Category Archives: life

West with the Night (Beryl Markham)

I have learned that if you must leave a place that you have lived in and loved and where all your yesteryears are buried deep, leave it any way except a slow way, leave it the fastest way you can. Never turn back and never believe that an hour you remember is a better hour because it is dead. Passed years seem safe ones, vanquished ones, while the future lives in a cloud, formidable from a distance.

りゅうちぇる

こんな世の中で生きていくしかないなら

諦める、

割り切る、

逃げる、

戦わない。

そして、期待しないこと。

僕はこの5つの「武器」を、身につけた。

遺伝的多様性

私たち人間の社会性を例に考えてみましょう。全く同じ遺伝子で、同じ見た目・同じ性格・同じ能力…と全く同じ人々からなる集団は、どのように生活するでしょうか? 多様な個性の人々からなる集団に比べて、何か問題が起きても解決の選択肢が少なくなるでしょう。手に入れたい物が同じ故に争いも起こりやすいかもしれません。しかし実際の私たちの社会は、活動的な人・控えめな人・好奇心が強い人・保守的な人…など、さまざまな個性の人から成り立っています。このおかげで、私たちは多様な考え方から意見を出し合うことができ、それぞれの短所・長所を補いあうこともできます。つまり、遺伝子多様性は生き物のあらゆる可能性を広げ、同時にリスク対策を厚くしているのです。
遺伝的多様性は、より良い遺伝子を子孫に残すために、さまざまな個性の異性の中からパートナーを選んだり、トラブルに遭遇してもそれぞれの個体が多様な反応で対処したりすることにより、一様に死に絶えてしまうリスクを低減しています。また、遺伝的多様性は生き物の進化やその多様性を支えるものでもあります。たくさんの個性の中から、より環境に適した個体が生き残り、子孫を残すことが繰り返されることによって、その特徴が固定化され新たな種を生み出すなど、種多様性の豊かさにも深く関係しています。
遺伝的多様性が豊かな個体群の中では、その生き物の中でもよりその環境に適合した個体が子孫を残しやすくなります。より豊かなパートナーの選択肢の中から子孫を残すことができ、結果としてその環境で淘汰されるリスクを個体群全体として低減することができます。つまり遺伝的多様性は、その環境に生息する生き物の種全体としての適応力とも直結します。遺伝的多様性が豊かでたくさんの個性の異なる同種が存在すれば、環境の変化や突発的なトラブルが起こっても、それに適応できる個性を持った個体が生き残り絶滅から免れる確率を上げることができるのです。

植物多様性(筑波実験植物園)

植物多様性を織りなすひとつひとつの種を知ることが、植物多様性を知る基本です。 それぞれの種は与えられた環境に適応して生き抜くため、ありとあらゆる工夫をし、さらに、他の生物と助けあったり、競争したり、食う食われるといった関係を生み出しました。 こうした植物それぞれの個性が、多様性を形作ります。

穂村弘

僕は今、吉祥寺で学生みたいな生活を送っています。公園と喫茶店と本屋をぐるぐる回って、パン屋でお昼を買って公園で食べて。学生時代に思い描いていた「こんな感じに日々を過ごせたらいいな」という夢が、数十年かけて叶ったような感じですね。
今、短歌を書いたり、文章を書く仕事をしているのは、いろいろなことが苦手で社会性のない自分の有り様を、なんとか職業化しようとした結果なのだと思います。

僕にとっての文学や表現って、自然や社会が要請するような「理(ことわり)」を解体して、別の回路を開いてくれるような存在なんです。
だからこそ表現者としては、この世のすべてが「初めて目にするもの」のように映るのが理想なんです。地球の摂理を何も分かっていない宇宙人のように、この世界を見たい。

社会的有用性やライフハックというのは、「死」というものを「それはまあ、こっちに置いておいて」というふうにしないと成立し得ないものなんです。考えたところでどうせ「死」は不可知なものだから、ひとまずないことにして、今ある「生」の中で最大限のパフォーマンスを目指しましょう、という考え方であり、これは一定の説得力を持っている。実際のところ、常に「死」を意識しながら生きるのは難しいでしょうからね。でも、その手順の不完全性に我々はどこかで気づいてもいる。死の不可知性に挑む意味ってやはりあるんじゃないか。

Jean-Jacques Goldman

Décrit comme un “mec ordinaire”, Jean-Jacques Goldman mènerait donc une existence très loin du strass et des paillettes du show-business. Il campe en montagne, il roule en Clio et fréquente assidûment le temple des vacances de la classe moyenne supérieure, les Club Med, d’Opio à Valmorel, formule all inclusive, pas la plus chère.
Un train de vie étonnant dans la mesure où le musicien de 71 ans continue de percevoir une fortune. A l’occasion de la sortie du livre Goldman le 18 août prochain, écrit par la professeure d’histoire Ivan Jablonka, Le Parisien a relevé en effet que la star empocherait près de deux millions d’euros par an de droits d’auteur avec ses 28,5 millions d’albums vendus et ses passages ultra-fréquents à la radio (jusqu’à 90 fois par jour d’après le quotidien). Une sacrée somme !

Ageing

Every sensory experience is mediated by cells. Cells accumulate defects over time, eventually slowing or ceasing their work. And so, to experience the passage of time in an animal body is to experience sensory diminishment.

Theodore Roosevelt

 
Every person who invests in well-selected real estate in a growing section of a prosperous community adopts the surest and safest method of becoming independent, for real estate is the basis of wealth.

О том, как грамотно распорядиться новогодним бонусом (Газета.Ru)

Что надо сделать каждому? Во-первых, надо порадовать себя и близких – детей, родителей, супруга и остальных. Для себя можно купить вещь, о которой давно мечтали. На эту категорию можно потратить до 10% годового бонуса.
Во-вторых, стоит порадовать других. Это может быть адресная помощь или организованная благотворительность через фонды. Большинство людей думают, что отдавать на эту цель нужно только тогда, когда всем обеспечен: есть машина, квартира, дом и все прочее.
Не менее 30% полученного бонуса направляем в подушку безопасности. Если такая подушка сформирована, то направляем эти деньги в инвестиции. Оставшуюся сумму используем, чтобы погасить кредиты.
Если кредитов и ипотеки нет, всю оставшуюся сумму направляем в инвестиции. Инструменты выбираем в зависимости от готовности к риску и ожиданиям по доходности. Это могут быть вклады, акции, недвижимость – в зависимости от ваших знаний и опыта.

Do not “bring your whole self” to work

For those lucky enough to have worked from home over the past two-and-a-half years or seven years or whatever it was, it’s back to the office time. We are finally R.T.O. and I.R.L., at least until the next wave hits. And some people can’t wait.
But for those less excited, reluctant to face the creepy supervisor they’ve been avoiding, the department suck-up they’ve been Slacking about, the portion of the job they’ve been faking, here’s a nifty tip for easing the transition: Do not “bring your whole self” to work.

Judith Butler

Lives are by definition precarious: they can be expunged at will or by accident; their persistence is in no sense guaranteed. In some sense, this is a feature of all life, and there is no thinking of life which is not precarious […]
Precarity designates the politically induced condition in which certain populations suffer from failing social and economic networks of support and become differentially exposed to injury, violence and death.

Il pleuvait des oiseaux

La liberté de vivre ou de mourir, y a pas mieux pour choisir la vie.

L’amour impossible n’est plus possible de nos jours.

Le silence vaut mieux que le bavardage, surtout quand il est question de bonheur et qu’il est fragile. Le bonheur a besoin simplement qu’on y consente.

Il y avait un pacte de mort entre mes p’tits vieux. Je ne dis pas suicide, ils n’aimaient pas le mot, trop lourd, trop pathétique, pour une chose qui, en fin de compte, ne les impressionne pas tellement. Ce qui leur importait, c’était d’être libres, autant dans la vie qu’à la mort, et ils avaient conclu une entente.

日本国には 1億2278万人が住んでいて
1年のあいだに 81万人が生まれ 144万人が死ぬ
生まれる人より死ぬ人のほうが多い
ガンで38万人が死に
心疾患や脳血管疾患や肺炎で 39万人が死ぬ
老衰で死ぬことができるのは 15万人だけ
自殺で 2万1千人死んでも
玄関で転んだり風呂で溺れたりで 1万7千人死んでも
新型コロナウイルスで 1万6千人死んでも
交通事故で 2千2百人死んでも
ほとんどの国民が病気で死んでゆく

東京都には 1396万人が住んでいて
1年のあいだに 10万人が生まれ 12万人が死ぬ
生まれる人より死ぬ人のほうが多い
ガンで3万4千人が死に
心疾患や脳血管疾患や肺炎で 3万4千人が死ぬ
老衰で死ぬことができるのは 1万2千人だけ
自殺で 2千3百人死んでも
玄関で転んだり風呂で溺れたりで 2千人死んでも
新型コロナウイルスで 2千百人死んでも
交通事故で 2百人死んでも
ほとんどの都民が病気で死んでゆく

どうせ死ぬのだから 苦しまないで死にたい
モルヒネを飲ませてくれるところに行って
からだを痛めつけないで死んでいきたい

どうせ死ぬのだから 景色のいいところで死にたい
石や木や水に囲まれたところに行って
いい空気を吸いながら死んでいきたい

君と自由に生きて 君と死にたい時に死ぬ
病院で野垂れ死んだりはしない
最期ぐらい好きにしたい
最期ぐらいは

変わらないもの

 
長いあいだ着てきた Calida の下着の着心地が悪くなったので、ISA に変えた。
 
 
 
長いあいだ履いてきた Bally の靴の履き心地が悪くなったので、Berwick に変えようと思っている。
 
 
 
変わらないものは、どこにもない。

天国

戦争に負けてから77年経った今でも
5万3,713 ものアメリカの部隊が
駐留している国にいて

アメリカ兵に出て行ってくれと言うことも
アメリカにもう自由にしてくれと言うことも
できない国にいて

広島や長崎に原子爆弾を落とした
アメリカに遠慮して
核兵器禁止条約に加盟しない国にいて

僕は
国に多くを感じることなく
亡びてゆくのを ただ見ている

**

山が火を噴き
大地は揺れ
津波が襲う国にいて

言いたいことを言わず
長いものに巻かれ
建前が通る国にいて

世をはかなみ
自分を責め
命をなくす人の多い国にいて

僕は
希望を持てずに
逃げ出す算段をしている

**

逃げた先には
上品で 謙虚で 心優しい人が
たくさん住んでいて

豊かな人も
貧しい人も
お互いを思いあうことを知っていて

朝夕に聞こえてくる鳥の鳴き声を楽しみ
陽の光にも 雨の恵みにも 感謝を忘れず
思慮深く暮らしていて

僕は
そこに落ち着いて
二度と戻ろうとは思わない

**

山に囲まれて
湖を前にして
考えは散らばってゆく

ぼんやりとしていたら
いつの間にか日が暮れて
空には半月が浮かんでいる

庭で遊ぶ鳥が 飛び立ち
木のなかに隠れ
枝と一緒に 揺れている

そろそろ家の中に入り
戸や窓を閉めて
君の隣で眠ることにしよう

ペーター・ヴォールレーベン

樹木に限らず植物というものは、自分の根とほかの種類の植物の根、また同じ種類の植物であっても自分の根とほかの根をしっかりと区別しているらしい。
では、樹木はなぜ、そんなふうに社会をつくるのだろう? どうして、自分と同じ種類だけでなく、ときにはライバルにも栄養を分け合うのだろう? その理由は、人間社会と同じく、協力することで生きやすくなることにある。木が一本しかなければ森はできない。森がなければ風や天候の変化から自分を守ることもできない。バランスのとれた環境もつくれない。
逆に、たくさんの木が手を組んで生態系をつくりだせば、暑さや寒さに抵抗しやすくなり、たくさんの水を蓄え、空気を適度に湿らせることができる。木にとってとても棲みやすい環境ができ、長年生長を続けられるようになる。だからこそ、コミュニティを死守しなければならない。一本一本が自分のことばかり考えていたら、多くの木が大木になる前に朽ちていく。死んでしまう木が増えれば、森の木々はまばらになり、強風が吹き込みやすくなる。倒れる木も増える。そうなると夏の日差しが直接差し込むので土壌も乾燥してしまう。誰にとってもいいことはない。
森林社会にとっては、どの木も例外なく貴重な存在で、死んでもらっては困る。だからこそ、病気で弱っている仲間に栄養を分け、その回復をサポートする。数年後には立場が逆転し、かつては健康だった木がほかの木の手助けを必要としているかもしれない。互いに助け合う大きなブナの木などを見ていると、私はゾウの群れを思い出す。ゾウの群れも互いに助け合い、病気になったり弱ったりしたメンバーの面倒を見ることが知られている。ゾウは、死んだ仲間を置き去りにすることさえためらうという。

時の流れ

時の流れに合わせるでもなく
逆らうのでもない
流れに引きずられるのは カッコ悪い
興味ないという感じが いい

一人一人違っていいと信じ
それを前面に出す
自由になって
自由に生きる

つまらないと思われても
したいことをして
下手だと貶されても
下を向いたりしない

みんなが自由になるのを拒むのなら
自分だけでも自由になる
すべての人間の幸せなんて考えず
一人一人の幸せを願う

貧しい人たちに食事を
忙しい人たちに時間を
できることを する
できないことは しようとしない

流れに合わせない
かといって 流れに逆らわない
流れに乗らない
でも 流れに置いていかれない

ロールモデルはコリューシュ
理想は Les Restos du cœur
文章を書き 楽器を奏でる
なんでもする そして なんにもしない

내일(明日)

ほとんどの人は
誤った選択を後悔するけど
結局は忘れるものよ
でもたまに
ずっと縛られたままの人もいる
忘れられず
夢にも出てくるの
取り返しがつかないのに

喫茶店

喫茶ルーブル(立川)
タカセ洋菓子(池袋)
さぼうる(神保町)
喫茶フジ(新橋)
喫茶YOU(東銀座)
ピノキオ(大山)
トリアノン(高円寺)
珈琲家(東上野)
純喫茶珈琲美学(飯田橋)

梶谷真司

生涯学習にせよ、養護施設での生活にせよ、高齢者は、自分でどうするかについて考える余地を与えられていない。医療関係者や福祉関係者が彼らに必要なものを考えて提供する。
しかし、高齢者自身の生き方が重要なら、当事者である彼ら自身が何をどうしたいのか発言をし、考える自由が与えられなければならず、また彼らはその自由を行使しなければならない。そうでなければ、学校教育と同じく、自分で自分の人生の帰結に責任をとることなどできない。人生の締めくくりの段階が、そんなことでいいのだろうか。

정윤정

正直な話 お前を歓迎していない
俺たちには 即戦力が必要だ
(分かってます)
アンさんがよかったのに
せっかくだ
とにかく踏ん張れ
踏ん張った者が勝つ
いつか完全に生きられるからだ
(というと?)
知らないだろうが こんな囲碁用語がある
”未生(ミセン)” と ”完生(ワンセン)”
俺たちは まだ弱い石(ミセン)だ

黄金のトライアングル

バゲットとヴァンとフロマージュ
ごはんと梅干と味噌汁
ウィスキーとナッツとチョコレート
大根とツナ缶とマヨネーズ
ムール貝の白ワイン蒸しとフライドポテトとマヨネーズ
豆腐と鰹節と生姜
シャンパンと牡蠣とミニョネットソース
日本酒とキャベツと味噌
ヴァン・ジョーヌとコンテとクルミ
生卵と砂糖と牛乳
寒天と赤えんどう豆と蜜
トマトとモッツァレラチーズとオリーブオイル
焼いたサンマと大根おろしと醤油

想像は限りなく広がる

大切なことに 気づかない
そうやって 生きる
そうやって 時がすぎる

人は死ぬ

日本では 人は 1日に4000人近く死ぬ
1週間で3万人近く
1か月で12万人
1年で140万人以上が死んでいる

そんななか
新型コロナウィルスが原因で
1か月で1000人 死んだりすると
交通事故で死ぬ人より多いといって
ニュースになる
新型コロナウィルス以外の感染症で
もっと多くの人たちが死んでいるのに
新型コロナウィルスだけが大騒ぎになる

自殺者のほうがもっと多くって
統計に載る人だけでも年に2万人以上
風呂場で死ぬ人も多くって
年に2万人近く死んでいる

癌で1日に1000人以上死んでも
何も言わない人たちが
新型コロナウィルスで1日に30人死んだといって
怯えていたりする

新型コロナウィルスよりも怖いのは
間違いなく人だ
軍人や犯罪者でなくても
社会の中で人が人を追い詰め
新型コロナウィルスよりもずっと多く
人を殺す

島薗進

誰もが願う「より健康に、より長く生きたい」という希望。iPS細胞による再生医療をはじめ、出生前診断、遺伝子治療やロボット技術――最新のバイオテクノロジーに根差す現代医療は、その願いを着実に実現しつつあり、「病気や老化を克服する」可能性さえも見えてきた。
ところが、従来不可能であったことが「できてしまう」ようになることで、私たちはこれまで想像もしなかった課題に直面しつつある。それはたとえば、「技術的に可能なら、人工的に人のいのちをつくり出してもよいのか?」「身体の特徴や能力、知性などを親が好きに選んで、子どもをデザインしてもよいのか?」など、今日の倫理観では対処できないようなジレンマだ。そしてそれらは、テクノロジーが発展するほどにますます複雑になっていく。人がただ望むままに進んでいくならば、私たちはやがて「いのちをつくり変える」領域に踏み込んでしまうのではないか。

名郷直樹

医者として私が接するのは、当然のことながら、医療に依存して日々を送る人たちが大部分である。そしてその依存度が高ければ高いほど、医療に多くを期待されればされるほど、私自身はそうならないようにしようという気持ちが強くなる。
はっきり言えば、私は医者でありながら、医療に過度に依存したり、大きな期待をするのはばかげていると思っている。より良い医療の恩恵を受けることだけでなく、医療を避けることも重要である。そのバランスをとって生きていかないと、定年後の人生を、あるいは長生きによって得た多くの時間を、台無しにしてしまうかもしれない。そのためには、医療を上手に避け、さらにその先に待つ、動けなくなることを受け入れ、死を避けないで生きることを考えなくてはいけない。

終わり

どんなものにも 始まりがあり 終わりがあるという
宇宙にビッグバンという始まりがあるのならば 宇宙の終わりもきっとある
そんなふうにして 宇宙の終わりのことを考える
 偽の真空から真の真空に移る時に
 莫大なエネルギーが放出され
 偽の真空は崩壊し
 宇宙は終わる

宇宙が終わるなら 地球も終わる
宇宙が終わるよりも ずっと前に終わるのか もしかしたら宇宙と一緒に終わるのか
そんなことを想像しながら 地球の終わりのことを考える
 偽のマグマから真のマグマに移る時に
 莫大なエネルギーが放出され
 偽のマグマは崩壊し
 地球は終わる

地球が終わるなら 人間も終わる
人間という不思議な存在にも やっかいな感情というものにも 終わりが必ずやって来る
そんなふうに思いを巡らしながら 人間の終わりのことを考える
 偽りの感情から本当の感情に変わる時に
 感情は心のなかから流れ出し
 偽りの感情は消え
 人間は終わる

ありもしない頭脳でもって わかるはずのないことを
ちょっと深く考えてみる
 真の真空のなかに 私の知る宇宙がないように
 真のマグマのなかに 私の知る地球はなく
 本当の感情のなかに 私の知る人間はいない

そうだ
 私の知る宇宙だけが すべてではないように
 そして 私の知る地球だけが すべてではないように
 私の知る人間が すべてではなく
 偽りも真実も 確かなものではない

確かなのは 始まりがあれば 終わりがあるということ
そして すべてのものに終わりがあるということ
終わりがあるから愛おしく 終わりがあるから美しく
終わりがあるから輝いている

蜻蛉

長い幼虫時代を水中で過ごした十何兆もの蜻蛉が
羽根の生えた成虫になり 交尾をして 一日で死ぬ
同時に孵化することで 食べられてしまう可能性が減り
交尾できるチャンスが大きく広がる
口も消化器官も持たない蜻蛉が食事をすることはない
水上を飛び ただ交尾する
そして水中で死ぬ

そこには 人権ならぬ蜻蛉権とか
人道ならぬ蜻蛉道とかは なく
その短い命は どこまでも儚い

蜻蛉になった僕が 蜻蛉になった君を探す
死ぬ前に 会えるように
いつも一緒の君と 生を終えるように

Lara Bazelon

I used to believe that divorce is a terrible thing, particularly when children are involved. Growing up, I absorbed cultural tropes about absent fathers in efficiency apartments, mothers struggling to support themselves, and awful stepparents and unwanted stepsiblings. To this day, divorce is portrayed as precarious and grim. Parents whose marriages break apart are made to feel they have failed catastrophically. Divorce is shameful, traumatic and Bad For The Kids.
But I’ve learned that divorce can also be an act of radical self-love that leaves the whole family better off. My divorce nearly seven years ago freed me from a relationship that was crushing my spirit. It freed my children, then 5 and 3, from growing up in a profoundly unhealthy environment.

急降下

空から急降下して獲物に襲い掛かる
水中を急上昇して獲物をくわえる
生きていくための嘘や殺戮を
否定することはできない

生きるために してはならないことをする
社会の決まりを破り タブーを犯す
生きるために逃げ続ける
ゴールは用意されていない

受け入れてくれる人に出会う
食べものも暖かさも手に入る
でも 出会ったがために 死ぬ
夢の先にあるものは見えない

Paul Nurse, Robyn Williams

What is Life?


The question has been asked before, famously by Nobel Prize-winning physicist Erwin Schrödinger in 1944. Now biologist Paul Nurse has addressed the question in his book, What is Life? He describes the wonder of the cell, where thousands of chemical reactions take place at a microscopic scale, all coordinated by the instructions contained in DNA. So what are essential qualities of life? It is an ability to change. A living thing is an entity that is subject to natural selection and can evolve. It needs a gene or a genome of genes and changes and adapts to the environment. The purpose is to survive and reproduce.

Paul Nurse

It may have been a butterfly that first started me thinking seriously about biology. It was early spring; I was perhaps twelve or thirteen years old and sitting in the garden when a quivering yellow butterfly flew over the fence. It turned, hovered and briefly settled—just long enough for me to notice the elaborate veins and spots on its wings. Then a shadow disturbed it and it took flight again, disappearing over the opposite fence. That intricate, perfectly formed butterfly made me think. It was both utterly different to me and yet somehow familiar too. Like me, it was so obviously alive: it could move, it could sense, it could respond, it seemed so full of purpose. I found myself wondering: what does it really mean to be alive? In short, what is life?

自分のため

画家がいる
描き始めて20年経った頃
描きたいように描けるようになったと思ったけれど
思うように売れなかった
そもそもその画家の絵が人の目に触れることは
ほとんどなかった

演奏家がいる
奏で始めて20年経った頃
奏でたいように奏でられるようになったと思ったけれど
思うように稼げなかった
そもそもその演奏家の音が人の耳に届くことは
ほとんどなかった

詩人がいる
書き始めて20年経った頃
書きたいように書けるようになったと思ったけれど
思うように稼げなかった
そもそもその詩人の詩が人の心に届くことは
ほとんどなかった

画家は今日も描き
演奏家は今日も奏で
詩人は今日も書いている
売れなくても
したいことをしたいようにして
自分に素直に生きている

多くの人たちが家族のために生きる
自由に生きているようにみえる子どもたちも
やがて大きくなって家族のために生きる
家族でなくても誰かのために生きる
誰かのために生きるのが幸せなのだと
目の前の本が言う

誰かのためでなく自分のために生きて
したいことをしたいようにして
いったいなにが悪いのか

誰かのために生きる人の作品のほうが
自分のために生きる人の作品より
ずっと素晴らしいという
でも僕には自分のために生きる人の作品のほうが
ずっと輝いて見える

少ない時間のなかで 君に
自分のために生きてほしい
君に
輝き続けてほしい

棄てられた影

複雑さと汚れとを取り除き
美しさだけを残す
空気のような理想的な印象を
凍結してしまう
時間と空間を固定し
不滅にする
画像や映像から真実を省き
悪魔から天使を作る
文章の一部を取り出して
非文脈化する

美しいものを抱いて
生きる
棄てられた影を抱いて
ゆく

神村学

チョウなどの完全変態昆虫では、幼虫と成虫の体つきが全く別の生き物かと思えるほど違っているけれど、サナギはそのような大変身をするための準備の時期。サナギはじっとして動かないけれど、厚い殻の中では体の中身をすごい勢いでつくり替えている。サナギになりたての時期はすべての部分が柔らかく、また、壊される部分は小さなバラバラのかたまりになって体の中に散ってしまうので、一見するとサナギの中身はどろどろのクリーム状に見えるんだ。しかし、注意してみると、サナギになりたての時期でも半透明の薄い翅ができているし、筋肉などもちゃんとある。そして、サナギの後半になると体の中身もしっかりしてきて、羽化直前には成虫の模様などが殻の外からでも見える。

生と死

宇宙を研究する学者たちが
宇宙には 生まれたての星と
死んでしまった星が あるという

人が生まれて成長して死ぬように
星もまた 生まれて成長して死ぬ
私たちが知っている生と死とは
少しだけ違うかもしれないけれど
星も生まれて死ぬ

太陽は45億くらい前に生まれ
あと50億年くらいすると死ぬ

地球が死ななくても
太陽が死ねば
人間は生きていられない

138億年前に生まれたという宇宙も
あと何百億年かしたら死ぬ

もちろん地球も例外ではない
銀河系も例外ではない
地球も銀河系もいつかは死ぬ

はじめがあれば 終わりがある
生まれたものは みんな死ぬ
  なんだかつまらないので 言い方を変えてみる
生まれたものは 死ぬまでは生きている
  そう みんな 生きている
いま地球上にいる人は みんな 生きている
そして 驚いたことに
太陽は 生きている
宇宙は 生きている

阿修羅像

興福寺の阿修羅像は三面六臂
右の幼い少年の顔には反抗心が見て取れ
左の思春期の顔には思い詰めたような表情があり
正面の青年期の顔は決意がみなぎっている

善悪もこの阿修羅像に似ている
まず善悪の基準に反抗し小さな悪を演じる
次に善悪は誰が決めるのかなどと思い悩む
そして善悪を超え 迷いを断ち まっすぐに生きる

宗教とか哲学とか倫理とかに惑わされることなく
学校とか会社とか常識とかに振り回されることもなく
文化とか慣習とか権威とかに従うわけでもなく
誰が言ったからといって 誰かのせいにするわけでもない

人が決めた あるべき姿に
押し込めようとしても
一人ひとりに 持って生まれた姿があって
誰も あるべき姿には近づけない

結局は 人は生き物で
生き物であることからは逃れられない
生き物は生きようとする
そして生き物はいつか必ず死ぬ

だからというか
それでというか
決意を持って生きる
前を向いて生きる

労働

働くってどういうことだろう

なぜか多くの人たちが
似たような給料に満足し
朝から晩まで働かされて
嬉々としている

どこかにいる少ない数の人たちは
自分たちは働かず
多くの人たちを働かせて
安らいでいる

働くことがあたりまえだと
働かなければ食べていけないのだと
刷り込まれ
信じ込まされて
今日も働いている人たちは
ろくな朝食も摂らずに駅に急ぎ
満員電車に揺られて会社に行き
なんのためなのかも知らされずに
与えられた仕事をこなす

目の前に自然の織りなす景色が広がっている
アルヴォ・ペルトの静かな音楽が流れている
僕は働いていない
隣に君がいる
ここはどこだろう
きっと この世ではない

遅く生まれていたら

ヒトラーの演説を聞いて感激していた人が
40年か50年遅く生まれていたら
ベルリンの壊れた壁の上で喜んでいたかもしれない

特攻機でアメリカの軍艦に突入した人が
10年か20年遅く生まれていたら
安保反対のデモに参加していたかもしれない

今朝電車に飛び込んで通勤ダイヤを狂わせた人が
1年か2年遅く生まれていたら
死のうなんて思わなかったかもしれない

僕が この僕が
1か月か2か月遅く生まれていたら
君と出会わなかったかもしれない

僕は 運がいい

生命

針の切っ先に立っていたジミー・ペイジは
いつのまにかベンチに腰かけている
あれほど気難しかったジェフ・ベックは
笑顔を振りまくショーマンになっている
カッコよかった人たちが
カッコ悪くなったのではない
ただ年をとっただけ
時間が経っただけなのだ

いったいどれだけの生き物が
この地球上にいるのだろう
想像もつかない数の生命のなかの
たったひとつの生命に
いったいどんな意味があるのだろう

何億年に亘る生き物の営みのなかで
何十年しか存在しないひとつの生命など
ないも同然ではないか

戦争に駆り出されて失う生命も
安逸をむさぼって生き延びる生命も
短い生命には変わりない

一人の生命は
地球よりも重いとかいうけれど
一人の生命は
地球の生命に比べるべくもない

ベンチで休んでいるジミー・ペイジも
指が動かなくなったジェフ・ベックも
走れなくなったヨハン・クライフのように
カッコいい
私たちは誰もが
ノーボディー
何者でもないし
誰の記憶にも残らない

ジンギス・カンが何を考えていたのか
誰にもわからない
ジンギス・カンの墓がどこにあるのか
誰も知らない

膨大な数の生命のなかで
一つの生命の存在は
とても小さい
それなのに
たったひとつの君の生命は
とても大きい
びっくりするくらい
大きい

生かされて生きている

人間は生きている
そしてとても大きい
人間の体には100兆を超える微生物がいて
そのうちの何十万かが人間を蝕む
でも人間は
内の生き物とも 外の生き物とも
とてもうまく共存している

地球も生きている
そしてとても大きい
その生き物には80億を超える人間がいて
そのうちの何万人かが地球を蝕む
でも地球は
地球を蝕むような人間とも
黙って共存している

生きて生かされる
科学の進歩が人間を生かしているのではない
僕たちはみんな
生かされて生きているのだ

君も僕も
生かされて生きている

細菌

微生物にある種の薬剤を添加すれば
薬剤に抵抗する微生物が現れてくる

抗菌薬の不適切な使用や乱用により
耐性菌が生き残り選択され出現する
同じように
消毒薬を間違って使っているうちに
それまでなかった耐性菌が出現する

細菌は生きにくい環境に置かれると
そばの物の表面に付着して増殖する
そして
凝集してバイオフィルムを作り出し
消毒薬に抵抗する細菌になってゆく

消毒薬はコロナウイルスに効かない
水及び石鹸よる洗浄のほうが有効だ
それなのに
食堂やスーパーマーケットの入口で
ジャバジャバと消毒薬を振りかける

鶏の成長のために抗生物質を乱用し
抗生物質の効かない細菌を創り出す
知らないうちに
そういう細菌が人に入り込むことで
多くの人が食中毒に感染してしまう

細菌は人の思惑を超えて生きている
人がしたことは必ず人に返ってくる

錯覚

なにかを集中して考えていると
それだけが重要に思えて
間違いを犯してしまったり
大切なものを失ったりする

大切な人が歪み
大事なものが歪み
感覚が歪み
錯覚に落ちる

現実と非現実の境界線がぼやけると
鮮やかな赤が 侘び寂びの色に溶け
真っ白な磁器が 土色の陶器になり
長い時間の変化が 未来を過去にする

朽ち果てた神社を修繕し赤く塗って
建てられた頃の神社に戻してしまおう
焼き色の残る陶器を箱にしまって
透き通るような白い磁器を飾ってみよう

教科書のなかにはない美しさのなかに
木と草と水の美しさのなかに
いつか住む
程々の家という錯覚のなかに住む

サッカー

サッカーはゲームだ
 人生も同じ
 ゲームだ

ゲームにはルールがある
ルールは守らなければならない
ルールを知らなければ
ゲームには勝てない
 社会のルールも知らなければ
 生きていけない

ルールは変わる
新しいルールがいいとは限らない
でも どんなルールも
守らなければならない
 どんなに悪い法律も
 守らなければならない

 
ゲームには審判がいる
審判がいつも正しいとは限らない
でも どんな理不尽な判定でも
従うしかない
 どんなに理不尽な上司でも
 従うしかない

ゲームだから
楽しまなくてはならないし
ゲームだから
負けてばかりはいられない
 人生も楽しんで
 負けないようにしなければ

サッカーの試合は
引き分けでない限り
どちらかが勝ち
どちらかが負ける
 みんなが勝つということはないし
 みんなが負けるということもない

どんなにいい準備をしても
いいゲームができるわけではないし
どんなに頑張っても
勝てるわけではない
 準備をしても報われなかったり
 頑張ってもダメなことは 普通にある

どんなにいい選手を集めても
強いチームを作れるわけではないし
どんなに強いチームを作っても
いつも勝つわけではない
 優秀な人が集まったからといって
 いい結果が出るとは限らない

どんなにいい試合をしても
負けは負け
どんなに悪い試合をしても
勝ちは勝ち
 いい製品が売れるわけではないし
 いいサービスが喜ばれるとは限らない

高い年俸の選手がいて
低い年俸の選手がいる
でも どんな年俸の選手にも
必ず終わりが来る
 高収入の人にも低収入の人にも
 終わりが来る

たかがサッカーというけれど
 たかが人生ともいえて
だから
サッカーはゲーム
 人生もゲームだ

流れ

川の流れが
海に出て終わるように
時の流れも
いつかは終わる

時の流れが
終わる時の感じは
空気のなかに
ふわっと消えるのか
空の上に
昇って行って消えるのか

川の流れは
海に出ずに終わることもある
砂漠のなかに消えて行ったり
田んぼの水になったり
飲み水になったりして
海に出ずに消える

時の流れも
途中で終わってしまうことがある
最後まで行かずに
終わったり
終わらされたり
無念だったり
悲しかったり

時の流れが
終わる時の感じが
暖かかったらいい
笑顔だったらいい

終わる時は
君のことを思って
ひとりだけで微笑む
それがいい

昔の家には
縁側とか濡れ縁とかいわれる場所があって
無駄なことばかり
思い出の中に浮かんでくる家は
匂いが留まらない
空気が通り抜ける
隙間だらけの家
でも
土が上がり込む家はとても暖かい
雨や風から守ってくれる家が
思い出の風景のなかにひっそりと建っている

今の家には
床面積1坪当たりの単価というものがあって
無駄なことはなにもない
散歩をして目に入ってくる家々は
経済性だけを考え
機能性を追い求め
効率性を突き詰めた家
そう
どの家も自然を遮断している
自然を感じることのない家が
電車やバスを乗り継いで行った先に建っている

不思議なことに
ビルディング インフォメーション モデリング で作られる家には
無駄がたくさん組み込まれている
人がいるのを感じる美しい家
家の中に調和があって
平和が家を包み込む
自然を運んでくる家が
君と僕を繋ぐ

過去 未来 現在

過去を思い出しても 懐かしさは何もない
あの時ああすればよかったと考えても 何も変わらない
あると思っていた可能性は ひとつひとつ消えていったし
思い描いていた生活が 手に入ることはなかった

未来を思ったとしても 希望は湧いてこない
これからのことを考えたとしても その通りにはならない
誰かを見てそうなりたいと思っても その人になれるわけもなく
自分を変えようと思っても 自分は変わらない

現在を思っても考えても 何にもなりはしない
現在に住む 現在に生きる ただそれだけを繰り返す
後ろを振り返らず すべての痕跡を消し
前を見ることなく 無益な願望は持たない

 **

そんなことを書いた人がいて
そんなことを読んでいる僕がいて
その人にはその人の現在があって
僕には僕の現在がある

現実を見るのが下手だから ありえないことを夢に見る
住みたい家を描いては そこで暮らす君を思う
旅程を紙切れに書きつけて 旅する君に憧れる
過去も未来も現在も ありえない夢にはかなわない

僕はこりずに夢を見て 何もしないで生きている
時を無駄にして生きている
君は静かに微笑んで 今を上手に生きている
毎日を豊かに生きている

失敗ばかりの過去の先には
失敗ばかりの未来があって
笑ってしまうような現在だけど
君の隣で笑ってみる
君の隣でわらってしまう

負ける

戦争に負ける 戦闘に負ける 競争に負ける 喧嘩に負ける 勝負に負ける 賭けに負ける 試合に負ける 圧力に負ける 脅迫に負ける 情熱に負ける 権威に負ける 裁判に負ける 人情に負ける

自分に負ける 感情に負ける 弱さに負ける 誘惑に負ける 恐怖に負ける 不安に負ける 弱点に負ける 好奇心に負ける 困難に負ける 病気に負ける 生活に負ける 才能に負ける 貧困に負ける

他人に負ける 坊主に負ける 酒に負ける 色に負ける 陰謀に負ける 気持に負ける 執拗さに負ける 誰にも負ける わざと負ける 必ず負ける きっと負ける なんにでも負ける 誰にだって負ける

トーナメントの決勝で負けた人は決勝の負けを忘れない
準決勝で負けた人は準決勝の負けを忘れない
準々決勝で負けた人は準々決勝の負けを忘れない
決勝で勝った人以外はみんな負ける

決勝で勝った人も もしかしたら次は負けるかもしれない
その次は たぶん負ける
その次は きっと負ける
勝ち続けても いつかは負ける

競争は勝者と敗者が生む
生存競争は敗者の存在を認めない
敗者は殺され食べられてしまう
戦国時代の覇者は少なく
見渡せば敗者ばかり
資本主義も敗者を生み
勝者は少なく 敗者は驚くほど多い

勝者が敗者を思いやることはなく
敗者が勝者を称えることもない

人は死ぬ
死ぬのは一度だけ
人は死ぬまで生きる
死ぬまで負け続ける

ユーカリ

オーストラリアの森林火災は予想される範囲を超えて
大きく広がった

すべての山火事が鎮火したというタイミングでドライブに出かけ
両脇のまる焦げになったユーカリの木々を見た
いつまでも黒い木々が続く景色は異様だった
交通標識が溶けてしまうようななかで
真っ黒に焼けているのに目にも鮮やかな緑の芽を出しているユーカリ
なんという生命力だろうと感動した

ただ調べてみると感動するようなことではない
山火事が大きくなった原因のほとんどがユーカリなのだ

ユーカリの葉はテルペンを放出するのだがテルペンは引火性なので
何かの原因で発火したら燃え広がって大きな山火事になる
ユーカリの樹皮は燃えやすく火がつくと幹から剥がれ落ちるのだが
幹の内側は燃えずに守られる
ユーカリの根は栄養をたくわえていて
火事の後も成長し続けることができ
新しい芽を出す

美しい花をつけ かぐわしい香りを放ち
鳥や動物を惹きつけ続けてきたユーカリが
長年にわたって邪魔に思ってきた下草や低木を焼き尽くし
焼畑農業のように土壌を良くする
そんなことを何百年何千年何万年も繰り返してきたユーカリ
まさに恐るべしだ

自分たちが快適に生きるためならなんでもやるっていうことを
人がやって来る前からずっと長いあいだ続けてきたのだと思うと
ユーカリに対してなんともいえない気分になった

夢は夢だ
夢から醒めたら
夢は夢だったと悟る
なんで信じたのかと驚く

生きているから
夢は夢だったと悟る
生きていなければ
夢の虚妄に気付かない

死は人生の断絶だ
死のあとにはなにもない
夢を信じたまま死ぬ人は
夢のなかに人生を終える

夢を抱いたまま
人生を終えたい
夢を信じたことを
後悔はしない

死ねば意識はなく
人生は終わる
信じたものも
消えてなくなる

なにかを信じるのなら
信じるに足りることを
そうは思っても
確かなことはなにもない

夢を見るのなら
明るい夢を
君との夢を
死ぬまで見る夢を

老化

老化とは年をとることとその過程だ
時間とともに個体に起きる変化とか
死に至るまでに起きる機能低下とか
時間とともに変化するすべてが
老化なのだ

木の葉が色づいて散るのも老化だ
動物の活動性が低くなっていくとか
細胞が分裂をやめてしまうとか
身体的 心理的 社会的な変化が
老化なのだ

老化の原因がわかっただとか
いや原因はわかっていないとか
いろいろなことが言われているけれど
誰も老化は避けられないし
誰も老化を止められない

ピカピカな歯で死んでゆくのもいいけれど
ボロボロの歯で死んでゆくほうが自然だし
黒くてふさふさした髪で死ぬよりも
薄くなった白い髪で死ぬほうがいい

年より若く見えるよりも
年相応に見えるほうがいいし
内面が顔に表れているほうが
のっぺりした顔よりずっといい

若いってすばらしくないんだと
心からそんなふうに思ってみれば
老いてからでないとできないことが
たくさん浮かんでくる

好きな人がだんだんなくなってきたら
石や木や水が近づいてきて
老いをそのまま受け入れてみたらどうか
すべてを面白がってみたらどうかと言う

自然のなかを歩いてみれば
真上には太陽が輝いていて
後ろからは風が吹いてくる
目の前の池が言う
なかなかいい
なかなかいいよって

ほのかな香り

人は言葉で自分を表現する
でも木が言葉で自分を表現するなんていうことは
ありえない

声を発したり食べて味わったり動いたり
動物がすることを
植物はしない

人は外見で自分を表現する
木が外見で自分を表現するなんていうことは
ありそうもないけれどでもあるかもしれない

木は服を着たり眼鏡をかけたりしないけれど
自分をすっと見せたり高くみせたりできる
輝く緑や深い緑を見せることもできるのだ

人は匂いで自分を表現する
木が匂いで自分を表現することも
きっとある

匂いだけでない
木は葉で枝で樹皮で自分を表現して
他の木になにかを伝える

木は静かで
枝の軋みにも葉のざわめきにも主張がない
でも
木がなにかを伝えようとするときに
ほのかな香りがする
そう思うのは
気のせいなんだろうか

よき日

パーフェクト・デイ
最上の日
特別な一日
申し分のない一日
素晴らしい一日
とても楽しかった一日
うってつけの日
最良の日
日々是好日
ひびこれこうじつ
にちにちこれこうじつ
にちにちこれこうにち
ひびこれよきひ
毎日がよき日
喜怒哀楽を十分に味わう
どんなにつらくても
悲しくても苦しくても
毎日毎日を生きる
喜ばしいことがあった日も
そうでなかった日も
とってもいい
死にたくない自分と死んでゆく自分
災害を避けたい自分と災害に遭う自分
どれも受け入れる
後悔はない
並んで歩いた日
雨宿りをした日
おいしいものを食べた日
黙った日
笑った日
静かな日
枯葉が暖かかった日
シャッターを切った日
陽がまぶしかった日
君といた日
嬉しかった日
とてもよかった日
パーフェクト・デイ

デカメロンの冒頭の黒死病流行のことが頭から離れない。妻は夫を棄て、夫は妻を棄て、親は子を棄て、子は親を棄て、兄弟姉妹もお互いを知らない人のように遠ざけ、訪問したり面倒をみたりするのを止めた。患者に近づくと感染するという経験から、家族は看病をやめて患者を放置するようになったのだ。放置された患者は孤独のなかで悶え苦しみ、そして息をひきとる。死体は門前に棄てられ、それを死体運搬人が回収した。死者が膨大な数になると従来の墓場では足りなくなり、町の郊外に大きな穴を堀り、そこに死体を投げ込んだ。瀕死の患者も死体として処理され、穴の中にはまだ息をしている瀕死の患者も数多く埋められていた。患者に近づきたくないために、死を判断することすら躊躇われたのだ。墓場に生き埋めにされた患者は、多くの死体に囲まれながら息を引き取ったのだ。
人は死ぬ。ほとんどの人がベッドや畳の上で死ぬのだと思ってきたけれど、多くの人が戦争や災害や疫病や不慮の事故で死ぬ。硫黄島で敵軍の火炎放射器で死ぬのはさぞ悔しかっただろう。広島や長崎で原子爆弾がなにかも知らず死んでいった人たちは苦しかっただろう。東京大空襲で火のなかで行き場を失った人たちはなにを思っただろう。東北で津波にのまれて流された人たちは怖かっただろう。そのような死を思うとき、病院のベッドの上で死ねるなら、それはそれで恵まれているのではないかと感じてしまう。いつものベッドやいつもの布団で死ぬのがいちばんいいのかもしれないけれど、誰でもがそうやって死ねるわけではない。

山折哲雄

時々、医者の会議に招かれ、講演させていただくのですが、そういうときに言っているのは、「そろそろ尊厳死・安楽死をちゃんと現代医学側の問題として、医療の方法としてきちんとそれを議論し、受け入れることを考えてください」と。
そうしたら、それに賛成する意見も多少は出てくるのですけれども、しかし、ある医師会出身の議員が最後に、「法律の壁を崩すことはできませんよ」と断言されたんですね。日本の医学、病院の動きを見ていると、やっぱりそう。シンポジウムのテーマにすらできないんです。尊厳死・安楽死の問題はタブーなんですね。
医学界に次ぐ抵抗勢力は仏教界です。僕はお寺さんとは付き合いがあるから、言うんですよ。「あなた方ね、一番今大事なのは、臨終行儀だ。死にゆく者に死をどう受け入れてもらうか。これを積極的にやってもらわないと、人間最期の重要課題が暗礁にのりあげてしまいますよ」と言っているんです。
しかし、実際は死んでお葬式の場になって初めて僧侶が出てくる。本来、病院で亡くなろうとしている人間の近くで僧侶が寄り添い、そこできちんと引導を渡さなければと思うんですが、この社会ではなかなかそうはならない。病院に僧侶が入って読経なんかしたら、たちまちつまみ出されてしまうのがオチですね。
老後、自分で自分の身を処するという考え方は当然出てきます。そこで、「断食」という手法があるということを僕は以前からいってきた。家族や共同体に必要以上の迷惑を掛けないということもあるけれども、自分で自分の食のコントロールをして、最後は食を断って死んでいく。実はこの断食を死の入り口とする人が、戦後間もないころまでは結構、多かったんです。これは仏教の伝統にもあったということにもよっている。そしてそれは、場合によっては逆説的に健康を回復させ生命を蘇らせることもある。自分の決断において、生から撤退するという決断です。断食というのは、ぎりぎりのところで生まれ変わるという再生の契機でもあります。

佐藤由美子

・・・実際、死ぬときはみんなひとりだ。たとえ側に誰かがいたとしても、私たちはひとりで生まれてきて、ひとりで死んでいく。
 とはいえ、孤独を感じる患者さんが多いという現実は確かにある。しかも、家族と一緒に住んでいても、病院や施設でたくさんの人に囲まれていても、だ。これはなぜなのだろうか?
 あなたには、こんな経験があるかもしれない。都会の人の群れの中で急にひとりぼっちだと感じたり、パーティーで楽しそうに談笑する人の輪になかなか溶け込めないと感じたりする。周りに人はいるのに、つながりを持つことができない。誰も自分を理解してくれないし、受け入れてくれない。末期の患者さんにも、そのような孤独感を抱く人がたくさんいるのだ。
 何も周りの人は患者さんに意地悪でそうしているわけではないし、そうしているという実感さえないだろう。あなただってそのはずだ。では、何が問題なのかと言えば、ただ単に、私たちは死を迎える人の心がわからないのである。患者さんだって自分の気持ちをうまく表現できないことが多いし、なかなか心を開かない人もいる。こうして、患者さんと周囲との関係には、すき間ができていくのだ。
 何より、最も大きな原因は、私たちには「死」について教えてくれる人が誰もいなかった、ということだろう。昔は死がもっと身近にあり、病気の人に接することも頻繁にあった。だが、今やたいていの死が病院で起こるので、医療者でも限り、一般の人が死を目のあたりにすることは、一生のうちで数えるほどしかない。ほとんどの病院では、死期が近づいた患者さんは個室へと移される。本人とご家族のためという理由もあるが、むしろこれは、他の患者さんを動揺させないための措置だ。このように日本では、多くの人が死を迎える病院においてさえも、死が遠くに追いやられているのである

葛飾北斎

 

己六才より物の形状を写の癖ありて

半百の此より

数々画図を顕すといえども

七十年前画く所は実に

 

取るに足ものなし

七十三才にして稍

禽獣虫魚の骨格草木の出生を

悟し得たり故に

八十六才にしては益々進み

 

九十才にして猶其奥意を極め

一百歳にして正に神妙ならん

与欠百有十歳にしては

一点一格にして生るがごとく

 

ならん

願くば長寿の君子予言の

妄ならざるを見たまふべし

 

画狂老人卍述

五木寛之

60歳から90歳までの30年間は、いや応なく生きなければいけない時代です。今までの延長でなく、別の人生が始まると考えねばならない。世代で三つに分けると、学生・若者、壮年の勤労者、そして60〜90歳の第3の世代とに分けられる。第3の世代は、まず経済的に若者・壮年の世代に負担をかけないように生きることを目指す。若い人は若い人で頑張って生きてくれ、こっちはこっちで生きていくからと。
金のことじゃないですよ。全然違う。カルチャーが変わる、変える。生活を単純化、簡素化するんです。おいしいものをたくさん食べるグルメ生活は、もう第1、第2世代に任せて、違う喜びを見いだす。食べるものも着るものももっと簡素化する。社会的な付き合い、社交もいらない。
今までの社会では、人間は等しく同じように語られてきた。読んだらいい本、聞いたらいい音楽、学ぶべき哲学など人間一般論として画一的に語られてきた。でも、健康法でも大人一般の健康法などあるわけないし、血圧にもすべての世代に通じる標準数値などあるわけがない。一般化しちゃいけないんです。

イザベラ・ディオニシオ

ボッカチオの作品の中で、いちばん有名なのは『デカメロン(10日物語)』だ。これは、女性7人と男性3人の若者が、ペストが蔓延する都市から離れて郊外にある別荘に籠り、1日に1人ずつ10の物語を話して10日間語り合うというリレー小説である。
「Umana cosa è avere compassione degli afflitti (苦しむ人を思いやることをできるのは、人間だけだ)」という言葉で始まる『デカメロン』は、単に娯楽のために書かれた作品にとどまらず、恐怖や偏見に満ちた陰気な空気への反動であり、生命力にあふれる社会を再構築するために織りなされている物語として成り立っている。
高尚なところが何ひとつなく、すべての話が当時の日常に根を下ろしている。世俗に生きている人々が非常にリアルに描かれ、ルネサンスの理念である「人間中心の精神」が文学を通して見事に実現されている。
この作品を通じて、ボッカチオが最も伝えたかった2つのテーマを改めて紹介しよう。1つは、どんなに苦しくても、どんなに不安でも、どんなに窮地に陥っても、それはいずれ終わる、ということ。もう1つは、この作品の読者として想定されている淑女の皆様に向けたもので、いかなる場合でも愛を諦めない、ということだ。
他人に対する思いやりを忘れないことと愛すること、平常心を保つことと希望を持つこと、ボッカチオがつづったその教訓がなるべく多くの人々に届いてほしい。

中国新聞

新型コロナウイルスの感染拡大で経済が停滞し、収入が減ったシングルマザーたちが悲鳴を上げている。厚生労働省の調査によると、母子世帯の平均年間就労収入は200万円。多くがぎりぎりの生活を送る中、減収に加えて休校に伴う昼食代や学習費など支出が増え、あすをどうするか立ちすくむ。
子どもにはシングルマザーを理由に不自由な思いをさせまいと努めてきたが、小学生の長女は現状を察しているようだ。肉、野菜とバランスを考えた料理を出すと「毎日、ご飯頑張らんでいいよ」と言ってくれる。「節約していいよ」のメッセージ。その優しさがうれしい半面、親としての情けなさもこみ上げる。夜、子どもたちの寝顔を見ながら不安になる。「これから、どうしよう…」

予防衛生協会

ウイルスは地球上に30億年前には出現していたと考えられています。地球が生まれたのは46億年前です。最初に原核生物である細菌が生まれ、ついで植物、動物などの真核生物へと進化してきました。
ウイルスは地球上に現れた最初の生命体という見解があります。46億年前に地球が誕生し、最初に生命の情報を持ったRNAが出現しました。この時代はRNAワールドと呼ばれていますが、これが5億年くらい続いたのちにDNAが出現しました。遺伝情報としてRNAを持つものはウイルスだけです。そこで、ウイルスはRNAワールドの遺物であって、それからDNAが生まれ、さらに原核生物である細菌、ついで真核生物の植物、動物が生まれたという見解です。これが正しければ、すべての生物の最初の祖先はウイルスということになります。もちろん、この見解には反論もあります。
次に、ウイルスは進化の原動力になってきたという見解です。ウイルスは遺伝子をほかの生物に運ぶ能力を持っています。遺伝子治療はその性質を利用したものです。進化の過程を見ると、単なる変異では説明できない大きな変化が時折、起きています。これはウイルスが新しい遺伝子を運び込んだことによると考えるのが妥当です。
人の妊娠維持に役立っている側面は、先ほどお話しした内在性レトロウイルスで見いだされています。
さらに大きな視点では、ウイルスは地球環境での生態系の調節にかかわっているという側面が指摘されはじめています。そのひとつに、海水中で植物プランクトンが植物ウイルスにより溶解されることが温室効果ガスの放出の引き金になっている可能性があげられています。海は有機性炭酸ガスの最大の貯蔵庫になっていますが、このガスの蓄積の原因のひとつとして、植物ウイルスによる植物プランクトンの溶解が考えられています。
私たちはウイルスと共に生きているということを改めて認識する必要があると思います。

東亜日報

「自分の力では生きることができず、周りの環境を利用して繁殖する非細胞性生命体」
ウイルスを一言でいうなら、このように定義することができる。細胞ではないが、遺伝情報を持っている。人間や細菌、ミカンの木、カビなど、地球上のほぼすべての生物を利用してひっきりなしに自分を複製していくことができる。生命体とみなすことができるのだ。
そもそもウイルスとはどこでどのように生まれてきたのだろう。専門家たちは遺伝情報の分析結果に基づき、大きく3つの仮説を立てた。

  • 細胞退化説: 正常な細胞が退化してゲノムと外皮たんぱく質が残り、ウイルスになった。
    天然痘を引き起こすポックスウイルスと、帯状疱疹を引き起こすヘルペスウイルスのゲノムが人間のような二本鎖DNAになっている上、80〜100個の遺伝子があるということが、主な根拠として挙げられる。
  • 細胞脱出説: 細胞ゲノムの一部が細胞を脱し、自己複製と外部環境の変化に応じて自らを保護するために必要な外皮を作るたんぱく質を得て、ウイルスが誕生した。
    人間に小児マヒを引き起こすポリオウイルス、大豆と植物を宿主とするコモウイルス、蚊と哺乳動物を行き来するシンドビスウイルスなどは、宿主と活動領域が完全に違うように見える。しかしこれらのゲノムは、細胞の中にある伝令RNA(mRNA)と構造が酷似していることが、細胞脱出説を支持する根拠となっている。
  • 独立起源説: ウイルスと細胞がそれぞれ独立的に出発し、お互いの進化に影響しながら現在に至った。
    例えば、レトロウイルスは例外なく、RNAの遺伝子情報をDNAに転写する「逆転写酵素」遺伝子を持っている。現存する細胞性生物では、逆転写酵素の活動は極めて限られている。レトロウイルスの親戚に当たるレトロトランスポゾンに由来したケースがほとんどだ。

Reginald H. Garrett, Charles M. Grisham

The virus life cycle.
Viruses are mobile bits of genetic information encapsulated in a protein coat. The genetic material can be either DNA or RNA. Once this genetic material gains entry to its host cell, it takes over the host machinery for macromolecular synthesis and subverts it to the synthesis of viral-specific nucleic acids and proteins. These virus components are then assembled into mature virus particles that are released from the cell. Often, this parasitic cycle of virus infection leads to cell death and disease.

James Gallagher

The world is shutting down. Places that were once teeming with the hustle and bustle of daily life have become ghost-towns with massive restrictions put on our lives – from lockdowns and school closures to travel restrictions and bans on mass gatherings.
There are essentially three ways out of this mess.
 ・vaccination – at least 12-18 months away
 ・enough people develop immunity through infection – at least two years away
 ・or permanently change our behaviour/society – no clear endpoint

三島由紀夫

この本は私が今までそこに住んでゐた死の領域へ遺さうとする遺書だ。この本を書くことは私にとつて裏返しの自殺だ。飛込自殺を映画にとつてフィルムを逆にまはすと、猛烈な速度で谷底から崖の上へ自殺者が飛び上つて生き返る。この本を書くことによつて私が試みたのは、さういふ生の回復術である。

Steven Pinker

(“Why should I live?”)
In the very act of asking that question, you are seeking reasons for your convictions, and so you are committed to reason as the means to discover and justify what is important to you. And there are so many reasons to live!
  As a sentient being, you have the potential to flourish. You can refine your faculty of reason itself by learning and debating. You can seek explanations of the natural world through science, and insight into the human condition through the arts and humanities. You can make the most of your capacity for pleasure and satisfaction, which allowed your ancestors to thrive and thereby allowed you to exist. You can appreciate the beauty and richness of the natural and cultural world. As the heir to billions of years of life perpetuating itself, you can perpetuate life in turn. You have been endowed with a sense of sympathy—the ability to like, love, respect, help, and show kindness—and you can enjoy the gift of mutual benevolence with friends, family, and colleagues.
  And because reason tells you that none of this is particular to you, you have the responsibility to provide to others what you expect for yourself. You can foster the welfare of other sentient beings by enhancing life, health, knowledge, freedom, abundance, safety, beauty, and peace. History shows that when we sympathize with others and apply our ingenuity to improving the human condition, we can make progress in doing so, and you can help to continue that progress.

柏耕一

ガス管工事会社専従の若い同僚が、「警備員のことなんて書くことがあるんですか。第一、面白い話なんてないでしょう」と疑問を呈していたが、私はこう答えたものだ。
「それがたくさんあるんだ。なぜなら交通誘導員は一般的に毎日依頼先も現場も同僚警備員も違うからね。近隣住民やドライバーにもさまざまな人がいる。年齢も違えば多様な価値観を持つ人間の集まるところにはドラマが生まれる。私はそれを体験し見聞きしてきたから、面白くないはずがない」と。

Peter Wohlleben

Plants communicate through complex and varied systems.
According to the dictionary definition, language is what people use when we talk to each other. Looked at this way, we are the only beings who can use language, because the concept is limited to our species. But wouldn’t it be interesting to know whether trees can also talk to each other? But how? They definitely don’t produce sounds, so there’s nothing we can hear. Branches creak as they rub against one another and leaves rustle, but these sounds are caused by the wind and the tree has no control over them. Trees, it turns out, have a completely different way of communicating: they use scent.

稲垣栄洋

空が見えない最期 ── セミ
子に身を捧ぐ生涯 ── ハサミムシ
母なる川で循環していく命 ── サケ
子を想い命がけの侵入と脱出 ── アカイエカ
三億年命をつないできたつわもの ── カゲロウ
メスに食われながらも交尾をやめないオス ── カマキリ
交尾に明け暮れ、死す ── アンテキヌス
メスに寄生し、放精後はメスに吸収されるオス ── チョウチンアンコウ
生涯一度きりの交接と子への愛 ── タコ
無数の卵の死の上に在る生魚 ── マンボウ
生きていることが生きがい ── クラゲ
海と陸の危険に満ちた一生 ── ウミガメ
深海のメスのカニはなぜ冷たい海に向かったか ── イエティクラブ
太古より海底に降り注ぐプランクトンの遺骸 ── マリンスノー
餌にたどりつくまでの長く危険な道のり アリ
卵を産めなくなった女王アリの最期 ── シロアリ
戦うために生まれてきた永遠の幼虫 ── 兵隊アブラムシ
冬を前に現れ、冬とともに死す“雪虫” ── ワタアブラムシ
老化しない奇妙な生き物 ── ハダカデバネズミ
花の蜜集めは晩年に課された危険な任務 ── ミツバチ
なぜ危険を顧みず道路を横切るのか ── ヒキガエル
巣を出ることなく生涯を閉じるメス ── ミノムシ(オオミノガ)
クモの巣に餌がかかるのをただただ待つ ── ジョロウグモ
草食動物も肉食動物も最後は肉に ── シマウマとライオン
出荷までの四、五〇日間 ── ニワトリ
実験室で閉じる生涯 ── ネズミ
ヒトを必要としたオオカミの子孫の今 ── イヌ
かつては神とされた獣たちの終焉 ── ニホンオオカミ
死を悼む動物なのか ── ゾウ

松島頼子, 近藤正臣

 滋賀出身の母は死について話すのが好きだった。「私が死んだらな、お墓はいらん。お骨は砕いて小さいかけら一つ残しといてや。あとは比叡おろしの吹く日に琵琶湖の見えるところからお酒と一緒にビヤーッとまいて…」
 母の死後、近藤さんは言われた通りにした。ただ一つ残したお骨のかけらは八幡の家の山桜の下に眠る。「ぼくも母と同じ。お葬式もお墓もいらん。あなたも死ぬ、ぼくも死ぬ。誰でも必ず死ぬんやから、それを受け止めて、今あるもんで楽しむ。なんや、お坊さんみたいやな」。こう言って、近藤さんはほほ笑んだ。

村岡恵理

岩谷さんは卒業後4年ほど、就職もせず結婚もせず、宝塚の『歌劇』などに投稿を続けて浪人生活を送りますが、その時間には、読書をはじめとする膨大なインプットがありました。そしてついに宝塚出版部から編集部員として誘われますが、そこで運命が変わりました。当時の宝塚の生徒さんたちは、必ずしも裕福な家庭のお嬢さんばかりではなくて、たとえばコーちゃん(越路吹雪の愛称)と同期の音羽信子さんも、家庭に事情があった苦労人で、家族を養ったり、何かを背負っている人も多かった。戦争が激しくなればなるほど、お嬢様でお稽古事の延長みたいな感じでやっていた人たちは、もう続けられないと故郷に帰っていく。それでも舞台の夢が捨てられない人たちだけが残っていったのです。実際、戦争で、450人いたジェンヌたちが三分の一くらいになっちゃうんです。その中で残ったのが淡島千景さんや久慈あさみさんであり春日野八千代さん。コーちゃんもやめそうになるんですけれど、なんとか留まりました。岩谷さんもしかりです。そんな若い女性たちが、宝塚には羽根を寄せ合っていた。ひとりぼっちでは越えられないものが、一緒だったから夢を捨てずに越えられたんですね。越路さんは結局岩谷さんの実家にもう一人の子どものように身を寄せて、2人は戦争を経てお互いに運命共同体となっていったんです。

Jerry Toner

Introduction  
Chapter I
Chapter II
Chapter III
Chapter IV
Chapter V
Chapter VI
Chapter VII
Chapter VIII
Chapter IX
Chapter X
Chapter XI
Epilogue
Be the Master
How to Buy a Slave
Getting the Best from Your Slaves
Sex and Slaves
What Makes a Good Slave?
The Punishment of Slaves
When Only Torture Will Do
Fun and Games
Remember Spartacus!
Setting Slaves Free
The Problem with Freedmen
Christians and Their Slaves
Farewell!

一田憲子

きれい好きの人は、「気がついたときに」掃除ができます。でも、ズボラな人は、「決めごと」をしないと「キレイ」をキープできないのです。さらにどんなに「決めごと」をしても、それを「意志」や「やる気」で続けようとしても無理!唯一の方法が、暮らしの中で無意識に続けられる「流れ」に組み込むこと。それが、自分にとって自然な流れであれば、「できない」が「できる」にくるりとひっくり返ります。私にとって、家事の楽しさは、くるりと回ってずぼらを抜け出し変身する快感を味わうことなのかもしれないなぁと思います。

FMD検査.jp

日本人の死因トップ3は、
人口動態統計の概況

1位 悪性新生物 :29%
2位 心疾患   :16%
3位 脳血管疾患 : 8%

ここで「心疾患」と「脳血管疾患」は共に血管障害からの病なのです。そうなのです、血管障害が 悪性新生物(癌)にも匹敵する死因となっているのです。

Wikipedia

老化とは、生物学的には時間の経過とともに生物の個体に起こる変化。その中でも特に生物が死に至るまでの間に起こる機能低下やその過程を指す。
学術分野では発生、成熟、老化などを含めた生物の時間変化すべてを含む言葉として「老化」を用いる。例えば、樹木の葉が加齢と共に黄色くなってやがて落ちるのも、同じく樹木が発芽してからの生長するに従って、挿し木時の発根や成長程度が悪くなるのも、動物が生まれてから時間が経つに従って、活動性が低くなりやがて死に至るのも「老化」、と表現されるが、その起こっている事象は全く別であると考えられており、混同すべきではない。

Aging or ageing is the process of becoming older. The term refers especially to human beings, many animals, and fungi, whereas for example bacteria, perennial plants and some simple animals are potentially biologically immortal. In the broader sense, aging can refer to single cells within an organism which have ceased dividing (cellular senescence) or to the population of a species (population ageing).
In humans, aging represents the accumulation of changes in a human being over time, encompassing physical, psychological, and social changes. Reaction time, for example, may slow with age, while knowledge of world events and wisdom may expand. Aging is among the greatest known risk factors for most human diseases: of the roughly 150,000 people who die each day across the globe, about two thirds die from age-related causes.
The causes of aging are uncertain; current theories are assigned to the damage concept, whereby the accumulation of damage (such as DNA oxidation) may cause biological systems to fail, or to the programmed aging concept, whereby internal processes (such as DNA methylation) may cause aging. Programmed aging should not be confused with programmed cell death (apoptosis).
In 1934, it was discovered that calorie restriction can extend lifespan by 50% in rats and this has motivated research into delaying and preventing aging.

Steven P. R. Rose

All alive. All making their individual and collective ways in the world, cooperating, competing, avoiding, living with, living off, interdependent. All the present-day products of some four billion years of evolution, of the continued working-out of the great natural experiments that the physical and chemical conditions of planet Earth have made possible, perhaps inevitable. For every organism, a lifeline — its own unique trajectory in time and space, from birth to death.

ドリアン助川

たとえ、障害があっても、たとえ短い命でも、たとえ隔離されていた人生だったとしても、どんな人にだって生まれてきた意味があるんです。社会で何をやったとか、いくら稼いだとか、そんなことはとても小さな物事の捉え方でしかない。でも現代社会は、雑誌でもテレビでも、「どう儲けるか」とか「時間はこう使おう」とか、能動的であることを推奨しています。でも、人生に意味を見出すときに、必ずしも能動的である必要はないと思うんです。「自分がアンテナになって、この世をまず受け止めてみる」、そんな受け身になることで人生の意味をかえって見いだすことができます。この世の聞こえない言葉を「聞く」ことこそ、本当に豊かな生き方ではないでしょうか。

Umair Haque

Thrownness. There are three aspects to it that I’m always struck by. The first is mortality. We’re born, we die. But human mortality is special. We know we’re going to die. And so our whole lives, as Freud pointed out — and then tried to forget, ironically, himself — are prefigured on an escape from this knowledge of our mortality.
The second is our loneliness. We’re alone. Each and every one of us. There is a uncrossable river between us. I will never know you in the most intimate way — no matter how close our bodies touch — because your “interiority”, as Derrida would later put it, your inner world, is yours and yours alone. The most that we can do is to use art, literature, song, fashion — all the many forms of self-expression — to communicate it.
And third is our helplessness. We’re powerless, in even the most basic ways, to not be who we are. Consider that we have these strange things called emotions. We don’t often like them — we try our best to block and stop and ignore them. But there they are, simmering, boiling, surging, just beneath the surface of our rational minds. Things make us feel. Everything makes us feel. Have you ever noticed? Every single things makes us feel. A river. A tree. A mountain. An empty and desolate parking lot. The ashes of a fire. We call ourselves “homo sapiens” — but that’s a grossly inaccurate description. We feel before we think, and we feel constantly. Feeling is a beautiful ache that we either learn to appreciate and love — or hate and run away from.

辻潤

とに角僕は時代精神の潮流に押し流されながら、色々の本を乱読した――文学の書物も勿論好きではあったが、哲学めいた本の方に興味があった――しかし、その頃は今から見ると所謂単純だったから、「こんどこそあの本を読んで、ほんとうに『真理』というようなものを、ハッキリ把みたい、『宇宙の謎』というようなものを少しでもいいから解決してみたい」? などとそんなことを真剣に考えて読んだものだが――どんな本を読んでみても自分の頭がわるいせいか結局、なんにもわからないということだけしきゃわからなかった。
しかし、僕のような人間にとっては、自分の人生に対する態度がハッキリ定まらない間はなに一ツやる気にはなれないのである。そして結局、自分の心の根本的態度が動揺しているのだから、なに一つ出来よう筈がない。なんとか早くきまりをつけたいものだとそればかりを気にして暮らしてきたのである。
つまり、僕はスチルネルを読んで初めて、自分の態度がきまったのだ。ポーズが出来たわけだ。

Zat Rana

Life is ultimately a single-player game, but the only thing that truly makes it worth living has something to do with our relationships to other people, and this paradox sits at the core what it means to be a human being.

Life is problem-solving — and it’s full of problems nobody else can solve for us because they are internal problems that require a change in perception. Others can help, guide, and encourage us, but at its core, the game is still only ours to play.

後閑愛実

見舞いに来た家族が穏やかな会話をしている中で、息を引き取った瞬間が分からないくらい自然に眠るように亡くなった九十歳くらいの男性がいました。一週間ほど前まで普通にご飯を食べていましたが、だんだん眠る時間が長くなって。意識はないけれど、家族が来ると穏やかな顔になる。死の間際によくある張り詰めた空気でなく、毎日家族が見舞いに来てベッドわきで話を交わしている日常の中で亡くなったのは、自然でいいなと思いました。

岡野八代

一対の男女の関係が社会の基盤になっているのはいびつだし、歴史的には特殊な在り方だと思います。夫・妻とそこに生まれた子どもで閉じた家族モデルが日本で一般的になったのは一九五〇年代半ばから。家事や育児は女性に無償の労働を強い、その裏返しとして男性は長時間労働を余儀なくされた。日本はそのひずみを是正するどころか、ある種のイデオロギーとして近代家族の価値を押し付け、そこから外れる人たちをバッシングしてきた。
カップル至上主義は日本の現実に合っていません。統計上、日本の世帯は単身世帯が一番多い。多くは高齢者ですが、結婚しなかった独身者も増えています。そのときに性愛だけの結び付きが家族を形成するというモデルでいいのか。単身者が互いに支え合い、共同で暮らす形態も家族と認め、法的にも担保すべきではないでしょうか。

Elsa Schiaparelli

  1. Since most women do not know themselves, they should try to do so.
  2. A woman who buys an expensive dress and changes it, often with disastrous result, is extravagant and foolish.
  3. Most women (and men) are colour-blind. They should ask for suggestions.
  4. Remember, 20 percent of women have inferiority complexes, 70 percent have illusions.
  5. Ninety percent are afraid of being conspicuous, and of what people will say. So they buy a gray suit. They should dare to be different.
  6. Women should listen and ask for competent criticism and advice.
  7. They should choose their clothes alone or in the company of a man.
  8. They should never shop with another woman, who sometimes consciously, and often unconsciously, is apt to be jealous.
  9. She should buy little and only of the best or the cheapest.
  10. Never fit a dress to the body, but train the body to fit the dress.
  11. A woman should buy mostly in one place where she is known and respected, and not rush around trying every new fad.
  12. And she should pay her bills.

Piyush Kamal

Extreme of self-control in the name of self-discipline is nothing but self-denial. The preference of our choices colored in all sorts of judgments just reinforce a model of success that has self-denial at its core.
We often identify a ‘healthy’ standard to measure ourselves against. Measuring ourselves against this impossible ideal, we end up being prisoner of self-discipline in the name of self-improvement.
A better school to get admission into a better college. Better grades to get a better job. A socially accepted successful life to attract a better life partner. And the story just goes on and on.
The market wants us to compete endlessly for everything. We are expected to be more disciplined so that so we can retain that competitive edge over our peers.
What we often witness is the monopoly of one body type, one look in the name of fashion, one job profile, one prescription for financial success, one model of good life, one model of the family vacation, and model of an early retired life. It’s so monotonous that it’s plain & boring. It’s an unfortunate sign of lack of imagination.

George Lakoff, Mark Johnson

Metaphor is for most people a device of the poetic imagination and the rhetorical flourish – a matter of extraordinary rather than ordinary language. Moreover, metaphor is typically viewed as characteristic of language alone, a matter of words rather than thought or action. For this reason, most people think they can get along perfectly well without metaphor. We have found, on the contrary, that metaphor is pervasive in everyday life, not just in language but in thought and action. Our ordinary conceptual system, in terms of which we both think and act, is fundamentally metaphorical in nature.

夏目漱石

世の中にすきな人は段々なくなります
さうして天と地と草と木が美しく見えてきます
ことに此頃の春の光は甚だ好いのです
私は夫をたよりに生きてゐます

Odin Halvorson

You’ve heard it all before: hard work is good for you. The people who don’t work are lazy. Poor people don’t work because they’d rather do drugs and fornicate with themselves. The only way to get someplace in life is through long, pitiless, difficult labor. No pain, no gain.
But is any of this really true? It strikes me as fascinating that, throughout history, the wealthy (the idle elite), the landowners, and the aristocrats, have all campaigned for the idea that hard work is morally-good; you work hard and you’re going to get into heaven. Having money, being able to spend a significant portion of your life in leisure? Well, that’s very clearly undesirable — nobody who spends their time enjoying the idle nature of life could possibly be considered righteous. How interesting, that this mode of thought for so long gave people a sense of pride in their honest labor, despite the fact that such labor existed (and exists) entirely to support the supposedly immoral leisure time of the self-same elite who promote these messages.

池永チャールストーマス

間の子ゆえに板ばさみの中で歪んでしまったのかとお考えならば否定します。それは関係のないことです。ただ私の人となりゆえに引き起こした事件であります。

安田洋祐

子どもへの定番の質問として、「将来なりたい職業はなんですか」というものがありますね。野球選手とか、消防士とか、どれかひとつだけを挙げてもらうのがいまは一般的です。ですが、将来なりたい職業を複数回答して、長い人生の中で、ひとつだけでなくいくつかを実現するのが当たり前、という時代が来るかもしれません。
あれもやりたい、これもやりたい、という子どもの好奇心をつぶして、「適性」にあわせてどれかひとつに絞り込んで集中させるようなことをせず、「あれができたから、次はこれをしようか」と、バランス良く一歩ずつステップアップさせていくことが、今まで以上に大事になってきます。