分断された社会

「Google」や「百度」に代表されるインターネット検索を何回繰り返しても、ソーシャル・ネットワーキング・サービス(SNS)をいくら使っても、不思議なことに、興味の一致する人にしか出会わない。インターネットのなかの世界には、自分に似た人しかいない。
 自分の気に入ることだけを切り取ってきた世界には、同じ意見や同じ好みを持った人が集い、その世界にしかない事実が生まれ、その事実を間違っているという人は、その世界には入ってこない。
 外の意見は見事なまでに遮断され、批判的な意識は消え、正しいと信じることが確信になってゆく。親しさに溢れる世界は快適で、公共性は遠いものになり、プライバシーは意味を失ってしまう。
 遠いところのものが取り除かれた近いところだけの世界は、他に世界があることを見事なまでに忘れさせ、外に向かって開こうとすることはなく、外のことを気にすることもない。
 この世界も、あの世界も、どの世界も、この人も、あの人も、どの人も、決して交わることはない。
 社会はいつも2つに分かれる。都市に住む人たちと地方に住む人たち。富裕層と貧困層。老人と若者。保守とリベラル。違うグループの人たちは、違うところに住み、違うものを食べ、違う情報に触れ、交わることなど考えられない。
 境界には線が引かれ、つながりは断ち切られ、格差が大きくても見て見ないふり。忙しい人々に優しさなどなく、信じることのできる人はどこにもいない。
 助ける人は鈍感で、助けられる人を傷つける。理不尽さは説明されず、思考は停まったままだ。誰も自分がどちらにいるのかを知らない。あちらなのか、こちらなのか。内なのか、外なのか。
 誰もが部外者よりも部外者で外人よりも外人に見えてしまう社会で、孤立するのが恐くて分断された社会の一方に与しようとする。
 インターネット検索やSNSを使ったせいで分断が起きたというのに、多くの人がそのことに気づかずにいる。

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