ねじれた管理社会

 インターネット以前に、人は刑務所の延長のような管理社会が訪れることを危惧した。危惧は現実となり、工場は生産性向上のために管理され、学校は学力向上に向けて管理された。病院では病人が規則で管理され、介護施設では事故を防ぐという名目で管理が強化された。
 支配したものが権力を持ち、権力のある者が管理する。管理される者は自由を失い、まるで奴隷のようになってしまう。管理社会には「管理者」と「管理される弱者」という、極めてシンプルなモデルが存在していた。
 ところがインターネットが世界中を覆い、AI が身近なものになってみると、シンプルなモデルは最早なんの役にも立たないということがわかってきた。ブロックチェーンに代表されるように、AI を含めた最新のテクノロジーは、事実にしか意味を見つけようとしない。
 誰でもが「不正に改ざんされることのないブロックチェーン」を確認することができるということからわかるように、社会はどんどんトランスペアレントになってゆく。AI が論理的なことから、合理的な判断が広がってゆく。IoT端末が街中に溢れることで、街が安全になってゆく。
 テクノロジーによって生まれた管理社会は、誰にとってもいいものに見えた。テクノロジーによって誰もが自由を得られるはずだった。ところが実際の社会は残酷なくらいねじれた方向に向かっている。
 人がお互いを管理するだけでなく、テクノロジーも管理に加わる。軍事力、警察権力、税務権力といった権力や、会社組織や医療法人といった力のある組織は、毎日のように新しく生まれるテクノロジーを最大限に利用し、管理を強める。
 テクノロジーの進化によって管理能力が弱まると思われた権力や組織は、財力と法律とを最大限に使って管理能力を強め、管理の度合いを増す。
 疑心暗鬼になった人たちは、見られているのではないだろうかとか、わかられているはずだといった想像から、より強く管理されてしまう。
 トランスペアレントな社会になって、見張られるはずだった権力は秘密のなかに隠れ、すべての自由は根絶する。自分から進んで管理されようとする人たちは、ねじれた管理社会に安らぎを感じ、感謝さえする。
 情報とコミュニケーションのテクノロジーが進化して、情報とコミュニケーションが多くなり続けても、社会は良くならない。情報とコミュニケーションが社会に光を当てて明るい状態にするというのは、今となっては、ただの理想でしかない。
 インターネット上を駆け巡る情報とコミュニケーションは、想像や憶測を交えることで実際に起きたことよりもはるかに面白くなり、事実より存在感があり生き生きとしている。それと比較して、実際に起きたことは何の面白さも持ってはいない。
 多すぎる情報とコミュニケーションは、事実を歪めることはあっても、事実を伝えることはない。真理から遠ざかるばかりで、真理に近づくことはない。ゴタ混ぜの情報とコミュニケーションが暗闇に光をもたらすことはない。
 ねじれた管理社会は、自由がないという一点をもってしても、今までのどんな社会より暗い。

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