日韓併合期に朝鮮で暮らした日本人(鄭大均)

一九一〇年から一九四五年までの三五年間、朝鮮は日本帝国の一部を構成していた。 ・・・
この時代は朝鮮社会に長く続いていた両班・常民・奴婢といった身分制が解体され、新女性が誕生し、消費文化が生まれ、人々の生活がより合理的で選択的になった時代としても記憶されてよい。より良い明日のために過去の自分を捨て去ることに物怖じしない朝鮮人が大量に生み出された時代である。しかし、それは人々が「原初的欲望」と「合理的欲望」との間に引き裂かれる時代の幕開けを意味するものでもあった。「原初的欲望」が血縁主義や祖先崇拝に結びつきやすいものであるとしたら、「合理的欲望」は新しい時代に適応し、より自分らしい生き方をするための生活習慣や自己訓練を意味するもので、日本統治期はやがて訪れるこの国の飛躍や混乱の序章であった。
・・・ 韓国がこの時代を抑圧、収奪、抵抗の物語として語り続けることに筆者は不安と不満を覚える。それは韓国人の日本にたいする敵意や憎悪を自明で本質的なものにするというだけではなく、日本人に原罪意識を植え付けるにもかなりの成果を収めているが、注意すべきは、だからといって韓国を幸福にしているわけではないということである。

3 thoughts on “日韓併合期に朝鮮で暮らした日本人(鄭大均)

  1. shinichi Post author

    隣国の発見 ――日韓併合期に日本人は何を見たか

    by 鄭大均

    日韓併合期(一九一〇〜一九四五年)の日本人のなかには、朝鮮の人や自然や文化を体験し、観察し、優れたエッセイを残した者たちがいた。谷崎潤一郎はその風景を「純然たる日本画の絵の具の色」と描き、柳宗悦や河井寛次郎は人々の生活ぶりに理想郷を見出した。新渡戸稲造が「彼等は実に有史以前に属するものなり」と断じた一方、安倍能成はステレオタイプと格闘した。植民地支配の産物として顧みられなかったこれらの作品を読み直し、日本人が発見した隣国の姿を浮かび上がらせる。

    第1章 朝鮮の山河
          海峡を越えて
          禿山と岩山
          朝鮮の山河

    第2章 隣国の発見
          少年の日の思い出
          家の近所はすぐ市場だった
          大人たちの見たもの
          白磁の美の発見

    第3章 もう一つの眺め
          非好感の眺め
          朝鮮人とはだれか

    第4章 京城の歩く人
          安倍能成の朝鮮エッセイ
          浅川巧への惜別の辞

    第5章 旅する科学者
          挾間文一と辺境の地への旅
          挾間文一の日記
          朝鮮に与えられ、また与えた人

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  2. shinichi Post author

    鄭大均

    Wikipedia

    https://ja.wikipedia.org/wiki/

    鄭 大均(てい たいきん(정대균)、1948年- )は、日本の学者、評論家。東京都立大学名誉教授。専攻は東アジアのナショナル・アイデンティティ、日韓関係論、第12回大平正芳記念賞を受賞。

    岩手出身。父親は1922年、当時の京城から東京にやってきた朝鮮人で、1923年に出版され、朝鮮人によって書かれた最初の日本語小説として知られる『さすらひの空』の著者で、皇道思想家の鄭然圭である。母親は岩手県和賀郡黒沢尻町(現在の北上市)出身。結婚してしばらくは東京に住んでいたが、1944年に空襲を避けて岩手県に疎開。大均はその地で戦後に生まれた。岩手県立黒沢尻北高等学校、立教大学文学部および立教大学法学部を卒業。1973年から1974年にかけてアメリカ合衆国東部で暮らす。1978年カリフォルニア大学ロサンゼルス校修士課程修了(M.A、アジア系アメリカ人研究)。

    米国から東京に戻り、英語学校で教えながら1980年頃から在日論を書き始める。その後1970年代に東京で会った留学生・崔吉城の誘いを受け、慶南大学校師範学部(韓国馬山市)、東亜大学校人文学部(韓国釜山市)、啓明大学校外国学学部(韓国大邱市)で14年間教える。

    啓明大学校副教授から転じ、1995年に東京都立大学 (1949-2011)(首都大学東京(東京都立大学に名称変更))人文学部に助教授として着任、1999年に教授、2013年3月定年退職。同年11月から特任教授となる。在日韓国人二世であったが、2004年に日本国籍を取得した。

    日韓関係を集団アイデンティティの視点から分析。従来の歴史・道徳史観濃厚の日韓関係論とは異質の議論を展開。在日韓国・朝鮮人論も、その被害者性を強調する従来の在日論とは異質の議論を展開している。在日韓国朝鮮人に日本への帰化を勧めるとともに、韓国系日本人(元在日外国人)の立場から、永住外国人への地方参政権付与に反対し、2000年に国会で参考人招致を受けた際も反対論を展開した。

    著書

    『日韓のパラレリズム 新しい眺め合いは可能か』1992年
    『韓国のナショナリズム』2003年
    『韓国のイメージ 戦後日本人の隣国観』1995年
    『韓国のイメージ 戦後日本人の隣国観』(増補版)2010年
    『日本(イルボン)のイメージ 韓国人の日本観』1998年
    『在日韓国人の終焉』2001年
    『韓国ナショナリズムの不幸 なぜ抑制が働かないのか』2002年4月
    『在日・強制連行の神話』2004年
    『在日の耐えられない軽さ』2006年
    『姜尚中を批判する 「在日」の犠牲者性を売り物にする進歩的文化人の功罪』2011年
    『韓国が「反日」をやめる日は来るのか もはや怪物・韓国ナショナリズム』2012年

    共著
    『植民地の朝鮮と台湾 歴史・文化人類学的研究』2007年
    『”外国人参政権”で日本がなくなる日 緊急出版』2010年
    『”人権侵害救済法”で人権がなくなる日』2012年
    『新日本人に訊け! 帰化 ゴーマニズム対論集』2011年

    共編著
    『韓国という鏡 戦後世代の見た隣国』1986年
    『韓国・北朝鮮の嘘を見破る 近現代史の争点30』2006年
    『日韓併合期ベストエッセイ集』2015年

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  3. shinichi Post author

    (sk)

    「生まれも育ちも日本の日本人なのに父親がコリアンだったというだけで自分のことをコリアンだと言い右翼的な言論活動をする」というのは、フランスのピエ・ノワールの人たちがフロン・ナショナルの活動をするのと同じ。決して珍しいことではない。

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