Category Archives: attitude

Using Curiosity to Increase the Choice of Should Options (Evan Polman)

Piquing people’s curiosity can influence their choices by steering them away from tempting desires, like unhealthy foods or taking the elevator, and toward less tempting, but healthier options, such as buying more fresh produce or taking the stairs.
Evidently, people really have a need for closure when something has piqued their curiosity. They want the information that fills the curiosity gap, and they will go to great lengths to get it.
Our results suggest that using interventions based on curiosity gaps has the potential to increase participation in desired behaviors for which people often lack motivation. It also provides new evidence that curiosity-based interventions come at an incredibly small cost and could help steer people toward a variety of positive actions.

Deprivation curiosity (Jonathan Schooler)

General-interest curiosity celebrates a lack of knowledge as an opportunity to gain more knowledge. People who exhibit this trait are motivated to learn for learning’s sake. General-interest curiosity takes delight in the fact that we don’t know everything and that there’s so much wonderful information to graze out there. This expression stands in awe before mystery and accepts all that we do not—and cannot—know, which means it’s closely linked to intellectual humility.
Deprivation curiosity, on the other hand, functions in a utilitarian way. Rather than an exploratory desire to learn, it wants an answer to fill a gap in knowledge. Deprivation curiosity stems from an aversion to not knowing something; its motivation is to squelch the discomfort of uncertainty. Because deprivation curiosity clamors for information as a way to avoid unknowing, it’s linked to a lack of intellectual humility. This drive to find an answer isn’t always bad. We do think it’s likely to be an important complement to general-interest curiosity. You can easily imagine that when Einstein was pursuing his passion for understanding relativity, he had a sense of, ‘I must get to the bottom of this—I won’t sleep until I do!’
Because deprivation curiosity is linked to intellectual arrogance, it predicts other negative behaviors. When you lack intellectual humility—when you feel like you need to know everything and you realize there’s something you don’t know—that leads to an uncomfortable gap. In order to fill this gap and minimize discomfort, people tend to look for answers without discernment. For example, “we see them accepting fake news because they don’t like the feeling of uncertainty that maybe this [news] isn’t true. In a similar way, deprivation curiosity can lead people to create false memories. When we seek an answer purely to avoid not knowing, in other words, we run the risk of accepting the wrong answer.

愛と欲望(山本芳久、若松英輔)

 山本 アーレントは次のように述べています。「『愛』caritasと『欲望』cupiditasは、それぞれの追求する対象によって互いに区別されるのであり、追求の仕方そのものによって区別されるのではない」。
 ラテン語には愛や欲求を意味する単語が結構たくさんあります。アウグスティヌスは、それをうまく区別しながら議論を組み立てていて、caritasとcupiditasは代表的なものなんです。caritasはキリスト教的な愛ですね。それに対して欲望cupiditasとは、特にこの世的なものを自分のものにすることを意味する単語だと言います。
 若松 愛と欲望について、アーレントは、愛は「善きもの」を希求すると言います。さらに愛は、「善きもの」だけでなく、永遠なるものと人間を結ぶ、とも書いています。一方で、欲望は時限的なもの、永遠ならざるものを求めていくといいますね。
 山本 さらに彼女は、「人間とは、その人が追い求めるものにほかならない」とも言います。「『欲望の人』は、自らの『欲望』そのものによって消えゆく運命へと定められるが、他方『愛』は、追求される『永遠性』の故に、自ら永遠なるものとなる」とも。儚いもの、この世的なものを欲望する人は、自分自身が儚い存在であることになってしまうわけです。
 欲望=クピディタスが軸になっている人は、本当に求めるべきもの、探究すべきものを見失って、その代わりに雑多な、この世的なものにとらわれる。それを「好奇心(curiositas)」とアウグスティヌスは呼びます。現代では「好奇心」はよいものと言われることが多いのですが、キリスト教哲学、アウグスティヌス以来の伝統では、「好奇心」はよからぬものなのです。

好奇心(若松英輔)

好奇心を持つのはよいことである、と教わってきた。事実、世の中は好奇心を刺激するもので満ちている。目を引く、変わった、衝撃的なものによって他者の関心を集めようとする。事実を偽り、捏造することすら試みる人たちもいる。
そのいっぽうで好奇心を強く戒める人たちがいる。哲学者のハンナ・アーレントはそのひとりだ。

Epictetus(エピクテトス)

If you are ever tempted to look for outside approval, realize that you have compromised your integrity. If you need a witness, be your own.

誰かに認められたいと思った時には、自分に妥協しているということに気づいてください。誰かに見てほしいと思ったら、自分に見てもらえばいいのです。

Junya Ito

Son entraîneur, Will Still, confirme : « Ito, c’est Ito, il est dans son monde, fidèle à lui-même, s’amuse-t-il. Mais on lui permet d’être lui-même. Ce n’est pas le plus grand fan des entraînements et le jour de la reprise, il doit courir moins que les gardiens ! Mais au fur et à mesure de la semaine, il prépare son match à sa façon qui est différente de tous les autres. »

A.I. (De Kai)

Philosophers, politicians and populations have long wrestled with all the thorny trade-offs between different goals. Short-term instant gratification? Long-term happiness? Avoidance of extinction? Individual liberties? Collective good? Bounds on inequality? Equal opportunity? Degree of governance? Free speech? Safety from harmful speech? Allowable degree of manipulation? Tolerance of diversity? Permissible recklessness? Rights versus responsibilities?
There’s no universal consensus on such goals, let alone on even more triggering issues like gun rights, reproductive rights or geopolitical conflicts.
In fact, the OpenAI saga amply demonstrates how impossible it is to align goals among even a tiny handful of OpenAI leaders. How on earth can A.I. be aligned with all of humanity’s goals?

目に見えない戦い

今は 下を向いては いられない
動き続けなければ ならない
向こう側に 何があるかわからずに
できるだけ早く 走ってゆかなければならない

これから何が起きるのかについて
何の幻想も抱いていけない
きっと計り知れない残酷さが
待っている

最大の障害は
一部の人に特権を与え
他の人を踏みつぶす
冷徹なシステムや 冷酷な無関心

でも 味方を
見つけるかもしれない
前進する道を
見つけるかもしれない

思い込み

人は
自分の状況に満足しているときでも
みんなには悪いことが起こっていると思い込む
それなのに
みんなの状況が悪いことに気づかず
自分だけに悪いことが起こっていると思い込む

中退

Bill Gates
Microsoft
大学中退
 
Paul Allen
Microsoft
大学中退
 
Steve Jobs
Apple
大学中退
 
Larry Ellison
Oracle
大学中退
 
Michael Dell
Dell
大学中退
 
Matt Mullenweg
WordPress
大学中退
 
Arash Ferdowsi
Dropbox
大学中退
 
Mark Zuckerberg
Facebook
大学中退
 
Jan Koum
WhatsApp
大学中退
 
Evan Williams
Twitter
大学中退
 
Daniel Ek
Spotify
大学中退
 
Travis Kalanick
Uber
大学中退
 
Richard Branson
Virgin
中等教育学校中退
 
本田宗一郎
ホンダ
小学校中退
 
松下幸之助
松下電器
小学校中退
 
田中角栄
日本国
高等小学校卒業
 
堀江貴文
ライブドア
大学中退
 
瀬戸健
ライザップ
大学中退
 

スベトラーナ・アレクサンドロヴナ・アレクシエービッチ(Святла́на Алякса́ндраўна Алексіе́віч)

人はどうすれば絶望から救われるのでしょうか。
近しい人を亡くした人、絶望の淵に立っている人のよりどころとなるのは、まさに日常そのものだけなのです。例えば、孫の頭をなでること。朝のコーヒーの1杯でもよいでしょう。そんな、何か人間らしいことによって、人は救われるのです。

菜々緒

「傷つく言葉を当たり前のように言う人がいます。どう立ち直ればいいですか?」
⇨(菜々緒さん):「その言葉を受け取らない。そうすると言葉はそのまま相手にお返しできます」

持たないことで得られる豊かさ(キナリノ)

なにかを手に入れることや所有することが、幸福の証であるという概念。必ずしもそうとは限らないと思いませんか?
物がない時代は、物を持つということは「安全・安心」の象徴でもあり、成功の象徴でした。
しかし、物資に恵まれた国に暮らしている私たちにとって、物質的豊かさが与えてくれる「安全・安心」の概念は薄まりつつあり、幸福のカタチも多様化しています。
物質面だけでなく、精神面でも「社会的成功」が幸せのゴールではなく、「自分らしい暮らしの中で育んでいく幸福のカタチ」によりスポットがあてられてきているような気がします。
物があればあるほど幸福であるという錯覚は、今後少しずつ古い価値観になっていくでしょう。
物を持たない暮らしにシフトすることで、物に依存していた時には気づかなかったことに気づくことができます。
「持たない」シンプルライフは、心に豊かさを感じさせてくれるでしょう。

Metsä meidän jälkeemme

Suomalainen metsä elää kohtalonhetkiään. Metsistämme valtaosa on talousmetsää, ja hakkuut ovat ennätysmäisen suuret. Miten tähän on tultu? Vetävästi kirjoitettu teos ehdottaa vaihtoehtoja puupelloille ja pohtii yhdessä metsänkäyttäjien ja tutkijoiden kanssa, millaista suomalainen metsä voisi olla tulevaisuudessa – sellainen metsä, josta hyötyvät niin kansantalous kuin helmipöllökin.

Kirja on kiihkoton, mutta otteeltaan kriittinen, ja se esittää metsäpolitiikastamme karun kuvan. Olemme metsäkansa, mutta kirja herättää meitä huomaamaan, että suuri osa Suomen metsistä on nyttemmin avohakkuita läpikäyneitä talousmetsiä. Teollisuuden toiveiden mukaisesti ja hallituksen hyväksynnällä metsiä kaadetaan laajoilla avohakkuilla.
Käsillä oleva kirja ei ole eikä väitä olevansa koko totuus, mutta se on painava puheenvuoro tuiki tärkeään metsäpoliittisen keskusteluun. Lisäksi kirja on hyvin jäsennelty, raikkaasti kirjoitettu ja kauniisti kuvitettu.

見る

見ようとするから 見えない
見ようとしなければ 見える
まるで禅問答のようだけれど
見るから 見えない
見なければ 見える
そんなことをわかるために
まず 見ないことを学ぶ
そして 見ることを学ぶ
見ないことを知らない人に
見ることはできない
余計なことを知り
余計なことは見ない
何が大事かを知り
大事なことだけを見る
そうすれば 見える

勝とうとすれば負け
負ける気でいれば勝ち残れる
生きようとすれば死に
死ぬ気でいれば生き延びる
そう なんでも同じ
見ようとするから 見えない
見ようとしなければ 見える

加賀尾秀忍

加賀尾がマニラのモンテンルパ刑務所に着いたのは、1949年10月。そこで見聞きしたものは、彼の想像をはるかに越えた悲惨な現実だった。たとえば、セブ島メデリンで行われた村人殺害事件。日本軍は村に潜むゲリラ退治のため、村人を殺害、婦女子を強姦、村の焼き討ちなど残虐の限りを尽くした。
この事件で実際に起訴された13人の内、明らかに6人は事件と無関係だった。彼らは、メデリンなどに行ったこともなかったのである。にもかかわらず、この13人は全員死刑の宣告を受けてしまった。どうしてこんな理不尽なことが起こったのか。それは、日本軍の雑役夫であった一人のフィリピン人の証言に基づいていた。彼は容疑者の面通しの際、「あれもいた、これもいた」と指をさしたのである。

外岡秀俊、沢木耕太郎

もし、私がこの文庫『北帰行』の担当者だったならば、解説には、沢木耕太郎が1992年4月に書いた「幻の『西四十三丁目で』」というエッセイを、解説にかえる形でそのまま収録したような気がする。
沢木は、ニューヨークを仕事で訪れていた時、当時朝日新聞で連載中の「彼らの流儀」の執筆に、朝日新聞のニューヨーク支局の机を借りることにする。ここで、沢木は、初めて外岡に出会うのだが、最初は気まずい思いをした。というのは、外岡の『北帰行』を新聞の書評でとりあげていたのだが、<いくつかの細かい欠陥をあげつらうような文章を書い>ていたからだ。
沢木は、そうした書評を書いてしまったのは、世代の近い外岡に対する嫉妬心であったということをそのエッセイで正直に告白している。で、外岡にあわす顔がなかったのだが、しかし、外岡は、その書評を、「感謝している」と言ったのだった。
沢木のエッセイのきもはそれからだ。この顛末を原稿にして朝日新聞に連載していた「彼らの流儀」の一回分にしようと、外岡に原稿を送って掲載の許可を求めたところ、こう言われて断られてしまうのだ。
<自分はこれまで、かつて小説を書いたことのある外岡秀俊ではなく、朝日新聞のごく普通の記者のひとりとしての外岡秀俊であることを意志してきた>
『北帰行』の中で外岡は、社会主義者、無政府主義者としての啄木と吟遊詩人としての啄木をどう考えたらいいのか、ということを主人公の「私」に追わせている。それは常に分裂したものとして批評家からとらえられていた。しかし、と主人公である「私」は啄木の北海道時代の足跡をたどったすえに次のような結論に達するのだ。
<啄木が大逆事件に異常なまでの関心を抱いてその真相を究明したのは、彼が一人のジャーナリストであったためというばかりではないだろう。彼は詩人であったからこそ、国家の犯罪を糺明せずにはいられなかったのではないか(中略)。彼はくらしの中にできた歌の小径を通って、無政府主義に赴いたのだった>
これは、その後外岡が朝日でたどることになる道をそのまま予言していた。

杉浦日向子

数値は、
風向きを知る予報であって、
自分の健康の出来不出来ではないと思う。
ことに、
年齢、身長、体重、スリーサイズ。
それらは、十の単位で認知していれば
十分なことで、
それなりに安定していれば OK のはずだ。
わたしたちが持つ、
命の力は、
たぶん数字では測れない。

スポーツとビジネス

日本サッカー協会が電通と8年総額350億円の大型パートナーシップ契約を結んだ
報奨金、ボーナスなどが加わると 契約は最大で400億円に上ることも考えられる
アディダスとの8年契約と合わせると 8年間のスポンサー料は総額560億円にもなる

2014年 FIFAワールドカップ ブラジル大会のあとに
為末大が(サッカーの日本代表は責任を取るべきなのか)という疑問を提起した
この疑問に対してのひとつの答えが
日本サッカー協会の大型契約にあるとは言えないか

スポンサーには
  サッカー日本代表が予選リーグで敗退していなければもっと稼げたのに
という言い分がある
  こんなに多額のカネを出しているのだから、それに見合うだけのことをしろ
というのがスポンサーの論理だろう
  こんなに多額のカネをもらったのに それに見合うことができなくて申しわけない
というのが日本サッカー協会の立場かもしれない

スポンサーは サッカーでの勝ち負けについて責任を取れといっているのではない
ビジネス上の失敗について責任を取れと言っているのだろう
でもそれを言っちゃあ お終いなのではないだろうか

スポーツで負けたからといって責任を取れというのは
サダムフセインのイラクとか 金王朝の北朝鮮とか 血気にはやりやすいコロンビアとか
そういう国だけでいいのではないか

サッカー日本代表に選ばれるような選手は みんな何億円もの収入を得ている
そして ファンは 日本代表が勝ち続けるという ありもしない夢を見ている
アディダスも 電通も 電通にぶら下がっているたくさんの企業も 大儲けしている

みんなが いい思いをしている
誰も謝らなくていい
誰も責任を取らなくていい

Walter Lippmann (Public Opinion)

Out of the opposition we make villains and conspiracies. If prices go up unmercifully the profiteers have conspired; if the newspapers misrepresent the news, there is a capitalist plot; if the rich are too rich, they have been stealing; if a closely fought election is lost, the electorate was corrupted; if a statesman does something of which you disapprove, he has been bought or influenced by some discreditable person. If workingmen are restless, they are the victims of agitators; if they are restless over wide areas, there is a conspiracy on foot. If you do not produce enough aeroplanes, it is the work of spies; if there is trouble in Ireland, it is German or Bolshevik “gold.” And if you go stark, staring mad looking for plots, you see all strikes, the Plumb plan, Irish rebellion, Mohammedan unrest, the restoration of King Constantine, the League of Nations, Mexican disorder, the movement to reduce armaments, Sunday movies, short skirts, evasion of the liquor laws, Negro self-assertion, as sub-plots under some grandiose plot engineered either by Moscow, Rome, the Free Masons, the Japanese, or the Elders of Zion.

Walter Lippmann (The Stakes of Diplomacy)

In fact, opposition is about the only incentive we have to practice reason and tolerance. Unless our ideas are questioned, they become part of the furniture of eterity. It is only by incessant criticism, by constant rubbing in of differences, that any of our ideas remain human and decent. The easy way is when we are not opposed. That enables us to be dogmatic, and to regard whatever we happen to believe as of sovereign value.
To keep a faith pure, man had better retire to a monastery. Where all think alike, no one thinks very much. But whatever he does think, he can think with all his soul. It is at the cross-roads that skepticism is born, not in a hermitage. Without contact and friction, without experience, in short, our animal loyalties are supreme. Thought is not made in a vacuum, nor created out of likeness. It requires travel and shipping and the coming and going of strangers to impregnate a civilization. That is why thought has flourished in cities which lie along the paths of communication. Nineveh, Athens, Alexandria, Rome, Venice, the Hansa towns, London, Paris—they have made ideas out of the movement and contact of many people. Men are jostled into thought. Left alone they spin the same thread from the same dream. A community which is self-contained and homogeneous and secluded is intellectually deaf, dumb, and blind. It can cultivate robust virtue and simple dogmatism, but it will not invent or throw out a profusion of ideas.

海を見に行こう

毎日のように 新しいものが紹介され
そのどれもが 「素晴らしい」と思い
どれに対しても「すごい」と言っているうちに
本当に「すごい」ものが出てきても
なんの感動もなく「すごい」と思っている

なにが「素晴らしい」のか わからないし
どこが「すごい」のか 説明できない
それでも「素晴らしい」と言い
「すごい」と感激している

僕はいったい どうなってしまったのか
壊される前に 壊れてしまったのか

湖を前にして 考える
周りの山が まだ大丈夫だと言っている
空が なにが大丈夫なのかと尋ねる
空気が 静かに黙っている

明日は 海を見に行こう
きっと なにかが起きる
きっと なにかが変わる
君と 一緒に行く

丁寧に言葉を使う

部首 -sign- を含むフランス語の単語は
ラテン語の signum から派生している

signal signalement signaler signalétique signalisation
signataire signature signe signer signet significatif
assigner consigne consigner désigner insigne insignifiant
résignation soussigné と よく使う言葉ばかりで
そのなかに signifier という動詞がある

signifier の participe présent が signifiant
signifier の participe passé が signifié
ソシュールはこれらを
「le signifiant」と「le signifié」という名詞にしてしまう
名詞にしてしまっても
signifiant のほうにはなんとなく能動的な感じが
signifié のほうには受け身の感じが残っている

ソシュールは なぜそんなことをしたか?
「パロール」(日常で使われる言語)と
「ラング」(抽象的な事のための言語)とを
明確に区別したかったようで
それぞれに
「シニフィアン」(視たり聴いたり触ったりというように知覚できるもの)と
「シニフィエ」(抽象的な概念またはアイデア)というように名づけ
考えを進めていったようだ

『一九八四年』に関連して
「言葉が痩せていく」ことを危惧する人がいるけれど
「パロール」ではなく「ラング」が痩せるのを
「シニフィアン」ではなく「シニフィエ」が痩せるのを
危惧しているのだろう

ところが(それなのに)
ニュースピークには たくさんの「シニフィアン」が含まれている
抽象的なことだけを痩せさせるのではなく
日常的なことまで痩せさせようとしているのだ

オーウェルが設定したニュースピークの恐ろしさは
日常的なことまで痩せさせてしまうことにある

日常的な言葉が痩せ
日常が痩せた社会のなかで
ソシュールがが素晴らしいといっても
オーウェルがすごかったといっても
悪い冗談でしかない

どうしたら言葉が豊かになり
 広がりを持つようになるのか
どうしたら社会が豊かになり
 人の表情が和らいでゆくのか

まずは 考えたことを言葉にするときに
少しだけ注意してみよう
丁寧に 丁寧に

坂口恭平

 そして、僕たちはとうとう出口らしきところにたどり着いた。
 その海は今までとまるで違う海だった。海も到達する道の違いで見せる姿を変える。
 その時を境に、僕は社宅に住んでいる自分の環境が好きになった。
 どんな退屈な世界に身を浸していても、冒険を見つけ出すことができるようになった。
 何かを「変える」ことが革命なのではない。むしろ、革命がすでに起きていることを、思考の転換によって見つけ出すことができる。それは「変える」というよりも「拡げる」方法論である。生き方は無数にあるということを気付く技術。
 それだけで「生」そのものの在り方を変えることができるのだ。

Tish Harrison Warren

There is much that needs mending. There are signs that our society is unwell, with polarization and anger sizzling under the surface of our discourse. The problems of the world feel big and overwhelming. And we can look to big things to rescue us: national elections, a revolution, widespread revival, the apocalypse. Of course, big things matter. Voting and federal policies are important. Yet most of us, in our limited spheres, must learn to embrace small practices of repair. These practices, though small, are profoundly significant. They are the tiny threads that weave a society where, as Dorothy Day said, it is easier for people to be good.
I’d like to offer a short, certainly not complete, list of small, ordinary ways to practice repair:

  1. Have more in-person conversations.
  2. Get outside.
  3. Eschew mobs — online and in real life.
  4. Read books.
  5. Give money away.
  6. Invest in institutions more than personal brands.
  7. Invest in children.
  8. Observe the Sabbath.
  9. Make a steel man of others’ arguments.
  10. Practice patience.
  11. Pray.

桐野夏生

若い頃は『自分が未熟じゃないか』とか『努力が足りない』とか、いろいろ悩むじゃないですか。だけど悩んで努力したからといって完全に報われる訳じゃないですよね。よく考えてみると、社会の制度、システムから完全にはじかれる形になっていたとか、アンフェアネスに苦しんでいる人も結構いると思うんです。それを『全部自分のせいになるっていうのはおかしいじゃない?』って言っているだけなんです。
私アンフェアネスが嫌いなんで。

Thomas Tuchel

(Chelsea boss Thomas Tuchel has clarified Andreas Christensen was not able to play in the FA Cup final as opposed to refusing to play.)

Andreas came in the morning of the match to speak to me and tell me he was not ready to play the match, start the match, or be on the bench.
He had his reasons; they stay private and confidential. But it was not the first time, as you can see over the last weeks that we had some of the same situations where he could not play so regularly.
We thought that we were in a good progression and development because he played very strong in the match before the final against Leeds, but a conversation took place, we had to respect it, we of course respected it.
I don’t think that he did not want to play, he was not able to. It’s a big difference.

五木寛之

 ひょっとすると、少年時代にとんでもない価値大逆転の時代を通過した体験と、いまの私の暮らしぶりのいいかげんさとは、無関係ではないのかもしれません。自分ひとり何をどうがんばろうと、大きな社会の変動や時代のうねりの前には、ほとんど無力なのだ、と、体のどこか深いところで感じているようなのです。
 だめなものはだめ、できないことはできない。個人の努力も善意も、むくわれないときはむくわれない。いや、むしろそのほうが多いのが人間の世界である、と、心の底でひそかに思っているのです。
 正直者がばかをみる、という言葉を聞いて、十代のころ思わずびっくりしたものです。なんだって? これまで正直者がばかをみなかった時代なんて、一度でもあったんだろうか。いまごろ何を言っているのか、と素直に驚いたからです。
 それを、ただ、ひねくれた少年の歪んだ考え、と切り捨ててしまいたくない気持ちが、いまでも私の中にはあります。
 正直者がばかをみるのは当たり前だ、と信じこんでいればこそ、私はこれまでに何度も全身全霊で感動できる、めったにない出来事を体験することがあったのです。
 世の中には、正直者がばかをみないことも、ごくまれにはあるのです。それは事実です。私はこれまでに何度もそういう例を見てきました。そして本当に心の底から感動したものです。
 努力がむくわれることもまた、まれにあります。めったにないことだが、絶対にあります。努力がむなしいなどとは決して思いません。しかし、それはこの世の中で、ごくごくまれな、大げさに言えば奇跡のような事件としてあるのであって、それ以上ではないのです。
 露骨に言ってしまえば、正直者はおおむねばかをみます。努力はほとんどむくわれることはありません。

山本有三


日一日と統制の強化されつつある今日の時代では、それをそのまま書こうとすると、特に―これらの部分においては、不幸な事態を引き起こしやすいのです。その不幸を避けようとして、いわゆる時代の線にそうように書こうとすれば、いきおい、私は途中から筆を曲げなければなりません。けれども、筆を曲げて書く勇気は私にはありません。

Kendra Cherry (Toxic Positivity)

Toxic positivity is the belief that no matter how dire or difficult a situation is, people should maintain a positive mindset. It’s a “good vibes only” approach to life. And while there are benefits to being an optimist and engaging in positive thinking, toxic positivity instead rejects difficult emotions in favor of a cheerful, often falsely positive, facade.
We all know that having a positive outlook on life is good for your mental well-being. The problem is that life isn’t always positive. We all deal with painful emotions and experiences. Those emotions, while often unpleasant, are important and need to be felt and dealt with openly and honestly.
Toxic positivity takes positive thinking to an overgeneralized extreme. This attitude doesn’t just stress the importance of optimism, it minimizes and denies any trace of human emotions that aren’t strictly happy or positive.

ヤマザキマリ

  • あらゆる価値観の外に出ること、それがきっと自由ってこと。
  • 自分の価値観の外に出て、自分以外の価値観を知って行くことは、大げさな言い方ではなく、世界平和に繋がるとさえ思う。
  • これまでの価値観が通用しなくなった時、どう考え、乗り越えてきたのか? 歴史は私たちに教えてくれます。

黒と白

競馬とか 競輪とか 競艇とかに通って
勝てば風俗でカネを使い果たし
負ければ大酒を飲んで酔いつぶれ
パチンコや 賭け麻雀に うつつをぬかし
宵越しのカネは持たないなんてイキがって
二日酔いで仕事を休み
気づけば職安の列に並ぶ
そんなことは 人工知能内蔵のロボットは 絶対にしない

人工知能は 理に適ったことしかしない
人は 理屈に合わないことばかり する

人工知能が人を超える知性を目指すなんて
とんでもない戯言で
人工知能が人のようになるというのは
Artificial Intelligence が Artificial Stupidity になるということ
そう
人工知能はいつも rational で
人はどこまでも irrational だ

ところが いつのからか 人は irrational ではいられなくなって
周りを見れば rational な人ばかり
社会が irrational な人を許容しなくなったのか
irrational な人たちが rational になったのか

プライバシーなんて もうどこにもなくて
誰も秘密を持つことができない
小さな小さな秘密すら
あっという間に あばかれる

秘密をあばくのは 国家などではない
知らない人が 秘密をあばく
何十年前にしたことが原因で 仕事を失ったり
ちょっとした失言が 未来を閉ざしたり
サーチエンジンや SNS が
人生を狂わせてしまう
もう人は 思っていることを口に出すことすらできない
気を許して話したことは録音され
彷徨い込んだ場所で録画され
記憶にない場所で記憶にないことを言っている自分が残り続ける

監視しているのも 国家などではない
身近な人が 監視している
子どもを犯罪から守りたいから
徘徊老人の行方不明が心配で
愛する人のトラブルを防ぐため
GPS でどこにいるかを探る
もう人は 気儘な散歩すらできない
フラフラとウインズに入り込んだり
ついつい風俗に向かったり
そんなことをすれば破滅が待っている

社会は明るい透明性で溢れ
些細なことが暴露され
秘密を持てない人たちが
持ってもいない秘密に怯えている

ダークな社会のダークな秘密は
スクリーンの中だけのこと
明るい社会のチープな秘密が
街中に溢れ出す

私の秘密は あなたの秘密
共有された秘密に毒はなく
秘密のない社会では政治家はいらず
嘘のない社会には 真心もない

持ってもいない秘密に怯えている人が
秘密を守らなければと 必死になっても
そんなこととは関係なく
ありもしない自分が人工知能に検知され
聴聞委員会や国税庁の調査が入る

なにも 思っては いけない
なにも しては ならない
そう思っても
バーチャルな世界にいる知らない自分が
一度しかない人生を狂わせる

荒勝文策

広島に原爆が投下された後の8月10日、荒勝文策は広島入りしている。当日、大本営が現地で開いた会議に仁科芳雄らとともに出席し、会議で新型爆弾は原爆と結論づけられた。同日夜に広島を出て京都に戻り、12日に持ち帰った土壌サンプルからベータ線を測定した。8月13日に再び広島でベータ線の特性を調査し、8月15日には、土壌の強い放射能などのデータから、広島の被害は原子爆弾によるものであるという報告を海軍に提出した(「広島被爆地土壌等調査結果及ビ判定ノ概要」)。この報告には、「核分裂ヲオコセル『ウラニウム』ハ約1kg」という分析結果があり、ほぼ正確に実態をつきとめていた。科学的な裏付けに基づいて、原爆投下を受けたという確信を日本側が持ったのは、このときが初めてであった。
なお、当時助教授だった木村毅一によると、広島から京都に戻る際、荒勝は京都に3発目の原爆が投下されるという噂(実際に米軍は京都への投下構想を当初より抱いていた)に接して「原子物理学者としてこれは千載一遇の好機だ。急いで比叡山の頂上に観測所を造って、原爆投下から爆発の状況など、あらゆる角度から、写真や計器を使って徹底的に観測してやろう」と述べたという。

Steven Pinker

Challenge a person’s beliefs, and you challenge his dignity, standing, and power. And when those beliefs are based on nothing but faith, they are chronically fragile. No one gets upset about the belief that rocks fall down as opposed to up, because all sane people can see it with their own eyes. Not so for the belief that babies are born with original sin or that God exists in three persons or that Ali is the second-most divinely inspired man after Muhammad. When people organize their lives around these beliefs, and then learn of other people who seem to be doing just fine without them–or worse, who credibly rebut them–they are in danger of looking like fools. Since one cannot defend a belief based on faith by persuading skeptics it is true, the faithful are apt to react to unbelief with rage, and may try to eliminate that affront to everything that makes their lives meaningful.

朝鮮半島

聖徳太子の師は慧慈という僧で
高句麗からやって来た
蘇我馬子の師は恵便という還俗者で
やはり高句麗からやって来た

蘇我氏が渡来人だとすれば
多くの天皇が渡来人の血を持つ
桓武天皇の母親は高野新笠という人で
祖先は百済からやって来た

ある者は 朝鮮半島からやって来た人たちから
教えを受けて
ある者は 朝鮮半島からやって来た人たちの
血を引き継いだ

朝鮮半島の人たちと私たちは
古くから交わってきたというのに
私たちは朝鮮半島を植民地にして
歴史を悲しいものにしてしまった

私は韓ドラを見て
キム・ゴウンだのイ・ユリだのと
知った口を利いている
今はもしかしたら うまく交わっているほうなのかもしれない

変人

相手が誰であるかなど関係なく
どんな大物であろうとも
意見が変だと思えば
とんでもないことを言ってしまう
そんな人の人生は難しい
でも そんな人がひとりでもいれば
社会は良くなる

熱中すると他のことは目に入らなくなり
思っていることをなんでも口にしてしまう
そんな人がひとりもいない社会は
淋しい

ネットとソーシャルメディアの前では
思っていることを言うのが難しい
普通に率直でいることが
とても難しい世の中にいて
私たちが私たちであるためには
変人になるしかないだなんて
そんな状況は
悲しい

反知性主義

知識人やエリートはいらない
近代合理主義の批判はしない
宗教や哲学を鵜呑みにしない
近代科学を無条件に信じない
合理的な思考の停止はしない
高度な知識を求めたりしない
現実を見なかったりもしない
政治家の言うことは聞かない
官僚が書いた文章は読まない
名演説に隠された嘘を見抜く
科学理論や理想論は無視する
人々の隠れた知性を肯定する
人が自由で平等とは思わない
文句は言わないで行動をする
反知性主義の流行に乗らない
現実を見つめ虚構を生きない
君の心を感じて愛を忘れない

選択

どんなことも自分で選択していると思っていても
遺伝子によって決められていると言われると
そうかもしれないなあと思ってしまう

今 この瞬間にも
起こることは起きている
起きたことは 自分の選択とは関係ないように見える

メニューを前にして 食べものを選び 飲みものを選ぶ
それは間違いなく選択だ と思う
ところがそれさえも遺伝子のせいだと言われれば そうかなあと思う

選択が自分の意思によるものでも 遺伝子のせいでも
選択した自分の運命を愛する
誰かのせいにはしない

運命というと 決まってしまっているものと思いがちだけれど
運命は選択で変えることができると信じる
そして選択に意味があると信じる

君が選択をする
僕が選択をする
神が選択をする

経験

経験 経験と言うけれど
経験は 成功や失敗の原因にはならない
経験に意味を与えても
経験は役に立たない

子供の頃の経験は役に立たない
学校での経験は役に立たない
バイトの経験は役に立たない
会社での経験は役に立たない

自分の経験は役に立たない
他人の経験も役に立たない
親の経験も役に立たないし
先生や上司の経験も役に立たない

うまくいったという経験も
失敗してしまったという経験も
経験から学んだといって 次に役立てようとすれば
おそらく 何か間違いをしてしまう

経験に左右されず
目的に合っているのは何か ということと
したいことは何か ということを考えて
将来を選び取る
そうすれば きっと いい判断になる

寛容 不寛容

寛容な人とか 不寛容な人とか いうけれど
寛容な人だって 落ち込めば不寛容になるし
不寛容な人も 元気な時は意外と寛容だ

ストレスがなければ寛容でいられるし
どんなピンチもチャンスに変えて
問題が起きても笑っていられる

ストレスを感じればバランスを崩し
傷つき 自信を失い 体調が悪くなる
仕事を続ければ失敗をしてしまう

ストレスが溜まればネガティブになり
楽しくなくなり 自分を責め 落ち込む
仕事ができなくなって追い詰められていく

ストレスで不寛容になるのは防衛本能の表れだから
危機的な状況で不寛容になって ‎自分を守っているのだ
ストレスをなくせば守ることもなくなり 寛容になる

不寛容になったら ストレスを減らす
心身が健やかなら衝突することもなくなり
トラブルも逃げていく

不寛容に気づいたら 休息をとる
反省などしてないで おいしいものをたべる
そして寝る
そうすれば 知らず知らずのうちに 寛容になっていく

もっともそれは一般論で
不寛容が心地いい僕は
寛容な人から離れるようにして日々をすごしている

**

それはそうと 寛大であるということが
 悪いことをした人を 厳しく咎めだてしない
ということだとしたら 寛大は
 悪くない人が 悪い人を 許す
ということになってしまう

許されることのない人に
寛大であるというのは
ただの思い上がりではないか

ただ違うというだけで 酷い目にあっている人に
寛大であるというのは
ただの間違いではないか

**

自分たちのことを寛容だと思いこんでいる人たちが
違うグループの人たちを
不寛容だと決めつける

もし寛容な私たちが
不寛容な人たちに 寛容でい続けたなら
私たちは不寛容な人たちに滅ぼされ
私たちの寛容も消えてゆく

もし必要ならば
たとえ力によってでも
不寛容な人々を抑制しなければならない

不寛容なあの人たちは
寛容な私たちの言うことを
欺瞞だといって批判する
議論に暴力で答えるかもしれない
だから寛容な私たちといえども
不寛容に寛容であってはならないという

自分たちが寛容だと思っている人たちが
不寛容には不寛容で立ち向かうという
不寛容と決めつけられた人たちも
自分たちは寛容だと思っていて
自分たちの寛容を守るために
不寛容と戦うという

寛容なんて はじめから
自分たちのコアに合ったものだけを許すということで
逆に言えば
自分たちのコアに合わないものは許さないということで
だから寛容などという言葉は
宗教のなかに閉じ込めておけばよかったのだ

寛容という言葉のように
正しい顔をして社会を歩き回る言葉が
社会を不寛容にして ほくそ笑んでいる
おぞましいとしか いえない

曖昧

私たちは誰も
決して白とか黒とかではない
そして
あっちでも こっちでもない

ある時は
白でも黒でもなく
また ある時は
あっちであり こっちでもある

いろんなことが
and だったり
or だったり
none of them だったりするのだけれど
でも多くの場合は
曖昧で
白か黒かよくわからず
あっちか こっちか よくわからない

君が はっきりしていて
僕が 曖昧なのか
君が 曖昧で
僕が はっきりしているのか

いや
君が 曖昧なら
僕も 曖昧なら
そして まわりもみんな曖昧なら
なにもかもが きっとうまくいく

すべてをはっきりさせれば
いいというわけではない
時には曖昧もいい
とてもいい

批判と非難

自分の考えに合わないからといって
誰かを批判するのは容易い
でも僕の考えなんて
他人を批判できるほど
立派なものではない
だから
批判はしない

ルールを守らなかったといって
誰かを非難するのは容易い
でも僕は
他人を非難できるほど
立派ではない
だから
非難はしない

批判なんて できない
非難なんて できない
そして 考えてみれば
愛するなんて できない
でも
君を愛している
止めることなく
愛している

自分を思いやる

自分を慈しむ
そうすることで
心の平静を保つ

負の感情を抱いてもいい
負の感情を否定しない
負の感情を責めない
ありのままに受け入れる

自分を追い詰めず
自分を思いやる
手を頬にあてる
顔をさする
手を胸にあてる
おなかをさする
手の圧を感じる
温もりを感じる

自分を思いやる
そうすれば
君を思いやることができる
そう
自分を思いやる
君を思いやる

わからないこと

できるとわかっていることをするのは
つまらない
できるかどうかわからないことをするから
おもしろいのだ

答えがわかっている問題を解くのは
時間の無駄に思える
答えがわからない問題を解こうとするから
わくわくするのだ

簡単な商談を成立させても
喜びはない
難しい商談を成立させて
喜びがわく

弱い相手に勝っても
嬉しくはない
強い相手に勝って
嬉しさがこみあげる

できるとわかっていることや
できないとわかっていることに
惑わされることなく
できるかどうかわからないことを
選んでやってゆく
そうすれば失敗も多くなるけれど
毎日は きっと楽しい
できることばかりやって
やることなすこと成功するより
ずっといい

想定外

想定外という

想定外だから仕方ない
思いもしないようなことは起こるものだ
はたして そうだろうか

想像できなかったという「想定外」がある
まったく想定しなかった「想定外」
「影響が敷地外に及んだ場合の防災」とか
「海外での反応が日本に及ぼす影響」を想定した人は
いなかったのではないか

想像はできたけれど想定していなかったという「想定外」もある
想定はしたのだけれど
対策を深く考えるには至っていなかったという「想定外」
「重大事故時の対応力の不十分さ」とか
「作業員確保」とか
「放射線廃棄物処分」とか
いろいろ浮かんでくる

安全対策を考える上で想定しないことにした「想定外」もある
想定はできたけれど
対策のための費用があまりにも高額だったために
考えないことにして
発生したら仕方ないなという「想定外」
「自然災害に対応する設計基準の低さ」などが
これに当たる

なんとか学会会長のような要職にある人が
「安全に対して想定外はない」などと言う
でも「想定外はない」などということはあり得ない
想定外はある
絶対にある

どんな仕事にもリスクマネージメントは重要だ
リスクマネージメントを真面目にやる
リスクマネージメントで手に負えない場合には 手を引く
「やらない」という選択をする

原子力発電所はリスクマネージメントで手に負えないから
もうやめる
リスクマネージメントをまじめにやれば
そういう結論になる

リスクマネージメントをまじめにやれば
想定外という言葉は消えてゆく
原子力発電所も消えてゆく

北欧

アイスランド には
セッタ レダスト(Þetta reddast)という言葉がある
大丈夫 なんとかなる たぶん うまくいく
そんな感じ
計画したところで
火山が爆発すればそれまで
細かいことを考えすぎずに
なんとかなると信じる

ノルウェー には
クーシェリ(koselig)という言葉がある
心地よい 幸せな気分になる
そんな瞬間のすべて
暖炉の前でホットワインを飲みながら
好きな人と談笑する
ふわふわのクッションに身を任せ
うつらうつらする

デンマーク には
ヒュッゲ(Hygge)という言葉がある
温かで心地よい空気
温かで心地よい天気
うららかな春の日に
草の上に寝転んだり
小春日和の秋の日に
落ち葉の上を歩いたり

スウェーデン には
ラーゴム(Lagom)という言葉がある
多すぎず少なすぎず
ちょうどいい感じ
程々に働き
程々に稼ぎ
程々の家に住み
程々に楽しむ

フィンランド には
シス(SISU)という言葉がある
困難に立ち向かう勇敢さ
逆境を乗り越える力
静寂のなかで
謙虚に考える
失敗を受け入れ
チャンスと捉える

日本 には
なるようになる という言葉がある
なるようになるし
なるようにしかならない
時の流れに身をまかせ
君とすごす
考えすぎることなく
君を想う

気宇

美しいものがあったら
まずは見る
触れたいとも思う
でもあえて
よく見ないで
触れないで
心で感じてみる

美しいものを
心で感じる

すべてを受け入れる
許す
忘れてしまう

すべてはゲームだ
ゲームだから負けない
ゲームだから楽しむ
ゲームだから終わりまでやりきる

生きる
死ぬのだから生きる
死ぬまで生きる

鈍感になる
どうせ大したことはないのだから
気にすることはない

街に出る
PC のスクリーンを見てないで
人のいる街に出る

愛する
なにも期待しないで
ただ愛する

自然に従う
本能に従う
哲学を持たない
理想を持たない
夢を信じる
自分を信じる

感謝する
ありがとうを伝える
君に伝える

肉食

私たちは肉を食べることに
どこかうしろめたさを感じ
肉食の喜びを素直に表現することを
ためらってきた

肉食が不道徳と思う聖職者たちは
菜食を掲げ
殺生を悪として戒めた僧侶たちは
肉食を禁じた

天武天皇の「肉食禁止令の詔」に
 牛は田畑を耕すから
 馬は人を乗せて働くから
 犬は番犬となるから
 鶏は時を知らせるから
 猿は人間に似ているから
 農耕期には食べてはいけない
と書いてある

今 世界を見渡すと
肉の大量消費に抗議するという
政治的な菜食主義者がいる
穀物や野菜や果物のほうがいいという
積極的ベジタリアンもいる

肉を食べるという行為が
殺人や苦しみや利己主義につながる気がして
というか もっと単純に
肉を食べるのは
道徳的に間違っていると感じて
それで
悪としたのか

肉食は悪 菜食は善
肉食の擁護者は醜い
菜食の擁護者は美しい
そんな考えが正しいのか

食べるために生き物を殺すのは
仕方がないのだといって
死ぬ苦しみが小さいように殺すとか
死にゆくものに感謝の祈りを捧げるとか
そんな気休めで ごまかしてゆくのか

工業畜産という現実から
目をそらせていて いいのか
肉食はやっぱり
悪ではないのか

そう言いながらも
君が肉をおいしそうに食べるのを見て
僕も肉が好きだと言った
小さな声で言った

上から目線

ノーベル賞を授与する人たち
勲章を授与する人たち
そんな人たちの持つ権威
権威という 上から目線

レストランを格付けするミシュラン
企業を格付けするムーディーズ
そんな格付けする会社の非公開の基準
非公開の基準という 上から目線

上から目線たちは みんな
身近な話より大きな話を好む
大きな話はいつも虚ろで
それなのに危険な力を持つ

上から目線たちは なぜか
おだてられ 持ち上げられて
自分たちのことを錯覚し
錯覚はいつか 現実になってしまう

上から目線たちは 良識を振りかざし
同じ行動をとらない人たちを批判する
個人的な嗜好を犯罪に仕立てあげ
自由な行動を抑圧する

官庁や軍で働いていたり
学校や党に属していれば
上から目線が身に付いて
ものを平らに見れなくなる

何にも作らず 富も生まず
もっともらしい話を作るだけの
上から目線は手に負えないけれど
ひとつのことに気がついた

なにも知らないから 上から目線なのだ
だから他人を馬鹿にするのだ
だから他人を批判するのだ
だから他人を否定するのだ

でも 気にすることはない
上から目線は いつか覆される
自分たちの現実がわからないまま
いつか すべてを失う

自分

自分は尊い
ひとりの人間として尊い
他人より自分のほうが尊いというのでなく
もちろん自分より他人のほうが尊いというのでもない
自分は他にいない唯ひとりの人間として尊い

財産や地位があるからとか
能力や学歴があるからとか
障害者だからとか健常者だからとか
他人と比べて立派だとか そういうことではなく
唯ひとりの人間として尊い

だから自分を大切にする
自分を大切にできれば 他人を大切にできる
そして自分に優しくする
自分に優しくできれば 他人に優しくできる
他人に優しくできれば 自分に優しくできる

そんなふうに考えてみて
やっぱり自分らしくないと思った
自分らしいのは
 自分は尊い
ではなく
 自分は尊くなんかない

 
自分は尊くなんかない
自分は何人でもない

模倣

昔は
 日本企業は模倣が上手い
と言われた
今は
 中国企業は模倣が上手い
と言われる

なにかが変わったように見えるけれど
国の名前が変わっただけで
実はなんにも変わっていない
模倣する側が強くなり
模倣される側が弱くなる

トヨタは Ford の真似をして
富士通が IBM を模倣したように
美団点評は Groupon の真似をして
校内網が Facebook を模倣する

もしも模倣が簡単ならば
みんなとっくにしているはずだけど
SNS でテキストをコピーするのと違って
じつは模倣は大変で
そんな簡単にできるわけではない

模倣して成功するのは至難の業で
製品の模倣だけではダメだとばかり
プロセスや考え方まで模倣して
やっと成功しても賞賛はなく非難ばかり

模倣は確かにズルいけれど
模倣なしで成長した企業はひとつもない
修破離の修が 模倣から始まるように
どんな事も 真似や模倣が基本になる

真似や模倣という基本の上に
情報収集 と 分析 と 意思決定 と 資源の投入 と
そして タイミング と 運 とがあって
やっと 模倣が成功する
ただ模倣したものを量産しただけでは
オリジナルに比べて劣ったままで終わる

ジェネリック医薬品のように
先発医薬品と有効成分を同じにするという
ただそれだけの模倣をしていたら
いつまでも先発医薬品には追い付けず
追い越す日が来ることはない

模倣が成功したその日から
模倣した側は模倣される側にまわる
その循環で製品が良くなり
付随したサービスも向上する

模倣をするにも覚悟が必要で
オリジナルへの尊敬と尊重も必要で
模倣されることへの準備も必要で
だから模倣も大変なのだ

模倣は模倣でしかない
模倣は越えなければ意味がない
模倣の殻を破った先にあるものは
きっと 素晴らしいに違いない

働き方

勤め先への忠誠が一番だと思う人が
大事な仕事を任されたならば
運がいいと思って大喜び
仕事はなにより優先で
家族のことなど二の次になる
プライベートなことはキャンセルし
体調を崩しても出勤し
趣味も持たずに仕事して
無駄口をたたかず仕事して
上司をおだて 客先を持ち上げ
自分のためより勤め先のためと
がんばり続けるのがあたりまえ
アウトプットが出せれば幸せだなんて
そんなスタイルで働くのは勝手だけれど
それを押し付けられたらたまらない

勤め先のことなんてどうでもいい人に
大変な仕事がまわってきたならば
やらなければならないなんて思わずに
ムキになったり悩んだりせずに
いい加減な仕事をすればいいと考える
ズルをしたって 誤魔化したって
そんなに悪くはない
仕事と関係ないことを話したり
たわいもない噂話をしたり
少しだけサボったりだなんて
誰でもやっているではないか
自分のスタイルで働くのは勝手だけれど
それをいいとは認めたくない

10人いれば10通りの働き方がある
一人一人に合ったやり方がある
これこそが働き方だなんていうものがあったら
そんなのは無視すればいい
それなのに
働き方改革なんていうものができて
働き方改革を推進するための法律までできて
こうしなきゃいけないとか
ああしなきゃいけないとか
うるさいこと限りない

誰も見ていないところで静かに目を閉じて
考えをまとめたい人もいれば
みんなで集まって会議をしなければ
なにも浮かんでこない人もいる

先生だって ズルぐらいするけれど
ズルのできない先生もいる
社長は社員のことを考えるものだけれど
社員のことを考えない社長もいる

犯罪者を追っている警察官だって
休みたい時は休むだろうし
追われている犯罪者だって
走り続けてるわけじゃない

『1984年』に描かれた社会になったって
どんなに監視されたって
サボりたい人はサボり
遊びたい人は遊ぶ

それがその人のやり方だ
なにも変えなくていいじゃないか
そう言いたいところだけれど
そんな資格は僕にはない

すべてが僕には関係ない
うらやましいのか
うらやましくないのか
僕はもう 働いてはいない

儀式

男の人が店の入口で アルコールの消毒液を手に吹きかけながら
 これは儀式のようなもので
と言った

 気休めよ
と女将が奥から言った

 気休めの儀式か
と僕は思った

百年に一度の

百年に一度の危機だという
実際 私たちはたくさんの 百年に一度 に遭遇する

百年に一度のパンデミックが到来した
百年に一度の大雨が降った
百年に一度の山崩れが起きた
百年に一度の洪水に見舞われた
百年に一度の台風が来た
百年に一度の地震が発生した
百年に一度の津波が起きた
百年に一度の経済危機だ
百年に一度の恐慌だ
百年に一度の大変革期が始まっている
ニュースからは たくさんの 百年に一度 が溢れ出る

百年に一度の災害が日常的に起きる時代だという

毎年いくつもの 百年に一度 がやって来て
百年に一度の後には
新しい状況が 新しいあたりまえになる

なにかちょっとしたことがあると
百年に一度の脅威だといって騒ぐ
本当にそうだろうか

ほとんどの人は100年も生きないので
百年に一度は 一生に一度という意味なのだろう
遺伝子に危機が記憶されている とはいっても
自分が経験したかどうかは やはり大きい
だから 百年に一度は
自分が経験したことのないほどの
ということなのかもしれない

なにが起きても 生まれてからはじめてのことだから
みんな 百年に一度 になる

被害者に寄りそう
被災者の心に寄りそう
罹災者の気持ちを考える
そんなことを言う人に限って 隣国の危機には冷たい

人は 地球の反対側で起きたことまで 心配していられない
海外で起きたことまで 心配していられない
他県で起きたことまで 心配していられない
他の町で起きたことまで 心配していられない
誰にも日々の暮らしがあって 生活を続けなければならないから
他人のことまで 心配していられない

でも日本という括りのなかでなにかが起きると
ニュースは容赦なく情報の洪水を起こし
百年に一度を連呼する

百年に一度に慣れきってしまった私たちは
大変な時代だなと考えることにも慣れきっている

なにごとにも慣れ切った私たちは
怯えることにも慣れ切って
自分にも慣れ切って
生きている

死なない

学者や役人やジャーナリストは
正確な資料や統計をもとに発言しているという
だから正しいと
だから耳を傾けろと

でも私の唇は
そんな専門家による議論はほとんど当てにならないと
その通りにしていたらろくなことはないと
そうささやく

だから 自分の実感を信じ 自分の判断を信じ
自分の行動は自分で決める
そして
自分で決めたことは自分で責任を持つ

もしそれでシベリアに送られてしまったら
塀のなかに閉じ込められてしまったら
そこでの生活を楽しみ 死なない
少なくとも心は死なせない

得たあとに

取れそうもないと怖気づいても
最高のものを出して
いいところを見せて
取れちゃったりして
でも最高のものを出し続けて
いいところを見せ続けなければ
獲得したものは手の中から
するりと逃げていってしまう

無理をして獲得したものには
それだけの価値がある
背伸びしてやっと掴んだものは
守り抜かなければならない
最高以上のものを出して
獲得したものを輝かせ
いいところを何倍にもして
掴んだものを抱きよせる

なにをしても無理なのに
どうせ掴めないものなのに
そんなことを言っていた人たちに
できたということを見せなければ
たどり着くその先に見える
誰も見たことのない景色を
いつか見るために
そして君に見せるために

僕を見る目

マスクをしない僕を見る目は
非難に満ち溢れている
非国民といって
ののしっている

みんなでマスクをつけて
もう一度
敗戦国になってしまえ

シベリアは寒い

シベリアに抑留された人たちは
苛酷な状況のなかで純粋になり
高潔になっていった
その人たちは確かに運が悪かった
けれども不運さゆえに、不幸さゆえに
純粋さと高潔さは際立つ
その人たちがたどり着いた高みは
私たちにはたどり着けない

官庁で高い地位に上り詰めた人たちは
嘘をついたり誤魔化したりしているうちに
醜くなっていった
その人は確かに運が良かった
けれども幸運なのに、幸せなのに
嘘と醜さが際立つ
そのたち人がたどりついた場所は
見かけだけでさもしいばかり

苛酷な状況のなかにいても
汚く立ち回った人たちがいる
でも、官庁の高い地位にいて
純粋さを保った人はいない

Soo Kim

Sweden’s death rate is more than twice as high as that of the U.S. (around 5.8 percent), the current epicenter of the outbreak which has the highest death toll in the world, and of China (around 5.5 percent), where the virus was first reported in the city of Wuhan.
The country has sparked controversy for its seemingly relaxed approach to combating the pandemic by surprisingly choosing not to impose a nationwide lockdown, while many of its European neighbors, including across Scandinavia, have done so.
The country has reported more than 21,000 confirmed cases, including nearly 2,500 fatalities. Its death rate is nearly six times as high as that of Norway (nearly 2.6 percent) and nearly triple that of its other Scandinavian neighbors Finland (nearly 4.2 percent) and Denmark (nearly 4.9 percent).
The death rate in Iran (nearly 6.3 percent), which once had the highest death toll outside China, is nearly half that of Sweden.
Sweden also has more than double the number of confirmed cases as Denmark, nearly triple that of Norway and over four times as many as Finland.

赤塚不二夫

自分が最低だと思っていればいいのよ。一番劣ると思っていればいいの。そしたらね、みんなの言っていることがちゃんと頭に入ってくる。自分が偉いと思っていると、他人は何も言ってくれない。そしたらダメなんだよ。てめぇが一番バカになればいいの。

**

頭のいいヤツは、わかりやすく話す、頭の悪いヤツほど、難しく話すんだよ。

Rolf Dobelli

If we could learn to recognize and evade the biggest errors in thinking – in our private lives, at work, or in government – we might experience a leap in prosperity. We need no extra cunning, no new ideas, no unnecessary gadgets, no frantic hyperactivity – all we need is less irrationality.

Jurgen Klopp

It was only an opinion in that moment. Did I change my opinion? Yes, it’s true. But it’s better to change opinion than not have one. That’s it.

二宮由紀子

2020年、東京オリンピックの開催が決定し、注目度がグーンとアップしている日本。安全性の高さや治安の良さが評価されたといわれていますが、そんな日本が誇れることとは一体なんでしょうか? 数ある日本の誇りの中から、1位に輝いたのは? 読者617名に聞いてみました。
  Q.日本が誇れることを教えてください(複数回答)
     1位 四季がある 56.6%
     2位 電車が定時に到着する 48.1%
     3位 礼儀正しい 42.5%
     4位 治安 37.9%
     5位 水道水が飲める 36.6%
注目の1位は「四季がある」でした。地理的な条件が絡んでくるため、ほかの国にはなかなか真似できないこと。住んでいるから感じられる、日本の誇りですよね。四季があるからこそ、文化や芸術も発達しているところがあり、日本人にとってなくてはならない大切なものともいえそうです。

이어령

小さいものに美を認め、あらゆるものを「縮める」ところに日本文化の特徴がある。世界中に送り出された扇子、エレクトロニクスの先駆けとなったトランジスタなどはそうした「和魂」が創り出したオリジナル商品であった。他に入れ子型・折詰め弁当型・能面型など「縮み」の類型に拠って日本文化の特質を分析する。

第1章 裸の日本論
第2章 「縮み志向」6型
第3章 自然にあらわれた「縮み」の文化
第4章 人と社会にあらわれた「縮み」の文化
第5章 現代にあらわれた「縮み」の文化
第6章 「拡がり」の文化と今日の日本

Fernando Pessoa

Un jour peut-être on comprendra que j’ai accompli, comme nul autre, mon devoir – de naissance dirai-je – d’interprète d’une bonne part de notre siècle ; et quand on le comprendra, on écrira qu’à mon époque j’ai été incompris. […] Et celui qui écrira tout cela péchera, à l’époque où il écrira, par incompréhension envers mon homologue de cette époque future, tout comme ceux qui m’entourent aujourd’hui. Car les hommes n’apprennent jamais qu’à l’usage de leurs ancêtres, déjà morts. Nous ne savons enseigner qu’aux morts les vraies règles de la vie…

Elaine Jolly, Andrew Fry, Afzal Chaudhry

What should we do if we don’t anticipate any difference?
Sometimes we do not wish to detect a difference, because we do not think that there will be one. We might have a trial where we expect or hope to show that two treatments are similar in their effects on the primary outcome. The better treatment would then be decided on the basis of secondary outcomes, such as side effects or cost.

ガブリエル・エッティンゲン

目標を達成するには、ひたすらポジティブに夢見るよりも、理想と現実のギャップに注目し、対策を立てたほうが効果的なのだ。困難も障害もない世界が存在するのは、ポジティブ本のなかだけなのだから。

サンドラ・ヘフェリン

ドイツにおいてはネガティブなことをいっさい言わずポジティブなことしか言わない人は、「自分の頭で考えることのできない中身のない人」「知識や教養がないから批判のひとつもできない人」と思われることが、しばしばあります。なお、ポジティブ発言が多く、かつ笑顔を絶やさない人に関しては「新興宗教の勧誘の人かしら」と周囲の人から警戒されることもあります。
ヨーロッパ人は米国人と比べるとネガティブ思考の人が多く、あまり「ポジティブ思考」なるものを信用していない人も多いのですが、ドイツで育った私もまた「ポジティブ思考」に違和感を抱くひとりです。

栗原康

アナキズムを単に「無政府主義」と翻訳するのは間違いではないけど、政府だけでなく「あらゆる支配から脱する」とか「根拠のないことをやる」という方が当たっていると思います。特に人が人を支配する状態から脱することです。例えば、会社の中では「出世」と「カネ」という価値観に基づいて人格的な支配が生まれる。自分はがんばっているのに周りでサボっているやつを見ると腹が立つ。知らず知らずのうちに、弱者が弱者を取り締まるようになる。そうした支配・被支配の関係や自発的な奴隷状態を脱するのがアナキズムです。

「使えないやつは処分してやろう」という発想はファシズムの始まりだと思います。

Rodrigo Baggio

In my dream, I saw young people using technology to bring about change in their lives. My experiences told me that technology was a tool that could be used for empowerment, citizenship rights and change. In mid-90s Brazil, and Latin America at large, this was a pioneering position to take.

行方久子

タクシーを降りる時に“ありがとう”が言えたり、食事の後にお店の方に“ごちそうさま”が言えたり。要するに誰に対しても感謝や配慮がある方なら、特に自分と一緒にいる女性に最大限の配慮ができるはずだと思うんです。今まで言ってきた細かな話も、帰結するところはそこだと思います。ジェントルマンとして振る舞うなら、時にはリードし、時にはサポートする。そんな簡単な法則を身につけていただければいいのだと思います。

Dharam Barrett

(Shouldn’t you announce your goals, so friends can support you?)
When dealing with identity goals — that is, the aspirations that define who we are — sharing our intentions doesn’t necessarily motivate achievement.
On the contrary, a series of experiments shows that when others take notice of our plans, performance is compromised because we gain “a premature sense of completeness” about the goal.

Mario Luciano

最近は正直、食べ物全般に興味がなくなってきていて、おにぎりと味噌汁だけあれば十分といった感じ。外食も和食が中心で、よそのイタリアンを食べに行くことはほとんどないですね。でも一つだけ例外があって、数ヶ月に一度ぐらいのペースで、サイゼリヤに行きます。あそこのベーコンとトマトのパスタ(パルマ風スパゲッティ)が好きで。麺は柔らかめだけど、それが昔の家庭の味を思い出させてくれて、ホッとするんですよ。高いお金を払って高級な専門店に行くよりも、美味しくてホッとするし、満足できる。あの味が恋しくなると、車に乗って豊洲のサイゼリヤに行きます。

松岡正剛

(ジャレド・)ダイアモンドは次のように仮説した。食料生産に携わった民族や地域こそ初期の文字の発明をなしとげたのであるが、その文字を文明的に使用するという意図をそこからつくりだすことはできなかったという仮説だ。食料生産は文字の誕生の必要条件だったのだが、文字から文明を生むには別の力が付与されたのである。その別の力とは何だったのか。3つある。
ひとつは戦闘力を増す鉄と銃を確保できたこと、ひとつは余剰食料によって労働を分化させ、集権的組織の集大成としての国家を形成したこと、そして、もうひとつは病原菌に対する対策をもちえたことだった。

心理学の時間ですよ!!

本当に心が温かい人の7つの特徴

  • そのままを受け入れる
  • 初対面の人ともすぐに打ち解ける
  • 周りに安心感を与えるほほえみをたたえていて、幸せそうなオーラがある
  • 見返りを求めず、与えるだけで満足できる
  • 他人の感情に敏感で、配慮・気配り上手
  • 感情的にならない
  • 困っている人を見過ごさない

中村一郎

ぼくたちはふだん、ことばは通じるものと思って生活をしている。でも、ほんとうに通じているだろうか。他者がしっかりと受け止めてくれることばを、ぼくは持っているだろうか。ことばが通じなくなるという危機的状況を、ぼく自身は経験したことがあっただろうか。

Lisa Randall

There’s definitely a sense that we’re close, but there’s a big difference between being close and reaching the goal. As a theorist, I’m not conducting experiments. The best I can do is say, “This is the way things are. Are there things that we’re missing? Are there ways that we can interpret the data so that we can learn more than we thought we could?” That’s how the discovery about gravitational waves was finally made, but it took 50 years. We could do the same for particle physics: talk about what we’d like to see in the future, but at the same time talk about what information we can extract from the measurements we already have. It’s a combination of those two: how to disperse our research resources optimally, but also how to analyze the existing information and learn more.

子育て四訓

乳児はしっかり、肌を離すな
幼児は肌を離せ、手を離すな
少年は手を離せ、目を離すな
青年は目を離せ、心を離すな

安野光雅

 よく見ていると、親が自分の都合で子どもを叱っていることが多いことに、わたしは気がつきました。たとえば、家で洗濯ものを干しているとき、買いものをしているときに、子どもが邪魔をするとか、自分が急いでいるのに子どもが手間をかけるとか、ほとんどの場合、おとなのさまたげになるときに叱っているように思います。
子ども自身の成長に必要だから、ということで叱っている方は、少ないのではないでしょうか。
そもそも、わたしは「しつけ」が嫌なので、叱ることはありませんが、ほかの子を傷つけたり、いじめたりしたときには叱ることも必要だと思っています。

志村昌也

弊社のアニメ絵本は、アニメ絵本の先駆者である平田昭吾さんが手がけたもの。平田さんは手塚治虫さんのお弟子さんだった方で、ポプラ社さんなどでも絵本を書かれています。彼のポリシーは“誰も殺さない”ということ。
昔話には子どもに社会のモラルを伝える役割がありますが、“悪いことをしてはいけない”というメッセージのために、残酷的な描写を読み聞かせる必要があるでしょうか?


口伝である民話は、時代によって変化していくものです。『ありとキリギリス』『うさぎとかめ』などで知られるイソップ寓話は、もともと為政者が民衆を治めるために語られたといわれています。


弊社のアニメ絵本は現在、世界各国で翻訳され親しまれています。昔話が変わることへの議論はありますが、時代の流れのひとつとして、アニメ絵本のような再話の形もあると考えていただきたいです

ふかわりょう

情報を含め何でも過多になりがちなんです。例えば自分の出番がきたら、たくさんコメントしたいと思いますよね。でもたくさんしゃべると、結局何を伝えたいのかが薄れてしまう。だからできるだけ削ぎ落とすことが大切だと思っています。でも、やりすぎると今度は言葉足らずで、誤解を与えてしまうこともあるため、そのバランスが難しいんです。
程よく諦めながら進んでいきたいですね。
いろいろともがくことをやめたら、不思議と浮力のようなものが働いてきたように感じるんです。だから、下手に抗うことなくプカプカと浮かんでいる状態でいられたらいいのかな?なんて思います。よくいえば”気負わず自然体でいる”ということ。

Kenneth A. Tucker

Just as you can use your own talents in a complementary manner, you can develop complementary partnerships that will make use of the talents of others. Imagine for a moment a manager who is very talented as an Achiever, as an Arranger, and as an Activator. She will be driven to accomplish things — that’s Achiever; accomplish them right now — that’s Activator; and she’ll work on several things almost simultaneously — that’s Arranger. At the end of the day, you literally have to wade through what she did, because she worked on so many things, not necessarily in an orderly fashion. To help her keep organized, she partners with a highly focused and disciplined administrative assistant.
But there’s a problem. Every five minutes, she runs to her administrative assistant and says, “Here’s another thing I want you to do.” Because she’s an Activator, she’s going to delegate the tasks as they occur to her. She could drive that highly disciplined, highly focused person nuts, because every five minutes she has a new idea or something new she wants done. And the way she presents it is, “Do this now, too.” The best way for them to work together is to “own” or claim their talents, to be honest about their weaknesses, and to respect the other person in the relationship.

Managing Your Weaknesses (PDF file)

Symantec

We deliver innovative products and services to our customers and stand ready to resolve any technical issues that may arise. Our online user communities and discussion forums also serve as an important resource for product applications. We instill our brand vision, mission, and values into every product support interaction. When customers contact us, we carefully track how well we’re doing to build trust, loyalty, and a sense of delight. We review all feedback and we follow up with customers who provided low scores to see if we can address their issues. We use this feedback to drive improvements in product quality and support transactions.

信夫克紀

誰もが、物事を前に進めるためには、何かを「する」べきだと、自然と考えていますよね。さらに、心の奥底で、何かを「する」ことが良いことで、何かを「しない」ことは、なまけている、だらしない、といった思い込みが焼きついているのではないでしょうか。
確かに、現代の日本の社会には、何かを「する」ことばかりが推奨され、何かを「しない」と叱咤激励される風潮が根強く残っていると思います。そのためか、何かを「する」努力、何かを「する」ための方法、何かを「する」ことのメリットを説く情報は、たくさんあふれています。逆に、何かを「しない」努力、何かを「しない」ための方法、何かを「しない」ことのメリットを教えてくれる情報は、ほとんど見あたりません。
何かを「する」ことばかりに気をとらわれてしまうことは、心身の悩みをさらに深刻にしてしまう危険があります。それは、足を骨折した人が無理に走り続けて転んでしまい、さらに骨折をひどくしてしまうようなものではないでしょうか。

James Elkins

It is notoriously true that art historians virtually never look at the Journal of Aesthetics and Art Criticism, the British Journal of Aesthetics, or the Zeitschrift für Aesthetik—not to mention the twenty-odd other aesthetics journals published throughout the world. Most developments of interest to art history are reported in its own journals, and when artists are discussed in the pages of aesthetics journals, the essays are not consistently cited in subsequent art historical literature.

Imagine two societies that live on distant islands—call them Ah and Ae. (“Ah” for art history, “Ae” for aesthetics.) Although they are neighbors in their archipelago, they are very far apart, so that they are just barely visible to one another in good weather. One day, a trader arriving from Ah carries with him a request from the people on Ah for a picture of their own island as it appears from Ae, and he brings with him a picture that had been made on Ah, purporting to show the island Ae. No one on Ae recognizes the odd shapes in the drawing, but they comply anyway, and after a time the trader returns with the message that no one on Ah recognized their island in the strange picture sent over from Ae. People on the two islands study the drawings, and conclude that it is probably best to stay where they are, since the people on the other island clearly can’t draw, and they may not even be able to see straight. For diplomacy’s sake they even send some letters back and forth, arguing about whose representation is worse, and they end up deciding that the members of the opposite tribe have no idea how to talk about pictures to begin with.

Why Don’t Art Historians Attend Aesthetics Conferences? (PDF file)

松岡正剛

石坂泰三は結局6期12年にわたって経団連会長を務めるのだが、途中で大阪万博という大仕事が入った。
ところが、これがさっぱりうまくいかない。暗礁に乗り上げたり矛盾が出てくると、二進も三進も進まない。原因は担当者が、変更を拒否して、そういうときにばかり身を堅くするからだった。とくに関西の役人はふだんは陽気で勝手なことを言っているのに、組織のなかでは自分単位の半径しかもっていない。これをどうしたら突破できるのか。まず小坂善太郎に頼んで鈴木俊一を紹介してもらい、事務局長になってもらった。
石坂によると、日本人には何かの変更を迫ると「もう決まったことですから」と変更を断る連中が7、8割はいるという。さらにどうしても変更を迫ると、「いや、そんなことをすると私の責任ということになりますから」と頑張る。これは責任をとろうとしているのでも、頑張っているのでもなく、責任逃れでしかないと石坂は見抜いている。そのため、こういうときには「じゃあ、責任をとってもらっていいよ」と言うことにしている。
これで人事が次々に一新できた。「それは私の責任ですから譲れません」と言う連中を、じゃあ、責任をとってやめていいよと言うことにしたのだ。

河原節子

どのような手法をとろうとも、争いの前の状況に戻ることはできず、双方が完全に満足する解決策はない。では、何のために困難な和解の努力をするのであろうか。それは、より良い関係を築くためであり、それには双方にとって利益になるとの確信が不可欠である。和解が双方向のコミュニケーションのプロセスである以上、また、両者に一定の妥協を必要とする以上、両者がこうした確信を持つことが全体のプロセスを通じて最も重要な基盤であると考えられる。また、ある和解の方策が合意されても、それが繊細なバランスの上に成り立っているため、その合意を守ること自体にも、多大な努力が必要となることを認め合うことも必要であろう。
特に、記憶や歴史の分野においては、当事者間で統一的な立場や見解を得ることは極めて困難である。相容れない記憶を相互に否定しあうのではなく、それぞれの負った痛みや苦難を包括的にとらえようと努力をすること、そして、過去の苦難に関する記憶を次世代に引き継ぐのは、次世代に対立の種を手渡すためではなく、より良い未来のためであることを明確に意識することが求められているのではないか。

和解 ―そのかたちとプロセス― (PDF file)

Paul H. Ray, Sherry Ruth Anderson

Cultural Creatives are seriously concerned with self-actualization, spirituality, self-expression; they like the foreign and exotic, and enjoy new ideas. They’re socially concerned, advocating ecological sustainability, women’s issues, peace, social justice and planetary awareness. These aren’t separate concerns; to reach them it’s necessary to appeal to the whole package of principles. There are twice as many Cultural Creative women as men, with women’s concerns and values finding a voice and going public. Cultural Creatives are strongly upper middle class (46% in the top income quarter) and they are everywhere–definitely in your town. Age, race and ethnicity are typical of the nation as a whole. Values, not demographics, are what identify this market.