山上宗二記

慈照院殿は東山御隠居にて、四時ともに昼夜御遊興ありしに、ころは秋の末、月待つ宵の虫の音も物哀れなる折節、宵の虫の音も物哀れなる折節、能阿弥を召して、源氏物語雨夜の品定めなど読ませ、歌連歌、月見、花見、鞠、小弓、扇合、草尽、虫尽、さまざま興を催し、来方の事ども御物語ありし時、慈照院殿仰せ出され、昔より有り来たりの遊興も早事尽ぬ。漸く冬も近くなりぬ、雪の山を分けて鷹狩りも老身に似合わず、何か珍しき御遊びあるべきと御靛ありしに、能阿弥謹みて得心して、憚りながら申し上る。御釜の熱音は松風を猜む、かっまた、春夏秋ともに面白き御遊びにて候。このごろ南都称名寺に珠光と申す者御座候。この道に志し深く、三十歳以来茶の湯に身を抛ち、または孔子の道をもやびたる者にて候。珠光より密伝の事、口伝の事、あわせ二十一箇条の子細を以てことごとく言上す。また、 唐物御厳は非時の物を眼前に見る、これまた名物の徳なり。小壺、大壺、花入、香炉、香合、絵、墨跡等古びたる御遊びは茶の湯に過ぎたる事あるまじき。また禅宗墨跡を茶の湯に用いることあり、これは珠光が休和尚より圜悟の墨跡を得てこれを一種に楽しむ。しからば仏法も茶の湯の中にあると委細に次第を言上す。これにより、慈照院殿珠光を召し出され、茶の湯の師匠と定め給い、御一世の御楽しみこの一事なり。

3 thoughts on “山上宗二記

  1. shinichi Post author

    慈照院殿: 足利義政

    休和尚: 一休和尚

    『山上宗二記』は、千利休の高弟・山上宗二が天正16年(1588年)に記した茶道具の秘伝書。ただし道具の所持者の情報から、その成立は天正14年(1586年)に遡ると考えられている。
    内容の大部分が名物記であるため『南方録』のように茶道界に大きな影響を与えることはなかったが、20世紀以降、『南方録』の偽書説が認知されるに従い、天正年間の確実な資料として研究者の間で重要視されるようになった。

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  2. shinichi Post author

    当時はまだ書院の近くに設けられた茶湯所とか茶立所などとよばれる別室に茶道具が置かれていて、そこで同朋衆が点てた茶だけが将軍らに運ばれ、飲まれていたのだった。

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