稲垣直樹

21世紀は情報と記号の時代であり、バーチャル世界の優位、あるいは非現実の優位の時代である。ミシェル・フーコーを援用するまでもなく、19世紀以降、我々の社会生活は「近代」と呼ばれうる共通の価値観に則って営まれている。その中でも20世紀は、19世紀的な身体的時間・空間の認識と、20世紀的な(例えば映画のように複製可能な)超身体的な時間・空間の認識が並存し、かつ、バランスがそれほど崩れていなかった時代であったと言いうる。ところが、21世紀になって、バーチャル空間が常識化・日常化し、時間・空間がもはや架空のものでもよいように我々は感じ始めている。 20世紀は工業社会、大量生産・大量消費全盛の時代であり、ものづくりが基本であったが、それが、情報がすべてを動かし、富を生み出すようになってしまったというのが21世紀である。この情報化へのシフトは、1970年代に始まり、1980年代、90年代と急速に進行した。そして、21世紀、情報の時代になったということを最も強く象徴するのが、ヒト・ゲノムの解読が2003年に完了したという大変な出来事である。ヒト・ゲノムとは人間の身体を構成するすべての遺伝情報であり、それが解読されたのである。近いところでは18世紀以来と一応言っておくが、これまで「人間機械論」が主流であった。その人間機械論すら、もはや我々には真実味を欠くものとなった。例えば、ある病が起こるのはある器官が「故障した」からというのが人間機械論の捉え方だが、ヒト・ゲノムの解読以来の捉え方は、それは、その病気を起こしやすい遺伝情報がDNAのどこかにあったからではないかということになる。我々人間自身が完全に情報の集積になってしまったという、ほとんど前代未聞の大きな変革が起こったわけである。

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