井上靖が言ったこと

井上靖が
  努力する人は希望を語り
  怠ける人は不満を語る

と言ったそうだが 実際には
  努力する人ほど不満を語り
  怠ける人ほど希望を語る
ということのほうが 多いのではないか

努力は報われると思われている社会では
報われない人は
努力が足らないということになる

努力は報われないと思われている社会では
報われない人が
どうこう言われることはない

努力するのは いいことで
怠けるのは 悪いことだろうか
希望を語るのは いいことで
不満を語るのは 悪いことだろうか

努力する人ほど報われることを望み
報われなければ不満を語る
怠ける人ほど 夢見がちで
将来の希望ばかり語る

どちらがいいと
いうものではない

내일(明日)

ほとんどの人は
誤った選択を後悔するけど
結局は忘れるものよ
でもたまに
ずっと縛られたままの人もいる
忘れられず
夢にも出てくるの
取り返しがつかないのに

Jay Caspian Kang

We might not be able to stop car manufacturers from installing these increasingly gigantic screens, but I would like to present a solution to the only real “problem” that these giant screens solved: How do you watch your maps app while driving? Buy one of those $9 stands that affixes itself to the dashboard of your car and put your phone in it. That way, you can turn on your maps app while driving and keep it at eye level.

Anne Applebaum

So much of what we imagine to be new is old; so many of the seemingly novel illnesses that afflict modern society are really just resurgent cancers, diagnosed and described long ago. Autocrats have risen before; they have used mass violence before; they have broken the laws of war before.

Boris Vian

Ce qui m’intéresse, ce n’est pas le bonheur de tous les hommes, c’est celui de chacun.

**

Dans la vie, l’essentiel est de porter sur tout des jugements à priori. Il apparaît, en effet, que les masses ont tort, et les individus toujours raison. Il faut se garder d’en déduire des règles de conduite : elles ne doivent pas avoir besoin d’être formulées pour qu’on les suive. Il y a seulement deux choses : c’est l’amour, de toutes les façons, avec des jolies filles, et la musique de la Nouvelle-Orléans ou de Duke Ellington. Le reste devrait disparaître, car le reste est laid, et les quelques pages de démonstration qui suivent tirent toute leur force du fait que l’histoire est entièrement vraie, puisque je l’ai imaginée d’un bout à l’autre. Sa réalisation matérielle proprement dite consiste essentiellement en une projection de la réalité, en atmosphère biaise et chauffée, sur un plan de référence irrégulièrement ondulé et présentant de la distorsion. On le voit, c’est un procédé avouable, s’il en fut.

コピーライター

百年前の大阪の催しに
有名な文化人が招かれ
有名人目当ての人々が
髙島屋まで押し寄せた

与謝野晶子も招かれて
きものの歌を詠んだり
新しい染織物を見ては
色の名を考えたりした

髙島屋の宣伝のお蔭で
色の名は全国に広まり
気がつけば辞書にまで
載るようになっていた

百年経った今になって
与謝野晶子の 286色が
伝統色の表に紛れ込み
和の色として鎮座する

流行歌人の思いつきで
色に名前が付けられて
それが伝統色といわれ
みんながありがたがる

何百年か前の江戸でも
同じようなことがあり
呉服屋が付けた色名が
言葉の中に紛れ込んだ

今も事情は変わりなく
コピーライターが考え
横文字まで取り込んで
色の名は増えつづける

名を必要としない色は
天気で変わってしまい
季節で変わってしまい
何百何千もの顔を持つ

年月を経て渋くなって
主張を失った色たちが
色なんていうものから
解放され安らいでいる

色に名前はいらないと
少し前に言った口から
色の名がこぼれてくる
とても綺麗な色の名が

髙島屋

髙島屋呉服催事「百選会」は1913(大正2)年に創設され、当初から各方面より多くの文化人を招いて開催されました。毎回流行色とテーマを提示し、全国の産地から染織品の新柄募集を行い、髙島屋が審査発表する斬新でモダンなきもの催事として特に大正から昭和中期にかけて人気を博しました。
歌人与謝野晶子は「百選会」の顧問の一人として1917(大正6)年ごろから1940(昭和15)年までかかわり、流行色の命名や、百選会の「きもの」に対して歌を詠んでいました。与謝野晶子が詠んだ歌は、髙島屋のパンフレットに掲載されただけで、与謝野晶子の全集などに掲載されることはほとんどございませんでしたが、近年、関係者による調査が進められ、与謝野晶子が詠んだ詩歌は463首7編、流行色の命名は286色に及ぶことがわかりました。

喫茶店

喫茶ルーブル(立川)
タカセ洋菓子(池袋)
さぼうる(神保町)
喫茶フジ(新橋)
喫茶YOU(東銀座)
ピノキオ(大山)
トリアノン(高円寺)
珈琲家(東上野)
純喫茶珈琲美学(飯田橋)

セオ商事

ニューQ Issue02 エレガンス号

ファッションデザイナーである中里周子と哲学者・梶谷真司による「エレガンス」を読み解く巻頭特集や、アーティストの野村康生と「自然科学のエレガンス」を追う記事などを収録。

山田ズーニー

書くことは考えることだ。だから、書くために必要なことを、自分の頭で考える方法がわかれば、文章力は格段に進歩する。
では、あなたは暗記と応用ではなく、「自分の頭でものを考える方法」を習ったことがあるだろうか?
ある日私は、大学院生からこんなEメールをもらった。

アルバイトで受験生の個人指導をしていますが、彼らが、自主的に”考える”ことを放棄して、その結果、苦しんでいるように見えてしかたありません。学習のみにとどまらず、自己発見や進路についても。苦しんでいることを自覚していれば、まだ良いと思います。”なんとなく”生きている子たちこそ、いま受けている傷は深いのでは、と胸を痛めています。

何ごともあまり考えない、考えてないことにさえ気づかない人は、一見オメデタイ人のように思えるのだが、実は深く傷ついている。
「考えない」というのは、自然天然の状態ではなく、実は、不自由なことではないだろうか。

梶谷真司

AI(人工知能)について、私たちは、人間を超えるとか超えないと言って、恐れたり喜んだりします。そして人間の理解も制御も超えたAIが支配する世界に暗澹とした気分になり、あるいは、人間の生活に便利さと快適さをもたらすAIと共存する生活に心を躍らせます。
しかしそこで私たちが見ているのは、実はAIそのもののというより、AIについての私たちの“イメージ”であり、そこに映し出された私たち自身の姿なのです。
だからAIとの未来を考える時に重要なのは、私たちが人間をどのように理解し、どのような社会を作ろうとするのかです。

梶谷真司

生涯学習にせよ、養護施設での生活にせよ、高齢者は、自分でどうするかについて考える余地を与えられていない。医療関係者や福祉関係者が彼らに必要なものを考えて提供する。
しかし、高齢者自身の生き方が重要なら、当事者である彼ら自身が何をどうしたいのか発言をし、考える自由が与えられなければならず、また彼らはその自由を行使しなければならない。そうでなければ、学校教育と同じく、自分で自分の人生の帰結に責任をとることなどできない。人生の締めくくりの段階が、そんなことでいいのだろうか。

Dana Levin

Say Stop.

Keep your lips pressed together
after you say the p:

(soon they’ll try
to pry

your breath out—)

Whisper it
three times in a row:

Stop Stop Stop

In a hospital bed
like a curled-up fish, someone’s

gulping at air—

How should you apply
your breath?

List all of the people
you would like
to stop.

Who offers love,
who terror—

Write Stop.
Put a period at the end.

Decide if it’s a kiss
or a bullet.

錦見映理子

いま死んでもいいと思える夜ありて
        異常に白き終電に乗る

蜜満ちてゆくガーデニア・ガーデンを
        等圧線は取り囲み 雨

福島智朗

僕の心が 産まれた日は
君とわかり合えた あの日なんだよ
コピー&ペーストだったはずの 明日も明後日も
君と一緒なら 未来と呼びたくなったんだ

頷いてばかりで 生きづらいと嘆いて
涙脆くて 情けなくて 臆病な僕へ
君は「優しさ」っていう 名前をくれたね

Thomas Tuchel

(Chelsea boss Thomas Tuchel has clarified Andreas Christensen was not able to play in the FA Cup final as opposed to refusing to play.)

Andreas came in the morning of the match to speak to me and tell me he was not ready to play the match, start the match, or be on the bench.
He had his reasons; they stay private and confidential. But it was not the first time, as you can see over the last weeks that we had some of the same situations where he could not play so regularly.
We thought that we were in a good progression and development because he played very strong in the match before the final against Leeds, but a conversation took place, we had to respect it, we of course respected it.
I don’t think that he did not want to play, he was not able to. It’s a big difference.

文部科学省

各学校が定めることとされている総合的な探究の時間の目標については,上記により定められる学校の教育目標との関連を図り,生徒や学校,地域の実態に応じてふさわしい探究課題を設定することができるという総合的な探究の時間の特質が,各学校の教育目標の実現に生かされるようにしていくことが重要である。
以上のことを整理すると,各学校において教育目標を設定する際には,次のような点を踏まえることが重要となる。
(1)法律及び学習指導要領に定められた目的や目標を前提とするものであること。
(2)教育委員会の規則,方針等に従っていること。第3章教育課程の編成
(3)学校として育成を目指す資質・能力が明確であること。
(4)学校や地域の実態等に即したものであること。
(5)教育的価値が高く,継続的な実践が可能なものであること。
(6)評価が可能な具体性を有すること。

文部科学省

横断的・総合的な学習や探究的な学習を通して、自ら課題を見付け、自ら学び、自ら考え、主体的に判断し、よりよく問題を解決する資質や能力を育成するとともに、学び方やものの考え方を身に付け、問題の解決や探究活動に主体的、創造的、協同的に取り組む態度を育て、自己の生き方を考えることができるようにする。

沢野咲知子

「体育座り」は、『集団行動指導の手引』において、「姿勢」の項目の中で、「腰をおろして休む姿勢」として示されている。『集団行動指導の手引』が初めて作成されたのは、昭和40年である。この『集団行動指導の手びき』作成の背景は以下の通りである。戦後、教育における軍事色の一掃により戦前の「教練」が禁止される。それによって、学校現場には無秩序がもたらされ昭和21年に「秩序・行進・徒手体操実施に関する件」が出され、再び学校教育に、戦前の行動様式が取り入れられ始めることとなる。そして、昭和28年の学習指導要領で戦後はじめて「集団行動」ということばが取り上げられるが、ここでは行動様式の様式は規定されていなかったため、全国バラバラの集団行動が存在することとなる。そこで、「全国的に統一を」という要望にこたえて、文部省が昭和40年度版『集団行動指導の手びき』を作成した。しかし、ここに示されている行動様式は、戦前の行動様式とほとんど変わっていなかった。その原因は、集団行動の行動様式の方法や内容についての吟味が十分になされていなかったためではないだろうか、と考えられる。
その後、学習指導要領の改訂に伴い、昭和62年度版『体育(保健体育)科における集団行動指導の手引』では、これまで技能の内容として取り扱ってきたものを、態度の内容として位置づけた点、平成5年度版『体育(保健体育)における集団行動指導の手引(改訂版)』では、体育(保健体育)の教科においては、運動の学習との関連を図りながら、基本的な行動様式を体得させるようになった点、特別活動における集団行動指導が強調された点が改訂されたが、戦前とほとんど変わらない行動様式は、大きく変化していないということがいえる。また、『集団行動指導の手引』には、なぜ「体育座り」の姿勢なのか、ということの理由は示されていない。

박건호

현실도
꿈도 아닌
진공의 상태가 되어
빗소리를 듣는다.

빗소리를 듣는다는 것은
얼마나 반가운 일이냐.

言葉が見つからないときには 詩を読む
詩はいつでもそこにいて 静かに微笑んでいる

忘れているけれど 私たちは
誰もが音楽を奏で
誰もが音楽を聴き
誰もが教え
誰もが教わり
誰もが人を救い
誰もが人に救われ
誰もが詩を書き
誰もが詩を楽しむ

頬に当たった陽のひかり
こころに触れた草花の匂い
海の底に堆積した悲しみ
ひとりひとりが かくす想い
記憶を踏みしめて出来た道

言葉が見つからないときには 君を思う
君はいつでもそばにいて 静かに微笑んでいる

Joy Harjo

For me, poetry is a way to speak when you have no words.

There’s always a poem out there that can change your life.

We’re here. We’re poets, we’re jazz musicians, we’re teachers. We’re human beings.

Those moments that are the most terrifying, empowering, grief-filled, joy-filled, they are always accompanied by poetry.

慈雨

しっとり降る雨
どしゃ降りの雨

そぼ降る雨
遣らずの雨

にわか雨
篠突く雨

強い雨 弱い雨
暴風雨 日照雨
五月雨 小糠雨
天気雨 通り雨

煙雨 霧雨 細雨
小雨 大雨 雷雨
甘雨 鬼雨 喜雨
時雨 驟雨 宿雨
翠雨 梅雨 涙雨
白雨 麦雨 氷雨
春雨 秋雨 涼雨
緑雨 私雨 慈雨

そうだ 欲しかったのは
慈雨だ 恵みの雨だ

世界には 80億近い人がいて
そのひとりひとりが
人工的な国という枠組みに
組み込まれている

国というのは不思議なもので
1万7000人しかいないパラオも
825人しかいないバチカンも
ひとつの国

人口が14億人以上の中国や
やはり14億人以上のインドが
パラオやバチカンと
同じように扱われている

4億4500万人の EU のなかには
27ものメンバー国があり
6億3000万人の中南米には
33もの国がある

3億3500万人のアメリカ合衆国のなかには
50の州があるけれど ひとつの国で
1億4700万人のロシア連邦のなかには
85もの連邦構成主体があるけれど ひとつの国

英語を話す国が世界を動かしていて
アメリカ イギリス カナダ と
オーストラリア ニュージーランド の
4億7000万人が世界に大きな影響力を持っている

スウェーデン スイス オランダ といった
合理的で自己表現的な価値観の国もあれば
ザンビア ジンバブエ イエメンといった
伝統とか存続といった価値観の国もある

敵対していても 宗教や文化が似ている国は
お互いのことが よくわかり
仲良くしていても 価値観が異なる国が
お互いを 理解できるわけはない

国に縛らることを 不思議に思わず
自分と国とを 一体化してしまう人を
可哀想だとは 思わないけれど
自分と国とを結びつけることは 僕にはできない

Kyogo Furuhashi

GLASGOW, SCOTLAND – DECEMBER 19: Kyogo Furuhashi in action for Celtic during the Premier Sports Cup Final between Celtic and Hibernian at Hampden Park, on December 19, 2021, in Glasgow, Scotland. (Photo by Ross MacDonald/SNS Group via Getty Images)

Jakob Modéer

Building economic, social and political systems that generate maximum well-being for the population is not only a reflection of the populations’ collective beliefs, values and norms, but clearly values and norms are important, and to some extent dictate what type of economic, social and political systems can be built and sustained within a specific society. Of course, this is so because societies are mere reflections of the people that live there. Our individual actions and collective beliefs matter, we shape and form our own social, economic and political systems.

World Values Survey

Surveys conducted immediately before and after the outbreak of the Ukrainian invasion on 24 February report that the majority of ordinary Russians expressed support for the Ukrainian war and for President Putin. Overall, across the series of initial polls, a ‘silent majority’ – about 60% of Russian respondents – indicated that they endorsed the “special military operation” in Ukraine. History will ultimately decide how much of the blame for initiating the bloodshed rests on Vladimir Putin alone, as well as his Kremlin acolytes, and how much responsibility rests with the tacit acceptance of ordinary Russians. It is important to determine this issue morally, to assess culpability for the conflict, and legally, to prosecute potential war crimes. Understanding Putin’s soft power can also provide insights into the long-term consequences of the conflict for his leadership and for the future of both countries. State propaganda and fake news about Ukraine “shooting its own citizens in the Donbas region” started back in 2014 and since then has been increasing in its pace and volume. Even if many ordinary Russians are badly misinformed, however, the early polls may still capture authentic attitudes reflecting a silent majority at home supporting Putin’s actions, and thus represent the social construction of reality in modern Russia.

Buzzwords

Net zero
In July, United Nations secretary-general António Guterres said in a speech to Tsinghua University that there was “no excuse” for humanity to fail to limit global warming to 1.5ºC, which means the world must achieve net-zero emissions before 2050, and cut emissions by half by 2030. That speech, and the UN’s Race to Zero campaign, has prompted more than 100 countries and 1,500 companies worth US$11.4 trillion to make net-zero promises. Net zero has replaced carbon neutral as the more popular term.
Nature-based solutions
Talk about how to combat climate change and reduce greenhouse gas emissions by burning less fossil fuels has dominated conversations about how to avert planetary catastrophe, with little thought spared for environmental conservation — until 2020, when the business world started talking more about using natural ecosystems to curb emissions. In Singapore this year, a plan is hatching to use nature-based solutions to lay the foundations for a carbon credits market.
Carbonomics
In a year of net-zero targets, carbonomics was used in conversations about the cost of decarbonisation. Popular in environmental, social and governance investing circles, it was used this year by Bloomberg for its Future of Energy show and Goldman Sachs in its The Green Engine of Economic Recovery report.

Earth Charter International

The mission of Earth Charter International is to contribute to the transition to sustainable ways of living on the planet.

Our goals

  1. Raise awareness of the sustainability vision that is articulated in the Earth Charter and promote understanding of its inclusive ethical vision.
  2. Promote the adoption and use of the Earth Charter as an ethical reference and guide to be turned into action.
  3. Encourage and support the educational use of the Earth Charter.
  4. Promote the use of the Earth Charter as a soft law document.

Competence vs Competency

いずれもフランス語の competence が語源であるが、中英語期には competencecompetency という2つの単語に分岐し、それぞれの意味もかなり違ったようだ。近代になると、一般的な用途では、両者の意味にはほとんど違いがなくなったが、専門的な分野では使い分けられる。
competence については、やや古い用法であるが、「生活に困らない収入、十分に足りる量」といった意味もあり、法律分野では「法的な権限」などの意味がある。
ビジネス分野では、特定のことがらを行うための総合的な能力competence といい、「彼には情報収集の competence がある」といった使い方をする。それに対して、competency特定のことがらを行うための具体的な能力や特性をさし、competencies と複数で使われることも多く、competencies が集まって competence を形成することができるという定義もある。
一方で、別の定義では、competence は「決められたことを決められた通りに行うために必要とされる能力」を問題にするのに対して、competency は「何をどのようにやるべきかを見極め、それを成功させる能力」を表す。つまり、前者は「一般的に求められる十分な能力」であるのに対して、後者は「他との差別化につながる特性的な能力」でもあるとしている。
いずれにしろ、異なる定義があるため、これらの単語を使うときには、こちらの意図する定義を文書内のどこかで説明しておくなどの工夫が必要である。

Royal Society for Public Health, UK

What are the potential negative effects of social media on health?

Anxiety and depression
The unrealistic expectations set by social media may leave young people with feelings of self-consciousness, low self-esteem and the pursuit of perfectionism which can manifest as anxiety disorders. Use of social media, particularly operating more than one social media account simultaneously, has also been shown to be linked with symptoms of social anxiety.
Drawing on research findings it identifies the potential negative impacts of social media on health as: anxiety and depression, sleep, body image, cyber bullying and fear of missing out.
Sleep
Sleep and mental health are tightly linked. Poor mental health can lead to poor sleep and poor sleep can lead to states of poor mental health. Sleep is particularly important for teens and young adults due to this being a key time for development.
Numerous studies have shown that increased social media use has a significant association with poor sleep quality in young people.
Body image
Body image is an issue for many young people, both male and female, but particularly females in their teens and early twenties. As many as nine in 10 teenage girls say they are unhappy with their body.
There are 10 million new photographs uploaded to Facebook alone every hour, providing an almost endless potential for young women to be drawn into appearance-based comparisons whilst online. Studies have shown that when young girls and women in their teens and early twenties view Facebook for only a short period of time, body image concerns are higher compared to non-users.
Cyberbullying
Bullying during childhood is a major risk factor for a number of issues including mental health, education and social relationships, with long-lasting effects often carried right through to adulthood. The rise of social media has meant that children and young people are in almost constant contact with each other. The school day is filled with face-to-face interaction, and time at home is filled with contact through social media platforms. There is very little time spent uncontactable for today’s young people. While much of this interaction is positive, it also presents opportunities for bullies to continue their abuse even when not physically near an individual. The rise in popularity of instant messaging apps such as Snapchat and WhatsApp can also become a problem as they act as rapid vehicles for circulating bullying messages and spreading images.
Fear of Missing Out (FoMO)
The concept of the ‘Fear of Missing Out’ (FoMO) is a relatively new one and has grown rapidly in popular culture since the advent and rise in popularity of social media.

World Values Survey (WVS)


Project’s overall aim is to analyze people’s values, beliefs and norms in a comparative cross-national and over-time perspective. To reach this aim, project covers a broad scope of topics from the field of Sociology, Political Science, International Relations, Economics, Public Health, Demography, Anthropology, Social Psychology and etc. In addition, WVS is the only academic study which covers the whole scope of global variations, from very poor to very rich societies in all world’s main cultural zones.

三浦有史

SNSに上げられる情報の多くは「成功物語」であるため、時として見る人の劣等感を高める。英王立公衆衛生協会(RSPH)は、2017年5月、若者の多くがSNSを通じて不安感、孤独感、劣等感といった負の感情を抱くようになっているとした(RSPH[2017])。中国においても同様の変化が起こり、格差に対する許容度が低下したとしても不思議ではない。この問題は「内巻」や「横たわり」と同じく、共産党が指導する社会からの逸脱、あるいは、指導そのものの拒絶を意味し、共産党にとっては看過出来ない問題である。
この認識は急進的な考えを持つ左派団体のなかで広がり、共同富裕に反する対象や現象への批判を勢いづかせている。批判の対象は、当初は「資本の無秩序な拡大」といった曖昧なものであったが、次第に中性的な男性アイドルをもてはやす番組を制作するテレビ局、オンライン・ゲームを提供するテンセント、「独身の日」というイベントを作り上げたアリババ、そしてそれらを利用する若者といった具体的な組織や集団に向けられ、批判のトーンも強まりつつある。
批判は起業家にも向けられるようになっている。ミネラルウォーターの製造販売で2021年の長者番付で1位となった鍾睒睒氏は(図表21)、同年夏の河南省の洪水に際し2万箱のミネラルウォーターを寄付したものの、「多額の資産を有するわりに寄付が少ない」と揶揄された。図表21のリストに名前が載ることは成功者の証であったが、共同富裕によって寄付を募る「奉加帳」に変質するかもしれない。共同富裕が文革を想起させるのは、左派団体の主張が静かに社会に浸透していく薄気味悪さを多くの人が感じているからである。

安田峰俊

老北京の男はタフでハートフルだ。そして三度の食事よりも政治の話が好きである。郭は喋りながら 燕京ビールを何瓶も空け、蒸気機関車のようにぼうぼうとタバコの煙を吐いた。下町の食堂の石油ストーブの空気によく合う振る舞いだった。
「……ところで、君は 六四を知っているか?」
やがて、酔いも手伝って互いに打ち解けたころ、彼は唐突にこんなことを言い出した。
六四。もしくは八九六四。すなわち一九八九年六月四日に発生した六四天安門事件だ。中国の政治改革を要求した学生や市民のデモに対して、当時の中国共産党の最高指導者・ 鄧小平らが人民解放軍の投入を決定し、武力鎮圧をおこなった。公式発表でも三〇〇人以上、一般的な解釈では数千人から一万人以上の犠牲者が出たとされている。
「知っていますが、当時の私は小学二年生でしたから、リアルタイムの記憶はないんです」
「事件を知っている日本人は多いのかい?」
「新聞やテレビで、たまに特集が組まれています。世界史の教科書にも出てきます。名前くらいは知っている人は多いはずですよ」
郭は「そうなのか」としばらく黙り込んだ。
「……あの事件の話は中国ではタブーだ。おおやけの場で論じてはならない」
自分から話の口火を切っておいて「タブーだ」もないだろう。案の定、私が何も言わずにいると、彼は勝手に思い出話を語りはじめた。

安田峰俊

強力な習近平政権のもとで景気のいい新政策が唱えられたことで、経済・政治・軍事の各方面で中国の海外進出は加速し、世界における中国のプレゼンスは大幅に上昇した。中国の有償資金援助を受けた発展途上国が、いわゆる「債務の罠」に陥ったことも報じられているが、これらの当事者を含めて、多くの国で(日本人が想像するほどには)対中感情は悪化していない。
第三世界諸国を中心に、中国に強い好感を持つ国は少なからず存在した。大部分の先進国での評判も悪くなかった。中国を強く嫌っているのは、日本やベトナムなど、直接的な政治的摩擦や領土問題などを抱えるごく少数の国にとどまっていた。
―――これが、おおむね二〇一八年ごろまでの世界の姿だった。
世界が大きく変わりはじめたのはそれ以降だ。
二〇一八年から米中貿易摩擦が深刻化するなかでアメリカの対中警戒心が表面化し、ファーウェイなど中国系IT企業に対するパージがおこなわれた。また、新疆ウイグル自治区の少数民族弾圧が深刻な人権問題として世界的に認識されはじめた。
そして二〇一九年にコロナ禍が世界を大混乱に陥れたことで、西側先進国を中心にコロナ発生国である中国に対する不信感が決定的になった。初期対応の不透明性を非難した他国に対して、中国の外交官らが揃って乱暴で挑発的な対応(戦狼外交)を取ったこともいっそう評判を悪くした。

安田峰俊

「“低度”外国人材」とは、どのように定義づけられる人々だろうか?
おそらくそれは「国内の資本・労働と健全な補完関係に置かれておらず、容易に代替が可能な劣位の人材」で、かつ「我が国の産業にイノベーションをもたらさず」「日本人との切磋琢磨もなく専門的・技術的な労働市場の発展を促すこともなく」「我が国労働市場の効率性を高めないまま働いている人材」といったところになる。
さらに言うならば、(年齢は若いかもしれないが)学歴・年収が低く、日本語はろくに喋れず専門知識もない、非熟練労働に従事している人材。日本国家が温かく歓迎しているわけでもないのに、向こうから好き好んでやってくる人材──。そんな残酷な説明もできそうである。

安田峰俊

中華人民共和国の首都は北京だが、例えば香港や台湾や、南方の広東省の住人たちは、北京を「北韃子」どもが住む単なる田舎街だとみなす価値感が根強い。香港人や広東人に言わせれば、北京は決して中国の中心ではないのだ。現在の北京を支配する共産党政権についても、過去のモンゴル人の元朝や満州人の清朝や、袁世凱の北洋軍閥や華北戦線の日本陸軍と同じように、所詮は夷狄か寇盗のなかまである「共匪」どもが、遠く貧しい北方の町で勝手に威張っているに過ぎないと考える冷めた視点が存在している。
現在の中国共産党は、「ひとつの中国」や「統一戦線工作」といった政治用語が大好きだ。2008年の北京オリンピックで採用された「同一世界、同一個夢想」というスローガンも、こうした言葉と共通する意図を持つ。だが、為政者たちによってこの手の言葉が盛んに使われるのは、現実の中国が本当はちっとも統一されておらず、中央政権のコントロールできる空間がごく限られたものでしかないことの裏返しにほかならない。
北京で天下をとったつもりでいる中国共産党が作った国家「中華人民共和国」とは、無限に近い広がりと多様性を持つ「支那」の内部で、ごくわずかな一部分を占めるささやかな存在にすぎない。

Lindy Zart

“If you could be anywhere, right now, where would it be?” Her voice is soft, like a caress against my splintered soul, a bandage to fix the never-ending wound inside me. I always imagined her lips and mouth must taste like honey because her voice is so sweet; a perfect melody of vocal chords. Not that I’ll ever find out. It’s a fact I accepted long ago; something I hate and yet am able to do nothing about but endure.

未完

自由であり続け
変わり続ける
満足せずに
生まれ変わる
何度も 生まれ変わる

リセットではなく
上書きをする
現状をよしとせず
何度も 上書きを重ねる

完成してしまったら
そこで終わり
だから
いつも 未完
いつまでも 未完

ミカン下北

名称について
多様な文化が交差し、絶えず自由に編集され、変わり続ける、
つまり“常に未完である”ことに下北沢の普遍的な魅力を見出し、
未完ゆえに生まれる新たな実験や挑戦を促す想いを表現しました。

ロゴマークについて
リセットするのではなく、上書く。
未完というテーマを土台に、トライしたという確かな痕跡と、
現状をよしとせずに実験を重ねようとするアグレッシブな姿勢を、
象徴的に記号化しました。

孫正義

何十万人といる在日韓国人が、日本で就職や結婚や、それこそ金を借りるとき差別を受けている。でも在日韓国人であろうが、日本人と同じだけの正義感があって、能力がある。それを自分が事業で成功して、証明しなきゃならないと思ったんです。
これからの在日の若者に、それを背中で示さなきゃいけないのに、俺が本名を隠してこそこそやったんじゃ、意味がなくなるじゃないか、アメリカに行った目的が達成できないじゃないか。あとから、あの事業を興したのは、実は孫でしたと言ったって……

ユートピア

押し付けられるユートピアなんていらない
そんなものは 望まない

ユートピアだけではない
完璧なものなど ほしくはない

自由がないのは
ユートピアも ディストピアも 同じ

少し壊れている自由が ほしい
そのままの君が いい

Nikolai Berdyaev

We used to pay too little attention to utopias, or even disregard them altogether, saying with regret they were impossible of realisation. Now indeed they seem to be able to be brought about far more easily than we supposed, and we are actually faced by an agonising problem of quite another kind: how can we prevent their final realisation? … Utopias are more realisable than those ‘realist politics’ that are only the carefully calculated policies of office-holders, and towards utopias we are moving. But it is possible that a new age is already beginning, in which cultured and intelligent people will dream of ways to avoid ideal states and to get back to a society that is less ‘perfect’ and more free.

Hadas Erel, Yoav Cohen, Klil Shafrir, Sara Daniela Levy, Idan Dov Vidra, Tzachi Shem Tov, Oren Zuckerman

Robot-Robot-Human Interaction is an emerging field, holding the potential to reveal social effects involved in human interaction with more than one robot. We tested if an interaction between one participant and two non-humanoid robots can lead to negative feelings related to ostracism, and if it can impact fundamental psychological needs including control, belonging, meaningful existence, and self-esteem. We implemented a physical ball-tossing activity based on the Cyberball paradigm. The robots’ ball-tossing ratio towards the participant was manipulated in three conditions: Exclusion (10%), Inclusion (33%), and Over-inclusion (75%). Objective and subjective measures indicated that the Exclusion condition led to an ostracism experience which involved feeling “rejected”, “ignored”, and “meaningless”, with an impact on various needs including control, belonging, and meaningful existence. We conclude that interaction with more than one robot can form a powerful social context with the potential to impact psychological needs, even when the robots have no humanoid features.

未生と完生

未生は不確かな状態
まだ 生き石にも 死に石にも なっていない
incomplete

でも incomplete な人は
輝いていて
美しい

完生は生き返った状態
生き石に なっている
complete

ただ complete な人は
生きているのに
終わっている

정윤정

正直な話 お前を歓迎していない
俺たちには 即戦力が必要だ
(分かってます)
アンさんがよかったのに
せっかくだ
とにかく踏ん張れ
踏ん張った者が勝つ
いつか完全に生きられるからだ
(というと?)
知らないだろうが こんな囲碁用語がある
”未生(ミセン)” と ”完生(ワンセン)”
俺たちは まだ弱い石(ミセン)だ

Darrell Bricker, John Ibbitson

All of this is completely, utterly wrong.
The great defining event of the twenty-first century — one of the great defining events in human history — will occur in three decades, give or take, when the global population starts to decline. Once that decline begins, it will never end. We do not face the challenge of a population bomb but of a population bust — a relentless, generation-after-generation culling of the human herd. Nothing like this has ever happened before.
If you find this news shocking, that’s not surprising. The United Nations forecasts that our population will grow from seven billion to eleven billion in this century before leveling off after 2100. But an increasing number of demographers around the world believe the UN estimates are far too high. More likely, they say, the planet’s population will peak at around nine billion sometime between 2040 and 2060, and then start to decline, perhaps prompting the UN to designate a symbolic death to mark the occasion. By the end of this century, we could be back to where we are right now, and steadily growing fewer.

ウィキペディア

主な貧困ビジネス

湯浅誠

ある日の子ども食堂のメニューにコロッケが入っていたそうです。そして、その日に来ていた小学校5年生の子が、出されたコロッケを見たとき『これ何?』と言ったそうなんです。そのときに初めて、スタッフはその小学生がそれまでコロッケを食べたことがなかったと気付いた。このように、子どもたちの何気ない発言や行動の中に、家庭環境を知るヒントが隠れていることも多いんです。そういう意味での気付きの拠点です。
そして、『コロッケを食べたことがないならメンチカツも出してみようか』『誕生日を祝ってもらったことがないならみんなで誕生日会をやろう』『家族旅行に行ったことがないならみんなでBBQしよう』というように、ほかの子が家庭の中で経験しているけれどできていなかったことを経験する機会を提供することもあります。この子のように、児童相談所や生活保護に頼るほどではないけれど、周りの多くの子が経験していることをできていなかったり、小さな課題やモヤモヤを抱えたりしている子どもたちがたくさんいます。そういった子どもたちは、ぼろぼろの服を着ているわけではないし、がりがりに痩せ細っているわけでもなく、周囲からは気付かれにくい。しかし、子ども食堂で一緒に時間を過ごしていると、潜在的な貧困の要素に気付くことはしばしばあります

原田 啓一郎

生計困難者のために,無料又は低額な料金で宿泊所等を利用させる「無料低額宿泊所(無低)」の歴史は古く,その源流は明治期の篤志家が生活困窮者のために開設した無料宿泊施設に遡ることができる。昭和初期には,金融恐慌や世界大恐慌といった経済不況中の失業問題の深刻化により,公園や路上で生活をする人が増加し,無料宿泊所の役割は拡大した。第2次世界大戦後は,宿泊所への社会的ニーズは低下し,施設数は減少していたが,(NPO法が成立した)1999年に突如増加に転じている。2000年代に入ると,(NPOが運営する)無料低額宿泊所が増加する中,劣悪な環境の宿泊施設の存在が指摘されるようになった。法のはざまで困難を抱えている生活困窮者や生活保護受給者に対して劣悪な居住環境や食事等のサービスを提供する一方,そのサービス内容に見合わない高額な料金を請求し,それを生活保護費などから支払わせて利益を得ているいわゆる「貧困ビジネス」の事例が,今日,社会問題化している。

アール座読書館

現実逃避の対極にあるものを考えてみると、その象徴として「to doリスト」なんてものが思い浮かんだりもします。僕もずっと多用している、物事を計画的に運ぶために、目標に一歩一歩迫るために無くてはならない重要なものです。アール座の僕の仕事なんかは実のところ、会社で言う総務みたいな仕事がメインだったりします。何処かの機器や器具什器が故障したり、何かしらが消耗してそのシステムの動きが滞ったりと、絶え間なく交互に訪れる管理、補修業務が仕事の大半だったりするんですが、もうこのリストがそれでひたすら埋め尽くされ続けます。
でも世の中の数ある職種のほとんどにはこれが必要だったりするんじゃないでしょうか。無数のタスクを処理し続けていく要素が少なからず必要なお仕事の方が現代では普通なんだと思います。
僕なんかはスマホや手帳の上で永遠に続くとも思われるそれに、ヘタをすると人生そのものを持っていかれるような恐さを時々感じたりすることがあります。本当の自分は何がしたいのか、最終的にはどうなりたいのか、自分は何のために生まれて来たのか、みたいな大きな視点がto doリストに埋もれてぼやけて分からなくなったまま人生が終わっちゃったらどうしよう…みたいな恐怖感が随分前からあって、それがこの店を作った動機の一つにもなっています。
間違いや迷いを許さないマニュアル化された社会環境が強要してくるこの「やるべきこと」という意識こそ「現実逃避」という言葉に使われている「現実」の部分のような気がしてなりません。
何をやるにも「正しい筋道」や「まっとうな方法」というものが「現実」であるとして、目の前に突きつけられている気がしちゃうんです。特にこの国は。

Tish Harrison Warren

We are creatures made to encounter beauty and goodness in the material world.
But digitization is changing our relationship with materiality — both the world of nature and of human relationships. We are trained through technology (and technology corporations) to spend more time on screens and less time noticing and interacting with this touchable, smellable, feelable world. Social media in particular trains us to notice that which is large, loud, urgent, trending and distant, and to therefore miss the small, quiet importance of our proximate and limited, embodied lives.

その鳥

その鳥は 私たちの目に見えたりしない
レーダーで捉えることもできない
急降下して あっという間に急上昇するので
私たちが気づくことはない

その鳥は 何百年も生きてきたという
見た目にも年老いた鳥は
これまでのことを たくさん知っている

その鳥は いつまでたっても灰色の景色をを好きになれない
川が自由に流れていた頃のことを思い出し
山に車が入り込む前のことを懐かしむ

人間が大量発生し 地球を覆ってゆくにつれ
その鳥は飛びながら休むことを覚え
地上ですごす時間が減っていった

1950年に 25億いた地球上の人間が
2020年には 75億を超えてしまったと
人間たちが話している

その鳥が急降下する
目の前をミサイルが飛んでゆく
その鳥が急上昇する
地上に禍が広がる

その鳥を見た人は 死ぬという

僕は空を見上げる
その鳥が 空をゆっくりと 旋回している

腎臓

腎臓には、肝臓における肝小葉と同じ、ネフロンとよばれる構成単位があります。
ネフロンは、糸球体と尿細管でできていて、その数は片方の腎臓だけで約100万個。それぞれのネフロンは、ほかのネフロンの助けを借りることなく、独立して機能しています。とはいえ、腎臓にあるすべてのネフロンがいつもフル稼働しているわけではありません。腎臓は通常、かなり予備能力を蓄えた状態で尿をつくっています。
ネフロンの一部である糸球体は、腎動脈から枝分かれした毛細血管のかたまりです。杯状に広がった尿細管の末端部分にあたる、ボーマン嚢が取り囲んでいます。
腎動脈は1本の輸入細動脈となってボーマン嚢に入ると、毛細血管網となって糸球体を形成します。そして、糸球体で血液をろ過した後、再び集まって1本の輸出細動脈としてボーマン嚢を出ます。輸出細動脈は尿細管の周囲で再び毛細血管網をつくり、腎臓から出ると、下大静脈に注ぎます。このように、ごく短い間に毛細血管が2回直列に並ぶのは、腎臓の大きな特徴です。

UNICEF

A league table of child well-being outcomes: mental well-being

1   Netherlands
2   Cyprus
3   Spain
4   Romania
5   Denmark
6   Portugal
7   France
8   Greece
9   Italy
10  Croatia
11  Norway
12  Finland
13  Switzerland
14  Slovakia
15  Hungary
16  Germany
17  Belgium
18  Bulgaria
19  Luxembourg
20  Iceland
21  Austria
22  Sweden
23  Slovenia
24  Czech Republic
25  Latvia
26  Ireland
27  Chile
28  Malta
29  United Kingdom
30  Poland
31  Canada
32  United States
33  Estonia
34  Republic of Korea
35  Australia
36  Lithuania
37  Japan
38  New Zealand

レイチェル カーソン

この地上に生命が誕生して以来、生命と環境という二つのものが、たがいに力を及ぼしあいながら、生命の歴史を織りなしてきた。といっても、たいてい環境のほうが、植物、動物の形態や習性をつくりあげてきた。地球が誕生してから過ぎ去った時の流れを見渡しても、生物が環境を変えるという逆の力は、ごく小さなものにすぎない。だが、二十世紀というわずかのあいだに、人間という一族が、おそるべき力を手に入れて、自然を変えようとしている。
ただ自然の秩序をかきみだすのではない。今までにない新しい力――質の違う暴力で自然が破壊されてゆく。ここ二十五年の動きを見れば、そう言わざるをえない。たとえば、自然の汚染。空気、大地、河川、海洋、すべておそろしい、死そのものにつながる毒によごれている。そして、たいていもう二度ときれいにならない。食物、ねぐら、生活環境などの外の世界がよごれているばかりではない。禍いのもとは、すでに生物の細胞組織そのものにひそんでゆく。もはやもとへもどせない。

イビチャ・オシム


(日本人選手の特長について)世界基準があっても、日本は誰のまねもしない方がいい。ほかの国にないものを持っている。俊敏性、積極的な攻撃、高い技術。でも、教育の段階から自由に判断することを許されていない

Rachel Carson

A child’s world is fresh and new and beautiful, full or wonder and excitement.

It is a wholesome and necessary thing for us to turn again to the earth and in the contemplation of her beauties to know the sense of wonder and humility.

If I had influence with the good fairy who is supposed to preside over the christening of all children, I should ask that her gift to each child in the world be a sense of wonder so indestructible that it would last throughout life.

移ろいゆく風景

すべてのものは移ろいゆき
すべてのことも移ろいゆく
変わらないものなど なにもなく
変わらないことなど ありはしない

移ろいゆく季節
移ろいゆく時間
移ろいゆく気持ち
移ろいゆく心

空から降る雪が雨に変わり
氷が溶けて水になる頃
春一番が吹き 霞たなびき
草木めばえいずる
梅咲き 桃咲き 桜咲く
牡丹咲き 紅花咲き 梅の実黄ばむ
菖蒲咲き 蓮の花咲き 桐の花咲く
綿の花咲き 菊の花咲き 楓も蔦も黄ばむ

自然のリフレインの繰り返しも
移ろいのなかにある
暗い夜の後には明るい夜明けが
寒い冬の後には暖かい春がやって来る

季節の移ろいは美しく
時間の移ろいも美しさのなかにあるというのに
気持ちの移ろいは空しく映り
心の移ろいは悲しい

移ろいに何の罪もない
それなのに私たちは感情移入し
美しいだの 空しいだの
哀しいだのと 感じる

君は移ろいを愛し 移ろいを憂う
それなのに 君も移ろいに身をまかせ
君自身も 移ろう
そして 僕も 移ろう

心情

心情をあらわそうとして いろいろな言葉を使う
言葉を聞いて わかったつもりになる
時に 感動したり 共感したりもする

心情を言葉であらわしても なにか違う
そもそも 心情が 言葉になるはずもなく
ましてや 人に伝わるなど ありえない

微妙に変化し続ける心情を
繊細で感じやすい心情を
わかるなんて ありえない

心情は包まれて かくれている
言葉には はじめから 壁がある
心情を 言葉にすれば 嘘になる

やるせない 心細い せつない
わかったような わからないような言葉に
どれだけの意味があるというのか

憂いや悲しみを紛らわそうとしても
晴らしどころがなくて せつなくて
それで やるせない といったりする

でも ほんとうに やるせない かというと
なんか 心細くて もやもやしていて
どうにも 言葉では説明できない

心情を理解したり 心情の変化をつかんだり
心情を言葉で説明したり 心情を共有したり
そんなことは 誰にもできやしない

心情をあらわす言葉は 翻訳ができない
翻訳のできない言葉には 説明という嘘がつきまとう
心情をあらわす言葉のまやかしに ごまかされてはいけない

私たちが知らない戦争

ウクライナの戦争のことが
毎日のように
ありとあらゆるメディアから
溢れ出してくる
でも
知らない国の戦争のことは
なにも出てこない

たくさんの人が
殺されても
誰も興味を持たないし
そもそも 誰も知らない

アフリカで人が死んでも
中東の地で人が死んでも
誰も気にしない

ウクライナのことを心配する人が
北朝鮮のことを心配することはない
北朝鮮のミサイルのことは心配しても
北朝鮮の人たちを救おうとは言わない

こちらを救おうと思い
あちらは救わなくてもいいと思う
人は皆 身勝手で
人は皆 操られている
そのことに
誰も気づかない

Egon Schiele

Despite largely failing as a student at school and having to repeat a year, his artistic talent gained him entry to the Kunstgewerbeschule (School of Arts and Crafts) in Vienna, where famous artist Gustav Klimt had studied. But one of his teachers there complained that Schiele had “too much talent” and he was sent to Vienna’s Academy of Fine arts, the youngest student ever enrolled there, at the age of 16. According to records he was accepted over another candidate — Adolf Hitler.
But Schiele soon rankled at the conservatism of the Academy. In 1907 he sought out Klimt, whose work Schiele admired, hoping to learn more from the great artist. Klimt was the leader of the Vienna Sezessionist (Secessionist) group, who had made a break from the conservative styles of the Academy. He was greatly impressed by the teenager’s talent and became a mentor and friend, buying some of Schiele’s works, organising models and finding him connections in the art world. It led to Schiele’s first inclusion in a Sezessionist exhibition in 1908.
**
In 1911, Egon Schiele met a woman. She was seventeen, bright eyed, fun, amiable, not a bit shy or innocent. Her name was Valerie ‘Wally’ Neuzil, and she was just what both Schiele and his art needed. In that short period of time, Schiele’s art blossomed, and Wally was his muse, his lover, his friend. Their story is the one of obsession, love, betrayal, erotic exploration, and death – death of an artist, death of a muse, death of a whole empire and death of an era.

黄金のトライアングル

バゲットとヴァンとフロマージュ
ごはんと梅干と味噌汁
ウィスキーとナッツとチョコレート
大根とツナ缶とマヨネーズ
ムール貝の白ワイン蒸しとフライドポテトとマヨネーズ
豆腐と鰹節と生姜
シャンパンと牡蠣とミニョネットソース
日本酒とキャベツと味噌
ヴァン・ジョーヌとコンテとクルミ
生卵と砂糖と牛乳
寒天と赤えんどう豆と蜜
トマトとモッツァレラチーズとオリーブオイル
焼いたサンマと大根おろしと醤油

想像は限りなく広がる

小山珠美

私は看護師として38年間仕事を続けながら、「食事介助」を追求してきました。とりわけ口から食物を食べることが難しくなった患者さん、もしくは「食べられない」と医師に診断された患者さんに、さまざまな方法で食べられるようにアプローチをしてきました。これまでおおよそ9000人ほどの患者さんの食事介助を行ってきましたが、その中で感じたのは、人が健康で幸せに過ごせるかどうかは「食べること」にかかっているということです。しかし、いまのままでは、多くの人が将来的に「食べる喜び」を奪われることになるという危機感を抱いています。
その理由は、第一に「食べること」そのものが医療の現場で軽視されているということ。第二に、患者さんやご家族が食べることを希望しても、正しい食事介助のスキルをもった人材が足りないということです。今後、超高齢化社会が深刻化していく前に、なんとしてもその問題を解決しなくてはなりません。
そのためには、医療従事者の意識改革が必要なのはもちろんですが、患者さんやご家族、そして一般のかたがたが現状を知り、行動を起こすことも重要です。なぜなら、自分自身を守るのは自分、大事な家族(患者さん)を守るのも自分だからです。

人はいつ何時「食べること」を失うかわかりません。高齢者でなくても、突然の事故や病気で食べる喜びを奪われることもあります。でも、そこに「食べることに挑める医療」があれば、多くの患者さんが救われることになります。
食べることは、命の根幹です。生きる喜びであり、尊厳されるべき命の営みです。誰もが、最後のときまで食を楽しむ権利があります。ですから、患者さんのご家族には希望を失わず、あきらめないでほしいと思います。そして医療・福祉従事者には食べることの可能性を追求する姿勢を忘れないで実践してほしいのです。

いただきます

食前の挨拶「いただきます」の発声がいつ頃始まったか関しては定かでない。
1983年から始められた国立民族学博物館の共同研究「現代日本における家庭と食卓 ── 銘々膳からチャブ台へ ── 」では、当時70歳以上(1913年前後以前の生まれ)の計284人(女性259人、男性25人)にアンケートを行っており、貴重な証言を得ている。これによれば、対象者らが若かったころ、箱膳で食していた時代には、「いただきます」は決して一般的とは言い難いものであった。ほとんどの家庭において食前に神仏へのお供えがあった一方で、食前の挨拶はないことが非常に多く、またあったとしても様々な挨拶の言葉が存在した。
それがやがて必ず言うようなものとなり、その文句(「いただきます」に限らない)も統一されてきたのは、軍国主義化していった時代ごろからのしつけや教育によるものであると推測されている。
柳田国男も1946年に出版された『毎日の言葉』のなかで、「いただきます」が近頃普及したものだと言及している。

大切なことに 気づかない
そうやって 生きる
そうやって 時がすぎる

立花隆

 
多年にわたって、本を書く仕事をしてきたが、本書は、自分が書いた本の中でいちばん気に入っている本である。先日読み直してみて、よくぞこれだけの連載をこの年齢(四十三歳)でしたものだと思った。しかし、考えてみると、それは第一稿にすぎず、それから、それを完成稿するまでに二二年かかったという言い方もできる。別の言い方をするなら、連載を終えてから、それを完成稿にするために、ほぼ半生を私はかけたことになる。

見当識

見当識とは
いまがいつなのか
自分がどこに居るかなど
基本的な状況把握のことだという
Orientation といえば わかりがいい

見当識がなくなって
ここはどこ? 私は誰? 
というふうになれば
失見当識と言われるし
車酔いなど平衡感覚が崩れれば
見当識失調と言われる

気持ちや行動にゆきちがいがあれば
見当違いだし
自分だけがつらいと思ったりすれば
料簡違いなんていうことになるし
状況がよくわかってなければ
空気が読めないということになる

見当識がないと つらい
でも ちょっと考えてみれば
見当識なんて じつは
誰も持ってないって気づく

自分は 誰なのか
ここは どこなのか
いまは いつなのか
そんなことは 誰も知らない

おじいちゃん 今日は何日? 今日は何曜日?
そんなことを療法士や看護師から聞かれるような場所に
自ら進んで 行きたいとは思わない

自分は 誰なのか
ここは どこなのか
いまは いつなのか
そんなことを 僕は はじめから知らない

Pierre Teilhard de Chardin

Dans le cas particulier de l’Essai ici présenté, deux options primordiales – je tiens à le faire remarquer – s’ajoutent l’une à l’autre pour supporter et commander tous les développements. La première est le primat accordé au psychique et à la Pensée dans l’Etoffe de l’Univers. Et la seconde est la valeur “bilogique” attribuée au Fait Social autour de nous.
Prééminente signification de l’Homme dans la Nature, et nature organique de l’Humanité : deux hypothèses qu’on peut essayer de refuser au départ ; mais sans lesquelles je ne vois pas qu’on puisse donner une représentation cohérente et totale du Phénomène Humain.

吉本隆明

ほんとうの意味で日本人が色というのはじぶんの側に属するんだと、つまり、日常生活の側に属するし、民衆の平凡なる日常の中で、色というのは豊富に氾濫し、豊富に使われなければいけないんだ、あるいは、使われるといいんだというふうに、それをじぶんに許したのは、むしろ明治以降で西欧の染料とか、色彩感覚とか、それがどんどんどんどん入ってきてから、はじめて日本人は色彩というものを日常生活に使っていいんだという考え方になったので、それ以前は、色というものを、日本人は宗教に属する、つまり、神に属するもので人間がそれを使うべきでない。だから、せいぜい使われるのは、神社の森だとか、神を祀った山の上だとか、そういうところにきれいな花の咲く樹を植えたりというようなことは、むしろ、そういうところに使ったので、ほんとうにじぶんの庭に、例えば、桜の花でもなんでもいいですけど、お花見の桜の花みたいなものをじぶんの庭に植えようという考え方をもったのは、たぶん、平安朝時代になってからはじめて、あるいは、奈良朝の末期ぐらいからはじめて、そういうふうになったので、それ以前は桜の樹とか、きれいな花の咲く樹というのは、ぜんぶ神社の社の境内にそれを集めるとか、あるいは、神聖なる山の麓にそれを植えるとか、そういうふうに、つまり、神に属するところにそれは植えるのであって、じぶんの庭に、たとえば、きれいな花の咲く樹を植えてもいいんだというふうに考えだしだのは、平安朝ぐらいになってからであって、そういうふうになってから、それでもわりに一種、神々しい気持ちで、庭の木に咲く花なんかというのを、そういうふうに考えて、そういうふうに植えているというふうな、そういうふうな鑑賞の仕方をしているというようなことが行われてきて、それでむしろ、自然の草花を採ってきて、家の中の仏壇に供えるみたいなふうな、そういう花の見方とか、鑑賞の仕方をするようになったのは、もう明治になってからなんだ、つまり、明治になってから初めて色彩というものを神に属するものじゃなくて、日常生活に誰もが使っていいものであるし、また、誰もが塗っていいものであるし、誰もが植えていいものであるし、誰もが着てもいいものだというふうに考えだしだんだ。それにもかかわらず、日本人の色彩の抑え方というのは、日常生活、つまり、じぶんのものとしての色彩の使い方の抑え方といいましょうか、抑制の仕方というのは著しいので、これは一種、そういう言い方をすれば、柳田国男は天然の禁色だ、つまり、天然によって禁じ、あるいは、神によって禁じられた色であって、それを人間が使っちゃいけないんだというふうに、日本人はむしろ考えていたんだというふうに、そういう言い方をしています。
 そのようにして、たとえば、本来ならば、誰それ天皇の御代に誰それが政権をとって、こういう政治をやったとかというような、そういう歴史というものが描かれると同じように、たとえば、そういう色彩というものを、日本人が宗教的な神に属するものだというふうに考えていたときから、それから、これは人間に属するもので日常生活に使っていいんだというふうに考えるようになるまでの色彩についての日本人の心の変化というものをたどれば、やはり、誰それ天皇の御代にこういう戦があって、こういうふうに政権をとってというような、そういう歴史と同じ歴史が日本人の色彩感覚の移り変わりというもので捉えることができるんだということを、『明治大正史』のなかで柳田国男は言っています。

禁色

柳田國男は 1875年(明治8年)に生まれ 1962年(昭和37年)に死んだ
1875年の人々の感覚と 1962年の人々の感覚が 同じわけはなく
さらにいえば
1962年の人々の感覚と 2022年の人々の感覚が 同じわけもない
だから
柳田國男の感覚は 私たちの理解のはるか外にあることを 忘れてはならない

褻(ケ)晴れ(ハレ)
現滅の常なきもの永くとどまって変わらぬもの
移り動く地上の色変わることのない天上の色
常の日の安息特別な時の興奮
樹の陰のようなやや曇ったる色こころときめく ゆゆしき禁色

その違いは 私たちにもよくわかる
でも 禁色の煌びやかさはもうどこにもなく
禁色のゆゆしき感じは もう誰にもわからない

私たちが「褻(ケ)」の色を好むのは
常に興奮している現代に疲れ
以前の渋いという味わいを懐かしく思うからだ
柳田國男は そう説明した
でも
私たちが「褻(ケ)」の色に感じるのは
自然の色の無限の豊かさであって
常の日の安息というようなものではない

自然の色の無限の豊かさのなかで
私たちは生まれ 死んでゆく

この世に禁色を蘇らせても
その色はやがて褪せてゆく

私たちが禁色と思っているものは
もはや禁色ではない

自然の禁色も 人がつくった禁色も
もうどこにもない

柳田國男

こういう二通りの色の分かちが存する限り、たとえ技術はこれを許すとしても、人は容易に禁色を犯そうという気にはならなかった。興奮はたとえば平野の孤丘のごときもので、それがなかったならば人生はもちろん寂しい。しかもしばしばその上に登り立つことも、堪えがたき疲労でありまた前進の妨げであった。それゆえに我々ははなやかなる種々の色が、天地の間に存することを知りながらも、各自は樹の陰のようなやや曇ったる色を愛して、常の日の安息を期していたのであった。それが固有の染料の自らの制限だけでなかったことは、単なる白という色の用い方を見てもよくわかる。現在は台所の前掛けにまでも使われるようになったが、白は本来はゆゆしき色であった。日本では神祭の衣か喪の服以外には、以前はこれを身に着けることはなかったのである。つまりは目に立つ色の一つであり、清すぎまた明らかすぎたからである。こういうやや不自然なる制限の解除せられたことは、一つには異なる外国の風習の、利あって害なきことを知ったからでもあるが、それよりも強い理由は晴れとの混乱、すなわちまれに出現するところの興奮というものの意義を、段々に軽く見るようになったことである。実際現代人は少しずつ常に興奮している。そうしてやや疲れてくると、初めて以前の渋いという味わいを懐かしく思うのである。

ジャック・アタリ

飢餓の状態になく、経済的に余裕があるのなら、世界中のほとんどの人々は、健康的な食事を他者とゆっくり分かち合いたいと思っているはずだ。誰もが料理が好きであり、食事に招待したい、そして招待してもらいたいと願っているだろう。食事を共にすることで会話は弾み、しばしば重苦しい日常に安らぎのひと時が訪れる。
しかしながら、ゆっくりと食事をとる機会は世界中で減る傾向にある。
なぜ、われわれはこのように単純で、重要で、生きるために必須の楽しみを自身から奪うのか。なぜ、皆で会食する機会は減る傾向にあるのか。なぜ、仕事上の付き合いの会食だけが豪華になるのか。なぜ、(金持ちを除き)人々は糖分と脂肪分の多い加工食品だけを慌ただしく食べるようになったのか。大きなレストラン、食堂、さらには家庭の台所さえも姿を消したが、これは人間関係の崩壊を意味するのか。いつも独りで外食し、汚染された野菜や肉、そして加工食品だけから栄養を摂取する日が訪れるのか。

菜根譚

 
間時要有喫緊的心思、忙処要有悠間的趣味
 

夜深人静、独坐観心、始覚妄窮而真独露、毎於此中、得大機趣
 

恩裡由来生害、故快意時、須早回頭、敗後反成功、故払心処、莫便放手
 

Андрій Курков

 

 

 

 

 

 


It took Viktor three days to recover from the four spent crossing Drake Passage. In which time, the scientists who had sailed with him from Ushaia in the Horizon were already acclimatized and working fast to complete measurements and analyses before the onset of the polar night. Viktor kept to his quarters in the main block, emerging only to eat or to take a peek outside. He went unquestioned, and even made friends with a biophysicist researching the limits of human endurance, such as the crossing of Drake Passage would have provided ample material for, had he not spent the whole of it seasick in his bunk.

佐伯夕利子

 日本スポーツ界は、これまで何度か海外の人権団体などから、スポーツ現場における暴言・暴力をはじめとする「人権侵害」について厳しい指摘を受けてきた。
「人権侵害」「被害者」「加害者」「暴言」「暴力」・・・、これらの言葉が並ぶ報告書は、スポーツのあるべき姿からあまりにもかけ離れていて、違和感すら覚える。
 言うまでもなく、日本スポーツ界を見る世界の目は私たちの認識以上に厳しいが、どの競技団体においても、残念ながら今日に至るまで充分な実態改善には至っていない。
 怒鳴る、蔑む、見下す、罵倒する。
 小突く、叩く、はたく、ぶつ、殴る、蹴る、倒す。
「厳しい指導」(「ゆるい指導」もしかり)など、世界中どこを探しても、そんなコーチング学やコーチングメソドロジー(指導方法論)は存在しない。
 にも関わらず、まるで「指導方法」の一種かのごとく語られるのを聞くたびに、違和感を越えて不信感を持たざるを得ない。ましてや、こうした「パワハラ指導」は、傷害、暴行、名誉棄損、侮辱といった犯罪に過ぎず、指導方法でも何でもない。
 だから、もうそろそろ「厳しい指導方法」などと都合のいい言い訳に逃げることなく、パワハラ「指導」は「尊厳の迫害」そして「人権侵害」以外に解釈の余地などないことを、スポーツ界全体で再認識したい。