誤解

Charles Baudelaire の「L’Homme et la Mer」
 が
ボオドレエルの「人と海」
 になり
Homme libre, toujours tu chériras la mer !
La mer est ton miroir ; tu contemples ton âme
Dans le déroulement infini de sa lame,
Et ton esprit n’est pas un gouffre moins amer.

 が
こころまゝなる人間は、いつでも海が好きなもの!
海はなが身の鏡にて、汝はなが魂打眺む
はてなき浪の蕩揺に
さてなが魂もいやにがき、深淵ぞ

 になったとき、すべての誤解が始まる

中原中也
 は、第一行を読んで、
先づ見えて来るのは水平線である。とまれ渚よりも、沖の方が想ひ出される。然しこれを歌つてゐるのがボオドレエルだと思ふと、船の沢山ゐる港、それも余り大きくない港が見えて来たりする。どういふわけだか知らぬ。
 と書き、第二行、第三行を読んで
海は汝が身の鏡にて、と云はれるとなんだか罪でも犯した気持になる。それかあらぬか、猫の瞳孔が紋ママむやうに、海は急劇に曇つて来て、今にも時化しけでもやつて来さうだ。然しまあ、よく視よう、鏡なんだもの、と緊張を増すと同時に、急いで先が読みたくなくママなる。
はてなき浪の蕩揺に、汝はなが魂打眺む……「なーるほど…」と思ふのは、恐らくボオドレエルが私自身より意識的であることに気が付くからである。長の年月、海を見るたびに、おぼろに感じてゐたことが、急に明るみに出た感じ。

 と続ける。
 誤解に誤解を重ねていっても、誤解は誤解でしかない。

 中原さんは、がっかりするかもしれないけれど
 Baudelaire は ボオドレエル と違って、とても普通の人なのだ。

3 thoughts on “誤解

  1. shinichi Post author

    Les Fleurs du mal
    Charles Baudelaire
    https://fr.wikisource.org/wiki/Les_Fleurs_du_mal/1857/L%E2%80%99Homme_et_la_Mer

    XIV

    L’HOMME ET LA MER

    Homme libre, toujours tu chériras la mer !
    La mer est ton miroir ; tu contemples ton âme
    Dans le déroulement infini de sa lame,
    Et ton esprit n’est pas un gouffre moins amer.

    Tu te plais à plonger au sein de ton image ;
    Tu l’embrasses des yeux et des bras, et ton cœur
    Se distrait quelquefois de sa propre rumeur
    Au bruit de cette plainte indomptable et sauvage.

    Vous êtes tous les deux ténébreux et discrets ;
    Homme, nul ne connaît le fond de tes abîmes ;
    Ô mer, nul ne connaît tes richesses intimes,
    Tant vous êtes jaloux de garder vos secrets !

    Et cependant voilà des siècles innombrables
    Que vous vous combattez sans pitié ni remord,
    Tellement vous aimez le carnage et la mort,
    Ô lutteurs éternels, ô frères implacables !

    Reply
  2. shinichi Post author

    海の詩
    ――人と海――
    中原中也

    https://www.aozora.gr.jp/cards/000026/files/55706_56014.html

     こころまゝなる人間は、いつでも海が好きなもの!
     これは、ボオドレエルの「人と海」といふ詩の、第一行である。海と聞くたびに、海を見るたびに、この歌を思ひ出すから、以下私は此の詩を辿り乍ら、「海の詩」といふ課題を果さう。然し何も、此の詩を解説しようといふのではない。此の詩を辿り乍ら、この稿を書いてゐる今、色々と心に浮ぶことを、何の反省をも加へずに、唯々書誌してみたいと思ふ。

     第一行を読んで、先づ見えて来るのは水平線である。とまれ渚よりも、沖の方が想ひ出される。然しこれを歌つてゐるのがボオドレエルだと思ふと、船の沢山ゐる港、それも余り大きくない港が見えて来たりする。どういふわけだか知らぬ。同じく海の出て来るボオドレエルの詩だつて、「信天翁」だと、広々として一物も見えぬ、秋も終りの海が見えて来る。
     それはさて、今よりも、子供の時分の方が、よつぽど海は好きだつたやうだから、してみると今よりも、あの頃の方が「こころまゝ」だつたのだらうか?
     つまらないことを思つてみたりするものだとは思ひ乍らも、なんだかこれはドキンと来る。

     第二行、第三行。海はなが身の鏡にて、はてなき浪の蕩揺たゆたひに、汝なれはなが魂たま打眺む
     海は汝が身の鏡にて、と云はれるとなんだか罪でも犯した気持になる。それかあらぬか、猫の瞳孔が紋ママむやうに、海は急劇に曇つて来て、今にも時化しけでもやつて来さうだ。然しまあ、よく視よう、鏡なんだもの、と緊張を増すと同時に、急いで先が読みたくなくママなる。
     はてなき浪の蕩揺に、汝はなが魂打眺む……「なーるほど…」と思ふのは、恐らくボオドレエルが私自身より意識的であることに気が付くからである。長の年月、海を見るたびに、おぼろに感じてゐたことが、急に明るみに出た感じ。

     第四行。さてなが魂もいやにがき、深淵ぞ
     さうに違ひない、海を見てると溜息が出る。然し茲でもボオドレエルは、意識的だ。
     扨、魂はにがい深淵だぞといふやうなことを我々日本人が云ふと、一寸そぐはない感じがしよう。なんだかこれは、ロマンチシズム開花する国で云ふにふさはしいことのやうだ。さういふと、外国人はたゞもう楽天的で、我々は唯もう渋い一天張りの国民のやうな気もするが、そんなことは、一朝にして決められることではない。

     第五、第六、第七、第八行。なれは喜ぶなが影の、すがたの海に跳び入りて、眼に腕にかい抱き、それな固有のざはめきに、なれがこゝろはなごむなり、抑へがたなきはた荒き、浪の歎きのかの響き
     もはや眺めてはゐられなくなつた、跳び込んで、眼に腕にかい抱き、それな固有のざわめきに、なれがこころはなごむのだ。抑へがたなきはた荒き、浪の歎きのかの響き。浪のうねりと白歯が見える。

     第九、十、十一、十二行。汝いまし等ともに闇くして、且はひめやか。汝が底を探りたる、者とてはなく、汝がゆたけき内奥を、知るものとてなかりけり、さまで汝等秘密をば、守らんこと敏なりき!
     茲で漸く海はその深い感じを、寧ろ肉感的にさへ感じさせる。第一、二、三、四行に於ても、第五、六、七、八行に於ても、海は猶深さよりも広さを感じさせたが、茲に於て海は深く、ふてぶてしくも狂暴である。

     第十三、十四、十五、十六行。さあれ日は過ぎ月は逝き、なれ等血もなく涙なく、よくぞ鬩めげる数千年、さても殺生はての死の、よくぞ好きなる、おゝ永遠の闘争よ、おゝ恩怨の同胞はらからよ!
     海は深く暗かつた。秘密を握つて放さなかつた。然しその海の上にも星変り、月変つて、――と茲で、私の目は漸く海を去つて、なんだか海と空との中間の奥といつた感じの方角に、過ぎ逝ける諸世紀が、黒光りする中世の武具の色をして、堵をなして潜んでゐるやうに感じられる。
     さても殺生はての死の、よくぞ好きなる。思へばさうだ、インテリでさへ、勝たう勝たうの流行ぢやないか。おゝ、恩怨の同胞はらからよ! 恩怨の同胞よ!

    Reply

Leave a Reply

Your email address will not be published. Required fields are marked *