ゼロ金利 ー 資本主義を卒業(水野和夫)、成長の限界(的場昭弘)

すっかり定着した感もあるゼロ金利は、資本主義とは相性が悪い。商品やサービスを生み出す資本(設備やお金)が、利潤を得て自己増殖するのが資本主義の仕組み。資本の増殖率を測るのが、利潤率=利子率。ゼロ金利が長期化するということは、資本の増殖が止まるということだ。背景に、商品やサービスが行き渡り、すでに供給過剰になっていることがある。現在が最も豊かで、投資をこれ以上する必要がなく、既存の資本で十分だとなり、資本の自己増殖を目指す資本主義も必要なくなるのだ。

いったい利子はどこから生まれるのだろうか?
お金を貸せば利子が生まれることは、少なくとも現在のわれわれには一般的常識だ。
だがその金利がゼロというのはどういうことか。
それは、資本が自己増殖を続ける資本主義経済で、資本があり余った状態、つまり資本主義が新しい段階に入る胎動を示しているのかもしれないのだ。

2 thoughts on “ゼロ金利 ー 資本主義を卒業(水野和夫)、成長の限界(的場昭弘)

  1. shinichi Post author

    ゼロ金利の先に未来 「日本は資本主義を卒業」と説く 水野和夫さん(法政大教授)

    by 栗原淳

    https://www.tokyo-np.co.jp/article/178718

     資本主義の限界が盛んに言われている。富がごく一部の人に集まり、教育や雇用の機会が偏って格差は広がるばかり。日本では、成長と分配を両立しようと首相が「新しい資本主義」の実現に音頭を取っている。現代日本経済論が専門の水野和夫・法政大法学部教授は「古いの、新しいのと資本主義にこだわるのは意味がない」という。なぜなら日本はすでに、そこから「イチ抜け」しているからだ、と。
     水野さんが着目するのは、日本で四半世紀続くゼロ金利だ。それがどれほど特異な出来事かを、人類史をたどって明らかにしたのが、約七百五十ページの近著『次なる100年 歴史の危機から学ぶこと』(東洋経済新報社)だ。
     一九九八年八月、日本の十年国債利回りが0・91%となり、実質ゼロ金利に突入した。「金利が1%を切ることは、過去五千年の世界の金利の歴史で例がなかった。それが一時的ではなく、今も続いていて常態化している」
     すっかり定着した感もあるゼロ金利は、資本主義とは相性が悪い。商品やサービスを生み出す資本(設備やお金)が、利潤を得て自己増殖するのが資本主義の仕組み。資本の増殖率を測るのが、利潤率=利子率。ゼロ金利が長期化するということは、資本の増殖が止まるということだ。水野さんは背景に「商品やサービスが行き渡り、すでに供給過剰になっている」ことがあるとみる。<現在が最も豊かで(中略)投資をこれ以上する必要がなく、既存の資本で十分だとなり、資本の自己増殖を目指す資本主義も必要なくなる>(同書)
     元証券マンの水野さんは、金利のスペシャリスト。八〇年に八千代証券(現三菱UFJモルガン・スタンレー証券)に入社し調査部に配属。バブル経済もその後の崩壊も経験した。社名は金融業界再編の波を受けて四度も変わったが、三十年間異動はなく、債券利回りと市場動向を観測し続けた。
     異変に気付いたのは九〇年代後半。「景気と債券利回りが連動しなくなった。二〇〇一年以降は景気が良くなっても金利が上がらなくなった」。このころから日本の資本主義は終局を迎えていたのだろう。
     世界史で一度だけ、今の日本に近い超低金利があった。中世から近代への移行期にあたる一六一九年、イタリア・ジェノヴァでの1・1%だ。「当時の状況を調べると、今とそっくりだったことが分かる」。イタリアにはそのころ、南米などから、大量の金と銀が運び込まれた。だがまだ農業中心の中世社会では農地の拡大ができず、自国内で富の投資先がなかった。一方で、大もうけをたくらむ冒険的な商人が海の外に勝負に出て、遠隔地貿易で稼ぎまくる。シェークスピアが『ヴェニスの商人』で描いた世界だ。
     モノとサービスが飽和した現代も、普通にやってはもうけが出ないので、別の方法で富を増やそうとする。労働賃金を抑えて生産コストを下げたり、「電子・金融空間」での取引でバブルの生成と崩壊を繰り返したり…。
     三年前、経済同友会の当時の代表幹事が「平成は日本敗北の時代」と発言した。そんなに自虐的になることはない、というのが水野さんの考えだ。「失敗したわけではない。資本主義がうまく回って豊かになり、ゼロ金利になった。つまり資本主義を卒業したのだ」
     世界に先駆けてゼロ金利を「達成」した日本と、その後に続いたドイツ、フランスは、資本主義以後の次のステップを各国に示す責務があると主張する。「蓄積した富、すでに手元にあるストックをうまく回していく経済」だ。
     日本の企業の内部留保は四百八十兆円、家計の金融資産は二千兆円。この有効活用がカギだ。「企業は手持ちの資金でできる範囲で、設備投資をする。大量生産は必要ないので、労働時間は今よりずっと少なくて済む。『必要なものを必要な時に』という経済は、地球環境に負荷をかけない」
     「日独仏は『ゼロ金利クラブ』を結成して発信を」とまで提言する水野さん。「新しい経済」がおぼろげながら見えてきた。 

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  2. shinichi Post author

    金利ゼロの現代はマルクスが予見した「成長の限界」に近づいている

    by 的場昭弘

    https://diamond.jp/articles/-/166180

     いったい利子はどこから生まれるのだろうか?

     お金を貸せば利子が生まれることは、少なくとも現在のわれわれには一般的常識だ。

     だがその金利がゼロというのはどういうことか。

     それは、資本が自己増殖を続ける資本主義経済で、資本があり余った状態、つまり資本主義が新しい段階に入る胎動を示しているのかもしれないのだ。

    利子はどこから生まれる?
    生産による利潤の一部

     基本的なことから考えてみよう。利子とは何なのか。

     借り手がいなければそもそも利子など成立しないはずだ。お金を貸したいという「貸し手」と借りたいという「借り手」がいれば、なるほど利子は自然に生まれるように見える。

     だから、利子は「借り手」と「貸し手」との需要と供給の関係から生まれるように見える。しかし、「借り手」が借りたお金を貯め込んで、生産に投資しなければ、利子など生まれるはずがない。利払いに回す原資がないのだから。

     こう考えると、借りた以上は利子を支払わねばならないという点から生じる利子の発生の問題と、利子がどこから生まれるかという利子の起源の問題はまったく違うことがわかる。

    。。。

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