「知識」はそれ自体としていわば自己完結的に問うことはできない。基底的には、「知識」は(人間の)生(活)の営みの全体のなかではじめて十全に捉えられる。そして、「日常生活」がこの「生の営み全体」の中核に置かれる。このことは、日常生活をも、同時に、その日常生活のなかの知識をも問うことを意味する。
「知識」はそれ自体としていわば自己完結的に問うことはできない。基底的には、「知識」は(人間の)生(活)の営みの全体のなかではじめて十全に捉えられる。そして、「日常生活」がこの「生の営み全体」の中核に置かれる。このことは、日常生活をも、同時に、その日常生活のなかの知識をも問うことを意味する。
日常生活と知識
by 安彦一恵
in 知識/情報の哲学
岩波講座 哲学04
知識/情報の哲学
I 知の起源と挑戦
1 日常生活と知識(安彦一恵)
(sk)
「科学」の「基礎づけ」は「生活世界」との関連づけにおいてはじめて十全となる。
「日常生活」からの一種の必然として「知識」がある。
宗教を基底に置く考え方もあるが、それは転倒である。
宗教の世界は、基底である日常世界からの派生態である。
「日常生活」の分別知に対して、同じ「日常生活」に関する別様の了解の「知」(「身体知」)が対置されることもある。
うーん。