の衰えに危機感を覚え、事実上棋士を引退する覚悟で普及活動に専念するとしている。

    毎年3月に韓国を訪れて子ども大会「マルグンセム子ども最強戦」を開催している。

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