文学部の終わり(by アザラシさん)

 今の日本の大学生は勉強しません。本当に、びっくりするくらいしません。大人も似たようなもんですが。
 学部のレベルでは、文学を研究する、と言っても、研究なんてとても言えたものじゃありません。例えば、授業でこの文学を研究しましょう、となって教授から「研究」を求められても、大学生はポンコツなので、ただの「読書」をして、「感想」を書いています。論文なんて、書ける人ほとんどいません。
 就職活動の面接で、難しいことを難しいまま言ってもネガティブチェックに引っかかって落ちるだけです。難しいことを簡潔に話せないと落ちますし、それができたら優秀だなと思われて採用される可能性が高くなることもあります。
 なので、本当の意味で文学を研究している人は、難しい言葉を難しい言葉のまま使っていると思います。でもそれは、私の関心事である、就職活動とか、ビジネスでは排除しないといけないものなので。
 人生に深みをもたせたり、人を豊かにするのは文学の「研究」が大切なのは分かります。
 でもビジネスが、会社が、資本主義が、経済が、周りの人間が、難しい言葉を嫌うんです。
 私は文学好きですし、信念とか哲学とかを考えるのは大好きです。でもそういうのって世の中では少数派っぽいですし、何と言うかそういう空気を感じて、この感情は周囲に対して全面的に出せません。

One thought on “文学部の終わり(by アザラシさん)

  1. shinichi Post author

    【文学部】文学を勉強する意味はあるのか?

    by アザラシさん

    https://note.com/note_seal/n/n85ebb7733b8c

    【学歴は武器だが、人生はそこで終わらない】

     こんにちは。アザラシです。最近、友達は大学に1,000人いるよりも、親密な友達が1人いるだけで幸せだなーと感じます。

     今回は文学部についての記事を書きました。長いです。8000文字あります。最初の部分を少し読んで、行けそうなら、全部見て下さい。

    【文学部って、何の役に立つの?】

     今回は、文学部について私が思うことを書きます。文章長いです。8000字です。カフェでコーヒーでも飲みながら、ゆっくり見て下さい。

     さて、明治大学の文学部に所属する私ですが、実は1年生の時は文学部であることが将来の不安の1つでした。同じような悩みを持つ読者の方々に私の言葉が刺さるかもなと思って、この記事を書きます。読者の皆さんは「文学部」に対してどのようなイメージを持っていますか?

     この記事では、

    「文学部は就職に不利」

    「文学部なので、将来が不安」

    「文学部って何の役に立つの?」

    「文学とかオワコンでは?」

    「文学は経済学、法学よりも実用性がない」


    などの意見に対して、私が思うことを述べます。

    まずは、結論から。

    私は、

    文学は、基本的に、何の役にも立たない。

    と、本気で思っています。

    え!?と思ったかもしれませんが、こう断言したのには、理由があります。最後まで記事を見て行って下さいね。

    先に断っておきますが、私は小説を読むのは好きですし、文学が嫌いというわけではありません。

    私は「文学は豊かな人生を構成する大事な教養の1つである」と考えています。

    むしろ文学を通して哲学的な「わかりにくい」思考をするのは大好きですし「わかりにくい」小説の文章を読んで解釈するのも大好きです。

    ビジネス的な「頭の良さ」は「簡潔であること」が大事になってくるのですが、哲学的な「頭の良さ」は「複雑であること」が大事になってくるので、そもそも性質が大きく大きく異なります。

    なので、文学が好きな人を否定するつもりもありませんし、私は文学が好きな人をリスペクトしています。

    人間の根幹にあるのは教養であり、文学であり、哲学であることには違いありません。

    このことを踏まえた上で、私はこの記事で、文学部を選んだことに関して自分には合わないな、と思う部分があったことを、自分なりに認めただけに過ぎません。

    またこの記事は、まだ将来の確定していない文学部の大学3年生が、まだしたことのない就職活動で不安を抱えながら書いていることをご承知ください。

    最後に、この記事は他者否定でもなければ、文学否定でもありません。主観的で、独りよがりで、傲慢な自己分析です。

    【文学部の話】

    まず、前提として1つだけ読者の方に聞きたいことがあります。

    そもそも、

    文学(Literature)」 とは

    =「文字( or 文字を使って創作を行った作品 )を研究する学問」


    のことです。

    私が聞きたいのは

    「この文学の定義を聞いて、文学を勉強することで、社会に出て、役に立つ部分がありそうだな、と思うことは何ですか?」

    ということです。

    難しいですよね。

    私は今回の記事でこの問いを考えてみました。

    【この記事の目的】

     さて、今回の記事では「私が思う誰も言わない、文学部の真実」を語ろうと思います。

     しかし、その前に「文学部である私が、どうして文学部を選択したのか」をざっくりと説明ます。「文学部を選択した理由を、他人に明確に説明できないという読者の方」には私の経験を読んで共感してもらえるかもしれません。

     長い文章を読みたくない人は、スキップして下さい。

    【文学部である私が、どうして文学部を選択したのか】

     実は、特に理由がありません。全てが成り行きでした。志がとても低かったからです。

     高校生の時、好きな人がいて、その人が国立、かつ、教師を目指していました。私は将来やりたいことがなく、日本史と世界史が得意だったので、何となく好きな人がそうだからという馬鹿な理由で、同じように歴史の教師になりたいと思っていました。その方が周りも納得して、自分にとやかく言わなくなるのでそう言っていました。ただ、私は心の中で「教師という職業は自分のやりたいことではないかもな」と心のどこかで思いながらも「自分でもそのことを分かっているような、分かっていないような」という感じでした。

     つまり、進路というか、人生そのものに対して全く真剣でじゃなかったということです。

     受験のざっくりとした流れを説明すると、一般受験で国立を目指していました。その後1月にセンター試験を受けて失敗して、案の定二次試験も落ちました。2月に私立を受験して、1番偏差値の高かった大学が明治大学の文学部でした。私は受験勉強が苦しくて浪人をしたくなかったのと、親は私が明治大学に受かったことにとても喜んで安心していたので「もうどうでもいいや」と思って明治大学の文学部に進学しました。

     つまり思考停止して、文学に興味もないし、志も低いし、将来何になりたいのか、何がやりたいのかも分からない状態で「大学は人生の夏休みだ」と思って、楽しいことだけを考えていました。

     文学部を受験したことに強いて理由を上げるなら、日本のアニメ、漫画、ライトノベルなどがとても好きだったからかもしれません。

     文学部なら、サブカルチャーに関わる、楽しいことができそうという想像で(安直ですね)選択しました。卒業論文なら言葉に関する全ての作品が研究対象となるので、例として、ワンピースの「ドンッ!」の効果を研究するというように柔軟に題材を決めることができます。ただ、卒業の為に、普通の授業では興味のない文学について勉強しないとならない時も当然あります。それは必ずやってきます。そういう時は正直苦しいです。他のことに時間を使いたくなります。

     要約するとかつて私は人生そのものに対して、とてつもなく受け身でした。大学生になっても、怠惰で、どうしようもなく、お金もなく、夢もなく、情熱もなく、バイトだけは何故か真面目で、支出も把握せずに、浪費し、人間関係に苦悩し、将来が不安で、自己嫌悪する。最悪の精神状態です。友達にしたくないですよね。

     今は色々あって、この状態から脱却しました。その話は、また別の機会にします。

    【私が言いたいことは、たった1つです】

     私のこの経験から、文学部であることに不安を抱いている人に言いたいのは、たった1つだけです。

    「文学部であることに理由を探すな。割り切って勉強しろ。」

    です。辛辣ですかね。

     文学部なので、将来が不安である。正直分かります。私もそうでした。Yahoo!知恵袋やTwitterで、文学部に対する厳しいコメントを見て、傷ついたことがあると思います。

     文学部を擁護する記述で、よくインターネットには、やたら、長くて、分かりにくい文章で、文学部にコンプレックスを抱いている人が、自己防衛で、説得力の低い理由を並べます。私は、そういうのがとても嫌いです。

     難しいことを、難しい言葉で説明する人は「頭が良くない」のだと思います。説明するのが難しいことを、簡単な言葉だけで、誰にでも分かるように説明するのが「頭が良い」のだと信じています。文学を研究することは、「難しいことを、噛み砕いて、分かりやすくする」という訓練になります。

     この私の視点は、私自身の主観の上に成り立つ、非常にビジネス的な、経済合理的な観点であり、現代的な、効率至上主義的な感覚から話しているものです。

     なので、大切な事なのできちんと述べておきますが、文学が学術的に価値があるとか、教養として大切であるとか、そういった観点は一切排除しています。

     上記の主張は、今の若者っぽい、資本主義的な意見かなと思います。

     私が上記の文章で使った「文学を研究すること=難しいことを簡潔に述べること」という言葉の本当の意味を理解してもらうには、この学術的な視点を排除してもらうことが必要なのかなと思います。

     つまり

    「教授が研究という言葉を使うからこの文章では研究という言葉を使っているけれど、大多数の大学生(私のような文学部の学生)にとってそれは研究と言えるほど大層なものではなく、貧弱で軟弱で甘えの上になんとか成立する最低レベルの読書感想文、という程度のレベルで研究もどきのムーブをすること」(9割9分の大学生はこんな感じ)

    という意味で使っています。

     今の日本の大学生は勉強しません。本当に、びっくりするくらいしません。大人も似たようなもんですが。

     学部のレベルでは、文学を研究する、と言っても、研究なんてとても言えたものじゃありません。例えば、授業でこの文学を研究しましょう、となって教授から「研究」を求められても、大学生はポンコツなので、ただの「読書」をして、「感想」を書いています。論文なんて、書ける人ほとんどいません。(少なくとも私の大学ではそうです。私の大学よりも上のレベルでは違うかもしれません。でも多分そんな変わりません。)

     就職活動の面接で、難しいことを難しいまま言ってもネガティブチェックに引っかかって落ちるだけです。難しいことを簡潔に話せないと落ちますし、それができたら優秀だなと思われて採用される可能性が高くなることもあります。

     なので、本当の意味で文学を研究している人は、難しい言葉を難しい言葉のまま使っていると思います。でもそれは、私の関心事である、就職活動とか、ビジネスでは排除しないといけないものなので。

     人生に深みをもたせたり、人を豊かにするのは文学の「研究」が大切なのは分かります。

     でもビジネスが、会社が、資本主義が、経済が、周りの人間が、難しい言葉を嫌うんです。

     私は文学好きですし、信念とか哲学とかを考えるのは大好きです。でもそういうのって世の中では少数派っぽいですし、何と言うかそういう空気を感じて、この感情は周囲に対して全面的に出せません。

     要は、哲学の良さとか、文学の良さを理解できない人が多いんです。

     みんな楽をしたいし、手っ取り早いことだけしていたい。短い方がいいし、簡単な方がいい。長いのは嫌いだし、苦しいのも嫌いだし、難しいのも嫌い。

     そういう人が多いから、そっちに合わせないとこっちもいちいち説明するのはだるいし、言っても向こうもどうせ分からないから最初から簡単な言葉で説明することが正解っぽくなる。

     文学は多くの人が理解できないし、評価していない風潮をいたるところで感じるから、そっちの人たちに合わせないと自分の思い通りにならないじゃないですか。

     いや、人生を思い通りにしようという前提がもう間違ってるんですけど、でもできるなら。できるとこはコントロールしたいという気持ちはどうしたって生まれるじゃないですか。

     それに、文学は価値があるとリスペクトを持たれている方が多くいらっしゃることも存じています。ただ多数派ではない。

     希望する会社に就職するために面接を受ける時も。周囲の人とコミュニケーションを取る時も。「研究」を前提にこの話をしてしまうと、ややこしくなります。いい言葉が見つかりませんが、ビジネス的な「実践」を考えた時に、文学の「研究」的難解性は弊害になると思っています。だから、文学の内容を読んで理解して、自分の信念に落とし込む。要約する。簡潔に述べる。こういうトレーニングが、資本主義的に、有効なのかな、なんて思いました。(非常に主観的な意見ですし、多方面に喧嘩を売ってる感じになっちゃうかもしれません。全員に理解してもらいたいとは思ってません。自己満足です。)


     長くなりましたが。以上で「文学部である私がどうして、文学部を選択したのか」についてはここで終わりです。

     そして本題です。以下の文章で私が文学部について述べることは、少なくとも私にとっては真実であり、大切な観点です。

    【誰も言わない、文学部の真実】

    ・文学部は就職に弱い

    真実です。弱いのは、当然です。しかし、単純に「文学が役に立たないから」就職に弱い、ということではないです。色々な視点から見てみましょう。文学部の就職にはこのような特徴があります。

    ⒈ 文学部には、公務員、教師になる割合が高い

     卒業生の進路を見ると明らかですが、他の学部と比較すると、この割合がとても高いです。なので、就職実績だけを見ると、大企業に内定を貰った「数」が少なくなり「就職に弱い」と感じるのは、当然です。

    ⒉ 文学部には、就職活動を早くから始める割合が低い

     経済学部、経営学部、商学部、法学部と比較すると、文学部は就職活動をしている割合が低いので、文学部だけ、意識が低くなります。となると「就職に弱い」文学部の学生が出てきてしまうのは、避けようのない事実です。

    ⒊  文学は、直接的にビジネスと結びつかない

     文学は、直接的にビジネスとは結びつかないです。エントリーシート(就職活動で、採用(選考)に応募する時に、企業に渡す履歴書)や面接で「文学部で、芥川龍之介や太宰治などの作品を通して人間の心理について学習し、文学の研究を頑張りました」と、「経済学部で、日本の金融システムについて分析したので、会社の財務諸表を理解し、有望な投資を行う能力があります」という学生とでは、どちらの学生が会社にとって有望な人材となりそうでしょうか。

     以上のような理由で、「文学部が就職に弱い」という本当の事情が少し見えてきたと思います。

     いや、だって、実際、弱いですからね。色々と言いましたが、異論は認めます。noteやTwitterにて、コメントを待っています。

    文学部なので、将来が不安

    考えるだけ無駄です。不安なら、今すぐ行動しましょう。勉強しましょう。英語、簿記、宅建など、努力したことを示す資格はたくさんあります。「TOEIC400点の早慶の商学部の学生」と「TOEIC900点、簿記2級の日東駒専の文学部の学生」では、果たしてどちらが会社にとって、「む、こいつは他とは違いそうだ」となりそうでしょうか。当然ですが、学歴は武器です。「学歴フィルター」は、確実に存在しています。場合によっては前者が勝つことも承知しています。

     ただ、私が言いたいのは文学部だけでは弱いということは事実として変えられないが、自分の将来への不安を、ただ自分の努力によってのみで掻き消し、自信とすることが可能であるということです。何の努力もせずに、将来が不安だ、就職が不安だと言うのなら、その姿勢は、ただの怠慢です。

    文学部って何の役に立つの?

    基本的に、役に立ちません。ただ、コミュニケーションに関係する全ての仕事に、役に立ちます。文学は、文字を書くこと、プレゼンテーションをすること、取引先と良好な関係を築くこと、相手の気持ちを理解すること、自分の思いに向き合うこと、など、応用が可能です。

    もちろん、人によってコミュニケーション能力が劣っていたり、変な文章を書いてしまったりする人はいますが、あくまで私が大学生活で感じた主観的なメリットです。

    また、文学だけで良好な関係を築けるとも考えてはいません。実際の経験と、関連するコミュニケーション読書などの複合的な努力を通して初めて、良好な人間関係を築けると思っています。これさえあれば良好な関係を築ける、なんて一概に言えるものなんてありません。

    私の頭によぎったのは、文学がきっかけで、取引先の方との会話がはずんだり、仲間意識を持ったりすることもあるのかな、ということです。あくまで+αの、きっかけとして、文学がプラスに働くこともあるかなと思っています。

    文学とかオワコンでは?

    ただの軽率な発言です。このような発言をした人には、文学に準ずるものを禁じて貰わなくてはいけないと思っています。

    ワンピース、呪術廻戦、ドラゴンボールなどアニメや漫画、ゲームはもちろん、iPhone、iPad、PCを使ってYouTubeやNetflixを見ること、引いては、文字を読むこと、文字を書くこと、レポートを作ること、新聞を読むこと(このnoteを読むこともそうですね)、テレビを見ること、本を読むこと、美術館に行くこと、教育を受けること、お金を使うこと、全てを辞めて欲しいです。

     是非、耳だけを使って、本を読まずに、先人の知恵を全く借りることなく、文字を使わずに、生きて、亡くなって欲しい。本を読めない人間は成長速度が遅いと思います。

    文学は、経済学や法学よりも実用性がない

    真実です。前述した通り、文学は、直接的に、ビジネスとは結びつかないです。

    「「人間失格(著:太宰治)」を読み、その表現を分析した」のと、「金融とその業務について理解している」「財務諸表の作成の仕方が分かる」「会社法、金融取引商法に精通している」では、圧倒的に実務に役に立つ機会が少ないことは明白です。現実を受け止め、さっさと割り切って、「自分は文学の他に、何を強みにできるだろうか?」ということに向き合うべきです。

     「文学はビジネスでは役に立たない。なので、ビジネスで活かすつもりは全くない。大学名だけで進学した。でも、大学で情熱を注げることが見つかって精一杯努力している。好きなことをして生きているので、今の自分にとても満足している。」結構。結構。どうですか。良いじゃないですか。

     私は、「文学はこういうとこでビジネスに役に立つ!捨てたものではない!」とか言ってる人を見るのは、嫌いです。私のような、文学部の学生の苦悩を、本当の意味で、分かってないと思います。

     割り切って、開き直って、「文学がビジネスで役に立たないのは当然だ。でも、経済学も法学も、結局は本を読むだけだ。なら、結局は本人の努力次第ってことだ。」というスタンスの方が、ずっとしっくりときますし、この生き方、思考、信念そのものが私です。

     この世の、90%のことは、本で勉強できます。文系の学問は、結局、全て本を読むだけです。なので、経済学も、経営学も、商学も、法学も、全て独学で、本を読むことで、上記の学部に所属している「バイト、サークルを頑張っている」人よりも圧倒的に詳しい知識を得ることができます。所詮、学部のレベルでは十分な専門性を持つことはできないと思います(9割9分の大学生はできてない)。文学部の学生には、そのことを誇りに思って欲しいです。

    【文学部の人へのメッセージ】

     深夜に書いたといこともあって、変な方向に熱くなってしまった上、文章が拙いことはご容赦ください。

     とにかく私が伝えたいのは「文学は役に立たない」と割り切ることが、私のような文学部の学生を納得させるのに最も響く言葉だと信じています。

     大学に入ったことで満足することなく、結局は、勉強すること、努力すること、行動することが大事です。経済学部でも、経営学部でも、商学部でも、法学部でも、やる気のない人は、特に日本では本当に多いです。個人の努力で彼らを越すのが、1番良い選択です。

    【「文学部+α」が、本当に大切だ】

     最後にもう1度だけ言いますが、私は全ての文学部の学生は、「文学部は役に立たない」と割り切って、自分の情熱を、努力を、別の形で昇華させるべきだと思っています。「文学部+α」を身に付けることが、本当に大切だと思います。

    「割り切って勉強する」

    私は、この、たった1つ、そう思うことで、今までよりもずっと大学の勉強が楽しくなりました。

    経済、経営、金融、保険、マーケティング、英語、中国語、簿記、プログラミングなど、文学以外のことも本気で学習すること、学ぶことそのものがとても楽しいと気付きました。

     私は、他の学部の学生に劣っていると思ったことは、1ミリもないです。学部の優劣とか、勘違いしている人がいたら、笑って、黙って、距離を置きましょう。

    Reply

Leave a Reply

Your email address will not be published. Required fields are marked *