読売新聞

米国民の皆さん―レーガン大統領がラジオのマイクに呼びかけたのは一九八四年八月である。「私はソ連を殲滅する法案に署名しました。五分後に爆撃を開始します」
マイクテストで見せた氏一流の茶目っ気である。本番の放送では「公立学校の宗教集会を認める法案に署名しました」と述べたにすぎない。本番前の演説が漏れ伝わって騒動になった。
「不用意な冗談だ」。批判の声が米国内で上がったと当時の本紙は伝えている。不用意と紙一重、この単純にして無邪気な一直線の敵意がやがてソ連を崩壊に追い込み、冷戦に終止符を打つ。
定石を踏まず、信念でひた押しに押すレーガン外交には専門家の厳しい目も向けられた。キッシンジャー氏は著書のなかで「理解不能」と斬り捨てている。
「レーガンはほとんど歴史を知らなかったし、知っているわずかのことは強い先入観を支持するために用いられた」と。その人を歯車の回し手に選んだ歴史とは、つくづく玄妙なものである。

2 thoughts on “読売新聞

  1. shinichi Post author

    http://d.hatena.ne.jp/ja1bui/20040612

    1988年4月 
    鹿内信隆の長男、春雄が死去。信隆の娘婿、宏明がフジサンケイグループ各社の代表取締役会長に就任。

    1989年1月
    レーガン大統領のホワイトハウスでの最後の晩餐会に宏明夫妻が招待され、大統領と同じテーブルで夕食。

    1989年10月
    フジサンケイグループが10億とも言われる巨費を投じて、レーガン前大統領を招待。産経紙面では20ページもの大特集。

    1990年10月
    鹿内信隆死去。

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