繋がりと共有の社会

 検索エンジンや SNS は使えば使うほど、自分と似通った興味を持った人たちや自分と同じような意見を持った人たちを引き寄せ、インターネットのなかに自分に近い人たちのコミュニティーを作り上げる。そのコミュニティーのなかでは自分に似た人にしか出会わない。異なった興味を持っている人や違う意見を持っている人は、外部の人として遮断され、出会うことはない。
 健全な社会では、いちばん適した答えを得るために、クリティカルシンキング(批判的思考)が欠かせない。批判がなく否定性が存在しない社会が、間違った方向に走り出すのは、歴史が証明している。
 検索エンジンや SNS が作り出しているのは、まさにこの間違った方向に走り出す社会だ。批判も否定性もない「大きな仲良しクラブ」のような社会は、危うい。
 ディジタルの「大きな仲良しクラブ」がメンバーに提供するのは、メンバーが好む社会の断面だ。好むものだけのインターネットは、好まざる人がひとりもいない快適な空間だ。地理的に遠い人もメンバー同士であればとても近い。そして親密だ。それに対して外部の人はとても遠い。
 親密さがすべての社会では、何をしたかよりも、どれだけ親しいかが重要だ。なにをしても「大好きな仲良しクラブ」のメンバーは無条件に賛成してくれる。何をしたかで評価されず、人柄やイメージで評価されるとなると、メンバーは自らを良く見せることに躍起になり、人気という実態のないものを得ようとして SNS にさらに没頭する。
 インターネットのコミュニティーのなかで、人は誰も自分の実態を見せたりはしない。装飾し、話を盛っている。その分、ひとりひとりは酷く孤独だ。検索エンジンや SNS が登場する前から孤独だったリーダーたちは、検索エンジンや SNS と共にさらに孤独の度を増している。孤独になればなるほど「大好きな仲良しクラブ」の必要性は増す。
 こうして嗜好の似た人たちの結びつきが強固になってゆく。

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