テクノロジーが監視する社会

 IoTに代表されるテクノロジーによって社会の監視能力が急激に増大し、社会の透明性が高まってきている。監視というとネガティブなイメージが付きまとうが、監視のおかげで得られた街の安全や人々の安心は、人類がはじめて手に入れたものだ。
 普段はあまり意識することがないが、商用の人工衛星画像の解像度は向上し続けている。会社によっては100基以上の人工衛星を保有していて、さまざまな用途に使われているが、監視という目的にももちろん使われている。近い将来、私たちが宇宙から監視されてしまうのは間違いない。
 人工衛星とまで言わなくても、ロボットに組み込まれた検知装置、警官や警備員がからだに付けているボディカメラ、車に搭載されたドライブレコーダー、建物の中に据え付けられた防犯カメラ、街中に置かれた監視カメラ、そして、何億個ものセンサー。インターネットに接続された IoT デバイスが監視社会を支え、私たちの安心安全を保障している。
 人びとが期待するのは、警官がボディカメラを身につけることで警官の横暴が減るとか、ドライブレコーダーが車に搭載されることで乗客による運転手への暴力が減るとか、商店に防犯カメラが置かれることで盗難や万引きが減るというようなことだろう。
 でも実際には、映像のチェックはあまり行われるようにならない。その代わり、関係者の行動が驚くほど変化する。自分が監視されていると思った人たちが、それに合った行動を取るようになるのだ。カメラを着用した警官は暴力を振るわなくなり、監視システムを導入した商店では従業員の窃盗が減る。映像が証拠として使われることはあまりなく、人びとの行動の変化が際立って大きいのだ。
 もちろん監視テクノロジーによるネガティブな影響も出てくる。映像が管理者によって見られているのを知った従業員が、与えられた仕事だけをするようになる。それ以上のことは誰もしない。意味のない仕事でも考えずにこなす。個人の持つ知恵も知識も経験も仕事に生かされず、問題解決とか危機管理とかとは無縁の仕事場が生まれてしまうのだ。
 そんな無気力な職場が生まれてしまうのを防ぐために、テクノロジーによる監視に対応した職場環境の改善が必要だ。職員が「道徳的なことを含めての判断力」や「問題解決の先にある創造力」を持つことのできる職場環境というものは、そう簡単に作れるものではない。
 それと同時に、外部のこと、つまり大きく変わり続けている社会のことも常に頭に入れておかなければならない。誰もが映像を記録できる社会だということを忘れずに行動しないと、予期せぬ災難が降りかかる。
 以前のように監視する側と監視される側がはっきり区別できた社会と違い、全員が全員を監視している社会には、全く異なるルールが存在している。トランスペアレントであることをいいことだとし、可視的であることが道徳的に正しいとするならば、社会は退化してしまう。
「誰もが誰をも監視する社会」にはプライバシーがなく、また自由もなく、人間性もない。テクノロジーの進化が止められないとしたら、そして監視し合う社会の深まりを阻止できないとしたら、その先には地獄のような監視社会が待っている。
 権力を監視できるといって単純に喜んだり、安全安心の社会がやってきたといって満足したりしている場合ではない。

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