浅原六朗の晩年の弟子の歌

より添って眠り
温めあって起きる
穏やかけき
春夏秋冬

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  1. shinichi Post author

    浅原六朗

    ウィキペディア

    https://ja.wikipedia.org/wiki/浅原六朗

    浅原 六朗(1895年2月22日 – 1977年10月22日)は、日本の小説家、作詞家、俳人、大学教授。

    長野県北安曇郡池田町村の酒造業「飯田屋」の四男として生まれる。父の慈朗が牧師をしていた福島県石城郡平町(現・いわき市)へ移る。1919年早稲田大学英文科卒。実業之日本社に入社。1928年に退社し、作家に専念する。

    1930年、新興芸術派倶楽部の結成に参加[5]、モダニズム文学の作家として活躍。のち久野豊彦と新社会派を称する。その後、通俗小説、少年読み物を書く。1934年日本大学藝術学部講師、のち教授。1968年帝京大学文学部教授。

    「てるてる坊主」などの童謡を浅原鏡村の名で作詞した。また大正末期から昭和の初めにかけて、プロレタリア文学の台頭に反対する新興芸術派の有力な働き手として、モダニズム文学運動の一翼をになった。

    晩年は横光利一の勧めで俳句も始め、「人間俳句」を提唱、「俳句と人間の会」を主宰した。

    1977年、長野県軽井沢町の病院で脳血栓で死去。

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