山田英雄

警察といたしましては、レフチェンコ証言の内容につきまして犯罪の存否を確認いたしますために、彼が政治工作担当のKGB機関員として直接運営しておった十一名の者につきまして、必要と判断しましたそのうちの数名の人から事情を聴取するなど所要の調査を行ったわけでございます。また、公務員が絡むとされておるケースも二、三ございました。これはレフチェンコ氏が直接取り扱わなかったものでありましても、事柄の性質上、同様に必要な調査を行ったわけでございます。その結果、いずれも捜査の端緒は得られず、立件には至らないという結論に達したわけでございます。
こうしたことは捜査上の課題でございますが、それとは別に、レフチェンコ証言の信憑性について触れますと、同証言において述べられた政治工作活動はいろいろあるわけでございますが、これと、警察はレフチェンコ氏在日中も彼はKGB政治工作担当機関員の容疑ありということで視察しておりましたが、そうしたレフチェンコ視察の結果あるいは他のKGB機関容疑者の視察結果と照合するとき、また裏づけ調査のプロセスで判明したことの結果、そういうものの照合の結果多くの点で一致するところがありますので、その信憑性については全体として高いと判断いたしております。
以上が、一昨日調査結果ということで発表いたしました内容でございます。

5 thoughts on “山田英雄

  1. shinichi Post author

    http://kokkai.ndl.go.jp/SENTAKU/syugiin/098/0080/main.html

    第098回国会 法務委員会 第10号
    昭和五十八年五月二十五日(水曜日)
    午前十時三十四分開議

    出席国務大臣
      法務大臣 秦野章君
      国務大臣(内閣官房長官) 後藤田正晴君
      国務大臣(国家公安委員会委員長) 山本幸雄君

    出席政府委員
      警察庁警備局長 山田英雄君

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  2. shinichi Post author

    山根卓二
    旧制松江中学校から東京陸軍幼年学校を卒業。終戦時は陸軍士官学校の2年生であった。東京大学文学部を卒業後、1953年に産経新聞社に入社。1982年には同社の常務取締役東京本社編集局長に就任。しかし、レフチェンコによりソビエト連邦のKGBのスパイである疑いが濃厚になり、引責辞任した。
    辞任後は西友の顧問、日本衛星放送(WOWOW)取締役などを歴任し、テレビ埼玉の社長を6年務めたあと会長に就任した。2008年9月5日肺炎のため死去した。

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  3. shinichi Post author

    瀬島龍三
    大日本帝国陸軍の軍人、日本の実業家。陸軍士官学校第44期次席、陸軍大学校第51期首席。大本営作戦参謀などを歴任し、最終階級は陸軍中佐。戦後は伊藤忠商事会長。

    – 亜細亜大学理事長
    – 財団法人千鳥ケ淵戦没者墓苑奉仕会会長
    – 財団法人太平洋戦争戦没者慰霊協会名誉会長
    – 財団法人特攻隊戦没者慰霊平和祈念協会名誉会長
    – サーチファーム・ジャパン株式会社名誉顧問
    – 地域伝統芸能活用センター会長
    – 日本戦略研究フォーラム会長
    – 財団法人花と緑の農芸財団会長
    – 日本美術協会会長
    – 昭和聖徳記念財団理事
    – 全国旅行業協会理事
    – 日本会議顧問
    – 日本電信電話株式会社顧問
    – 日本ツーリズム産業団体連合会顧問
    – 稲盛財団相談役
    – 日本国際フォーラム顧問
    – 理想教育財団理事
    – 五島記念文化財団理事
    – 伊藤謝恩育英財団会長
    – 同台経済懇話会会長
    – 軍事史学会特別顧問
    – 日本テレビ放送網監査役

    (岡部伸)
    ストックホルム駐在の小野寺信少将がつかみ東京に送った「ヤルタ会談後30日以内にソ連が対日宣戦する」という最高機密電報を、参謀本部作戦課の瀬島が握りつぶした。

    (ソ連工作員疑惑)
    1954年のラストボロフ事件において、ソビエト連邦代表部二等書記官だったユーリー・ラストヴォロフが、亡命先のアメリカにおいて、瀬島を含む11人に「厳格にチェックされた共産主義者の軍人を教育した」「これらの人物は共産主義革命のため、モンゴルのウランバートルに存在した第7006俘虜所において特殊工作員として訓練された」と証言した(ほかには朝枝繁春、志位正二、種村佐孝、平沢道則などの名前が挙げられた)。このラストヴォロフの証言はアメリカやイギリスなどでも報道され、日本でもこの事件以降、瀬島をかくれ共産主義者で、ソ連工作員とみなす論がある。
    また、ソ連の対日工作責任者であったイワン・コワレンコは「シベリア抑留中の瀬島龍三が日本人抑留者を前にして『天皇制打倒!日本共産党万歳!』と拳を突き上げながら絶叫していた」 と証言し、「瀬島氏はソ連のスパイではないのか」との問いには「それはトップシークレット」とのみ回答している。
    國民新聞社の山田惠久は1979年10月にレフチェンコ事件に関する記事によれば、レフチェンコはコード名「クラスノフ」の瀬島龍三と直接コンタクトを取ったことはないとしながらも、ソ連の対日工作責任者であったイワン・コワレンコと瀬島が深い仲だと証言。
    なお、ワールド・インテリジェンス誌の黒井文太郎は、コードネーム「クラスノフ」はKGB正式エージェントであるとしている。

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  4. shinichi Post author

    石田 博英
    日本の政治家。労働大臣。内閣官房長官。衆議院議員。勲一等旭日大綬章。

    元ソ連国家保安委員会(KGB)職員で1992年にイギリスに亡命したワシリー・ミトロヒンが持ち出した資料「ミトロヒン文書」、および同じく元KGBでアメリカに亡命したスタニスラフ・レフチェンコの証言では、“フーバー”というコードネームを持つKGBのエージェントであったとされている。

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  5. shinichi Post author

    勝間田清一
    日本社会党委員長、政審会長、国対委員長、衆議院副議長を歴任した。正三位勲一等旭日大綬章。

    社会主義理論家としては国際的に認められており、ドイツ民主共和国(東ドイツ)のマルティン・ルター大学から名誉博士号を授与されている。なお、ソ連から米国へ亡命した元KGBスパイであるスタニスラフ・レフチェンコの証言によると、勝間田はGAVRというコードネームを持つKGB工作員であったとされた。また元KGBのワシリー・ミトロヒンが亡命時に持ち出した極秘資料(ミトロヒン文書)によりこの証言が裏付けられた。

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